新型コロナパンデミックの終焉により海外からの観光客が日本に大挙して戻ってきました、入国規制撤廃から半年後の日本では至るところで小バブルが発祥しています、特に飲食業界では80年代のバブル景気をも凌ぐ強気の姿勢が見て取れます。
先日オープンした東京湾に面する豊洲の巨大商業施設のフードコートでは外国人観光客向けの高額メニューがニュースにもなっていました、なかでも6,980円の海鮮丼は飛ぶように売れているといいます、ニュースなどで「インバウン丼」と銘打たれたこの海鮮丼は本国の日本料理店で食べるのと同じ価格で具が多く新鮮で美味しいと好評です。
地方の観光地でも同様で4,000円のカツカレーや5,000円のてんぷら定食などがランチメニューに誕生しています、ハンバーガーショップで食事を済ませている日本人観光客を脇目に外国人観光客は大いに円安を堪能しているようです。
都内のレストランでもこれまで多くの店で上限が1万円程度だったコースメニューが最近では2万円や3万円というコースも続々と誕生しています、またクラブやラウンジで10万円を超えるシャンパンやワインを複数本注文する人が私の周辺にも徐々に増えてきました。
飲食業界だけを見るとバブル前夜を思い起こします、景気回復のきっかけは常に飲食業界に始まります、その意味では他の業界の値上げラッシュもしばらくの間は段階的に進んでくるでしょう。
この間の生活は一時的には苦しいのですが各業界で大幅な賃上げのニュースも出始めています、これが一巡すれば30年前までの強い日本経済が形成されてきます、そこまでしばらくは消費者物価と所得水準に目が離せません。
こういうバブル前夜こそ自身にお金の流れを作るのは自身が先にお金を回すしかないことを忘れないことです、次代の成功者は既にこのチャンスを逃さずお金を市中にどんどん回し始めています、不思議なのですがお金はお金を回した人にしか戻ってこないのです。
どんな情報をいくら持っていても、
どんな人といくら親しくても、
手に余るほどのお金を得ていても、
それ自体には何の価値もない。
持っている情報をどのように発信するか、
持っている人脈の能力を最大限に引き出せるか、
持っているお金を何処へ回せるか、
持っているものを有益に活用できて初めて価値が出る。
何かを幾ら持っていたとしても、
それは自分の為だけの満足感でしかない。
他者の為に使ってこそ持てる者の真価がある。
集めることに固執する者は野心の塊になる。
情報も人脈も財産も何もせずして利益を生むことはない。
上手く活用できる者は全てが有益に機能する。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
運が良いのか悪いのか。
良い事が起こったと喜んでいると、
その裏で別の頭の痛い問題が同時に発生する。
友人は「何も無いより幸せなんだ」と言う、
運が本当に悪ければ良いことも起きないのだと。
でも運が良ければ頭の痛い問題は起こらないはずだ。
「運が悪い人なら既に終わってる」と再度友人は言う。
いずれにしても状況が何であれ平穏に暮らせている事実、
とても幸運で幸福なことだと思う。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
自ら「スペシャリスト」と名乗るのはよいが、
その専門分野の核心事項を知らないなんて、
似非者と言われても仕方がない。
スペシャリストとは自身が自ら名乗るものではなく、
他者が尊敬の意を込めて称するものである。
本物のスペシャリストは極めて謙虚である。
出しゃばることもなく聞かれない事は話さない。
頼りない振りしていざというときには真価を発揮する。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
「これしかない」と悲観することなかれ。
たった一つでも何かを持っていれば大したものだ。
「これだけは持っている」と大いに誇ればよい。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。