運が良いのか悪いのか。
良い事が起こったと喜んでいると、
その裏で別の頭の痛い問題が同時に発生する。
友人は「何も無いより幸せなんだ」と言う、
運が本当に悪ければ良いことも起きないのだと。
でも運が良ければ頭の痛い問題は起こらないはずだ。
「運が悪い人なら既に終わってる」と再度友人は言う。
いずれにしても状況が何であれ平穏に暮らせている事実、
とても幸運で幸福なことだと思う。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
自ら「スペシャリスト」と名乗るのはよいが、
その専門分野の核心事項を知らないなんて、
似非者と言われても仕方がない。
スペシャリストとは自身が自ら名乗るものではなく、
他者が尊敬の意を込めて称するものである。
本物のスペシャリストは極めて謙虚である。
出しゃばることもなく聞かれない事は話さない。
頼りない振りしていざというときには真価を発揮する。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
「これしかない」と悲観することなかれ。
たった一つでも何かを持っていれば大したものだ。
「これだけは持っている」と大いに誇ればよい。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
義を語るなら先ずは義を示すことが肝要。
「義」とは人としての正しい生き方をいう。
正義・義理・恩義・義務、
「義」の付く言葉は理解するほどに重く深くなる。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
昨今というもの政治経済に加えてあらゆる業界で過去の闇が暴かれています、私が思うにこれらの状況を考えるに一つの言葉しか出てきません、それは「時代錯誤にもほどがある」ということです、もう戦後まもなくの総貧しくも逞しく生きるしかない昭和の時代ではないのです、平成を抜け令和の時代です、なんでも理不尽な行為に対してハラスメントで訴えられる時代なのです。
私の年代が若い頃の昭和の時代ではビジネスにプライベートに何かにつけて多少の行き過ぎた行為があっても大目に見て許されたものですが40年を経た今では看過してもらえないのです、また組織内でもあらゆるシーンにコンプライアンス意識が求められています、昭和に生きたオジサンたちには世知辛い人間関係と世の中を嘆く輩も多いと思いますが、時代の流れを意識し思考も振舞いも変えることができなかった自分を責めるべきだと思います。
ビジネスシーンだけではなくプライベートにおいても飲み方や遊び方も時代を意識できない輩は訴えられても致し方ないと思います、この時代において「そんなつもりじゃなかった」など許されるはずもなく真摯に受け入れ自身の行動を潔く認めることが肝要です、時代の流れを嘆いたところで意味が無いのです、それが世の流れというものですから。
そして真実は一つです、どんな理由があろうが不都合があろうが自分の起こした事に関しては真摯に受け入れて咎められたら謝ることが第一歩です、保身に入れば入るほど守ろうとすればするほどに厄介な状況に追い込まれていきます、昭和を生きた男なら本物の昭和男の嗜みと甲斐性を見せてほしいと思う今日この頃。