「何もしないで何かを得ようとするのはムシがよすぎるというものだ、本気で成功したいと思うならズルはしないことだ、根気よく努力するしかないのだ」
成功哲学の祖と言われたナポレオン・ヒルの一言は、成功を望む者にとって無視できない一言ではないでしょうか?
新聞記者をやっていた彼は、当時アメリカNo1の資産家である鉄鋼王アンドリュー・カーネギーのインタビュワーに抜擢されました。
このインタビューをきっかけに、カーネギーから500人以上の成功者の調査を依頼されます。
この調査の集大成がメガヒットとなった著書『思考は現実化する』そのものであり、これ1冊で彼は巨額の富を得て財団まで創設するに至ったのです。
この一言はその著書の中で謳われている金言の一つです、自分の経験から湧き出た言葉には真の説得力が有ります。
何故ならカーネギーの依頼は20年の歳月がかかり報酬はゼロだったからです、しかし何故彼はこの無謀な依頼を引き受けたのか、そして約束を守ったのだろうか?
その答えは、著書のメガヒットとその後の成功哲学の祖としての活躍と後世にまで名を残した事実を見れば説明するまでもないでしょう。
成功する人は知っています、「僅かな瞬間の損得を考える者は常に将来の大きなチャンスを逃す愚か者の代表格」ということを。
成功したければその瞬間の損得を考えてはいけません、未来の損得で考えることが肝要なのです。
もっと言えばその場の損得を考えての行動は思惑通りにはならないのです、また損得とは金員(金銭の額)だけではなく最もこの世で大きいのは信頼です。
人を測るに能力で思考してはいけない。
その人がどんな結果を出せるかで思考すべきだ。
何事も重要なのは結果であり方法ではない。
成功者は能力で人を選ばず結果で人を選ぶ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
他者の創造したものなら誰でも応用できる。
ゼロから創造できる人は極めて稀な存在だ。
応用力に長けた人を秀才と呼び、
ゼロから新理論を創造できる人を天才と呼ぶ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
失敗することは恥ずかしいことではない。
恥ずかしいのは失敗と認めないこと。
カッコ悪いのは言い訳すること。
もっと悪いのは失敗を繰り返すこと。
失敗しても何かを学べばそれで良い。
潔く収拾させればそれで良い。
そして糧として次に繋げる事が肝要。
それをリカバリーと言う。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
「鳴かぬならそれもまたよしホトトギス」
これは松下政経塾においての松下幸之助の言葉で、塾生から「戦国三英傑とホトトギスの句の例えが有名ですが、先生はどのタイプですか?」と聞かれた時に上記の句を詠んだと言います。
戦国三英傑のホトトギスの句の例えとは。
鳴かぬなら殺してしまえホトトギス(信長)
鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス(秀吉)
鳴かぬなら無くまで待とうホトトギス(家康)
ですが、松下幸之助はそのどれでもなく「人は、そのままで良い」という考えを示したのです。
ちなみに、ホトトギスは家臣を表し今で言えば社員を指していることは言うまでもありません。
私はこの4つでも、あるいはオリジナルでも、どれが良いかという事は明言できません、何故ならこれもまたその人の個性だと思うからです。
ただ、成功する人は必ず自分なりの「ホトトギスの句」をすぐ詠めるはずです、この例えは自分流の「思考の基本哲学」だと思うからです。
これを持つか持たないかは、全ての行動の基本であり雲泥の差となります。
他者に翻弄される人はこの「思考の基本哲学」を持っていません、だからいつも他者にかき回されて中途半端に終わるのです。
ちなみに、私がM&A合戦を繰り広げていた四十代のときには、「鳴かぬなら取り変えてしまえホトトギス」でした、何とも血気盛んだったのか今では自身の事が怖く思えます。
還暦過ぎた今ではどうでしょう?
ちょっと考えてみたのですが、「鳴かぬなら自然に戻そうホトトギス」でしょうか。
優しいようですが相当に意味は深いと思います。
そして、きっと完全隠居後は「鳴かぬならここで暮そうホトトギス」になるのかもしれませんね。