皆さんが見る夢は1画面だと思いますが私の夢は小さいころから「多画像」なのです、これを人に話すと気持ち悪がられます、でも実際にそうなのですから仕方がないことです。
私と同じように多画像で見ている人と何人か出会いました、そして妙な親近感を感じたことがあります。
さて「多画面」と言わずに「多画像」と表現しているには理由があります、多画面は幾つかの画面が存在している状態です。
でも「多画像」とあえて表現しているのは画面は皆さんと同じように1つです、しかし展開する夢の物語が複数同時に存在しているのです。
つまり1つの画面に複数の画像が同時に映し出され、その1つ1つを別々の目でバラバラに見ている感じです。
これと似たことが現実にも起きています、例えばテレビを見ながらブログを書くことがありますがテレビの内容も全て集中して観ているようにニュースもドラマもバラエティも全て記憶しているのです。
ブログも別の脳の領域で集中して書いているかのように、スラスラと幾つもほぼ同時並行で別の記事を書けるのです。
同じように喫茶店や居酒屋で一緒に飲んでいる仲間の話に集中して会話していますが、同時に周りで何を話しているのか耳に聞こえる範囲で理解できるのです。
これは特殊な才能なのでしょうか、小さいころから当たり前だったので自分では普通だと思っていても多くの人には信じてもらえません、でも周囲にいる人は何度も実際に起こる不可思議な現象に信じざるを得ないようです。
ここで何が言いたいかですが、実は私のロジカルシンキングも幾つかの事項について脳内で同時に展開しているということです。
面白いことに複数の展開が1つに集約されることもあるし、逆に1つの事項が複数に分かれて同時展開することもあります、特殊なのかは解りません、でもこれによってプラス面が多いことは確かです。
ただ1つの欠点は、画像が多くなってくると頭の中がもの凄くうるさい大きな音がする感じがして眠ることもできないし、一旦結論が出るまでの間は全身に疲労感が出るということです。
食べたいときに食べたいものを食べているくせに、
何故、やりたいときにやりたい事をやらないのだろう。
本当のところはそれをやりたくないのではないだろうか。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
他者の発する情報は鵜呑みにしないこと。
事情も背景も解らなければ、
その真意も理由も解らないからだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
世の中には充分に役割を果たした後に必要が無くなった物事に対して「お役目御免」などという言葉を使って清算することがあります、そんな意味を込めて今年に入り務めが完了した法人や事業の清算を一気に推し進めています、こういった役目が終わった物事を何時までも放置している人もいますが法人も事業も存続させるだけでコストがかかります。
最も大きなデメリットはその物事をいつまでも気にしていなければならないという心の負担です、これが未来において何よりも大きな憂いとなります、一時的に事業分割を行うことによる受け皿としての法人が必要なときがあります、また分割後に一定期間稼働させ債務を全て清算した後に今度は事業統合により不要事業を譲渡したり廃止することがあります。
更には社名と共に事業目的と役員を変えて新たな法人を創出することもあります、新規に設立すると不要になった法人を解散しなくてはなりません、その意味では変更登記して新社に生まれ変える方が無駄が無く費用も抑えることができます。
こういう清算を私は昔から短期間に複数同時に一気に行ってしまいます、実行中は時間も労力も半端ではありません、並行して毎日複数の清算での業務が発生し流れや段取りを作るのにかなりの神経を使います、でもこの方法が最も効果的なのです、一つずつ行っていてはその間ずっと気を使っていなければならず本業の収益事業に集中できません。
だから数ヶ月という期限を定めて一気に行います、勿論収益事業も並行して行いますからこの間は不休不眠状態です、私はこういった清算を終わらせた瞬間がこの上ない喜びを感じます、この達成感と解放感は経験した人でないと解りません、長期間苦しんだ痛みがスーッと引いたときのような爽快感が大好きです、きっとそんな経験から清算事を貯めておいてはタイミングを図って一気にやってしまうのかもしれません。
一度手にしたものや創出したものが不要になっても捨てることができない人がいますが、どんな事にもリミッターという限界があることを知った方がよいと思います、そして形あるものを失ったとしても経験やノウハウという貴重な形のない大きな財産はしっかり自身の中に残るのです。
成功法則を身につけている人はどんな価値あるものでも一度は捨てないと新たな事が入り込むスペースが無いことを肌感覚で解っています、物も人も情報も例外なく全てに適応する自然の法則そのものなのです。
「今の人は幸福と快楽の区別を知らない、快楽を得ることを幸福だと思っている」
文化勲章・栄誉都民などを受賞している小説家、武者小路実篤の金言とも言えるこの一言。
彼は小説を書く一方で、争いのない調和した社会を理想とした「新しき村」(個人資産による自治体)を宮崎県に作り村民を公募しました。
その後ダム建設により「新しき村」は埼玉県に移りますが、現在でも13名の村民が暮らしています。
「現実離れした理想主義者」などと当時は酷評されましたが、そんな言葉には耳も貸さず、90歳にしてこの世を去るまで自分の理想をあくまでも追求し続けました。
他人に迷惑さえかけなければ自身の理想を追求し形として残すことは尊ぶべきことです、それが本当に実現させるということはなんて幸福なことなのでしょうか。
普通の人ではとうてい無理な話でしょう、もしも酷評する人がいるのなら妬み以外の何物でもありません。
私もそろそろビジネス人生の最終期です、流石にバブル期のようなイケイケ行動はこの歳で行うは伸び過ぎた夏草のようにうざったいく感じるようになってきました。
この歳になり冒頭の名言の意味が心に心地良く響きます、私は私の方法で現代にマッチした理想郷を追求でもしてみたくなっています、きっとこれが私の最後の本当の大仕事になるのかもしれません。