異質な薬品を混ぜ合わせると化学反応を起こし混合前の2種の薬品とは全く別の物質が生まれます、動物や植物も異種のものを掛け合わせるブリーディングはより環境に強い種や有益な新種が生まれます。
同様に人間も、国際結婚などで異種の血が混ざると身体・頭脳など優れた子供が生まれる確立が高くなると言われています。
企業の場合もまさに異種の組み合わせにより、今まで単独では考えも及ばないものができ上がるなど大いにシナジー効果が生まれます。
こういったブリーディング効果を狙い異業種・異人種を集めた企業をダイバーシティ企業と呼んでおり、これからの企業のあるべき姿だと思います。
実際に私は新事業構築の最終準備段階で、実績ある金融や営業のベテランを次々に採用し多方面での事業展開を一気に行いました。
ただブリーディングは利点も多いのですが欠点も多いのも確かです、薬品では一歩間違えると大爆発をおこし、動物などでは奇形も生まれます、企業においては失敗すれば大きな経営的・経済的ダメージが残ります。
つまりブリーディングとはハイリターンが期待できる反面、スーパーハイリスクなものでもあるのです。
しかし新たな事業にチャレンジするのであれば時としてこのスーパーハイリスクに挑まなくてはならないのです、加えて開発資金や人件費などの莫大な軍資金の確保と有効活用という大きな課題も加わります。
これが新事業を一瞬にして構築する最も効果的な手段なのです、過去に私はこの方法で幾つもの新事業の黎明期で成功を収めてきた実績があります。
これを実行するのに重要になるのが実行する前のロジカルシンキングを繰り返し行うということです、発生すべき問題を未然に防げるのは施行前の大いなるロジカルシンキングによるシュミレーションが重要なのです。
これには社内外の人間関係やそれぞれのノウハウのシナジー効果、そして周辺人脈の交流まで含めての壮大なるロジカルシンキングを繰り返します。
常識的な思考によって成功する方法は今の時代には皆無です、何故なら価値観がこれほど短時間で変化する時代においては過去の常識など邪魔になっても利益になることはないからです。
ましては思い込みや合理的思考などによる方法などもっての外です、ビジネスで成功したければ常に新しき事にチャレンジする姿勢と事前の極めてクリティカルなロジカルシンキングが肝要なのです。
疑いもなく入ってきた情報に飛びつく人は、
真実だろうが偽りだろうが熟考することはない。
ただ自分の利益に繋がることを意図してのことだから。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
自分の器量と限界を知ると、
野心も見栄もプライドも消えうせ、
ありのままの自分で楽に生きられる。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
「私にとって最高の勝利はありのままで生きられるようになったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです」
たった1本の運命ともいえる代役出演した映画によって、あらゆる名声と富を手に入れたオードリー・ヘプバーンのこの一言、大変興味深いものがあります。
子供の頃は戦時下という時期、合わせて民族問題もあり、長く辛い期間を成長期に過ごしたヘプバーンが、たった1つの偶然に齎された縁によって、その後の人生に大変化が起きた事は想像するに易しいものです。
当時のハリウッドスターは、今とは全然大きさが違います、別世界の人であり、まさに1本のヒットで大富豪に伸し上がることは不思議ではありません。
しかし、彼女は晩年「それは何の意味も無かった」ことに気づくのです。
意図的に作られた人生で主役になれたとしても、それは本当の自分の人生ではありません。
「手に余るほどのお金を得たところで、私の人生の時間は二度と返ってはこない」
自分の思うがままに生きられて、自分と他人の全てを素直に受け入れられるようになること、本当の幸福とはそういうことではないだろうか?
晩年のヘプバーンは、質素で穏やかに暮らし、そして本当に心許せる人達だけと自分の残り時間を楽しんだといいます。
この心境は、大きな成功を成し「自己実現」を果たした人だけが悟れる、「自己超越」の領域、つまり神の領域なのかもしれません。
明日は明日、今日は今日。
一つしかない芋をどうするか?
種芋にして増やしてから食べるのか、
半分は明日の分として半分だけ食べるのか。
でも、どちらも賢いようで全然賢くない。
種芋は腐らせるのがオチ。
明日の分は他者に取られるのがオチ。
明日は何が起こるか誰にも解らない。
だから今この瞬間だけを精一杯考えることだ。
一つの芋なら当然全部食べることだ。
明日はもっと多くの芋を得ることを信じて。
今この瞬間を精一杯生きることだ。
明日どんな素晴らしい事が起こるか解らない。
だから、明日に備えて今全力で生きることだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。