自動販売機のコーヒー。
何故寒い季節はホットで暑い季節はアイスなのだろう。
冬でもアイスコーヒーが飲みたいときもあるし、
夏でもホットコーヒーが飲みたいときもあるのに。
同じように飲食店。
私は冬でも冷麺や冷スパが無性に食べたいときがある。
多数意見や季節感での常識に流されず、
少数意見のニーズを満たしたサービスがあってもいいと思う。
そういう発想こそが顧客第一主義というものじゃないのだろうか。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
ばっさり切れて血が滴る傷口が、
30秒後には血が止まり30分後には塞がっている。
40度近い高熱で完全に動けなくなったのに、
たった1時間の仮眠で元気な姿に戻っている。
消化器官が4つも無いのに、
一度にビールを3リットル以上飲んでも二日酔いにならない。
肩と腕の痛みでまったく力が入らない五十肩を患っても、
いざという時には30Kgのアンプを軽々と持ち上げる。
摘まんだだけでビール瓶の栓が潰れリンゴに穴が空く。
同時に複数の人の話しを聞き分け、
複数の事を並行処理であっという間にこなす。
一瞬見た数列と文章は何時まで経っても記憶し、
数社の決算書の内容をいつでも正確に答えることができる。
誰しも信じがたい事実を目の当たりにしたら信じるしかない。
目の前に繰り広げられる事実は最大の根拠である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
「苦楽楽楽」
苦しみを楽しみ、
楽しみも楽しむ。
嫌な事も辛い事も捉え方一つで楽しみに変わる。
「陰を陽に変える」
嫌な事や辛い事象の中に善い事象を探すことだ。
陰だけの事象も陽だけの事象もこの世には無い。
何事も必ず陰陽一体で齎される。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
「ビジネスは形に拘り生き方は形に拘るな」
経営者としての一環とした私の哲学である。
「お金の為なら何でもやる」
覚悟を表しているようでも相手には何も伝わらない。
ビジネスは自身のスタイルに誇りを持つべきだ。
そして生き方は自分の気持ちいいことだけをやることだ。
そこに何らの拘りなどは不要である。
自然に身を置き素直に生きれば拘りなど無用のものとなる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
人脈の多さを誇るのに、
何故いつまでも社長だけの単身企業のままなのだろう?
自分の知識を周囲にひけらかすのに、
何故誰からも頼りにされないのだろう?
他の何よりも家族を優先しているのに、
何故家族の中にいて孤独感を味わっているのだろう?
どうも表示している姿とは現実を否定するように、
陰陽真逆に表示しているように思えてならない。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。