断捨離の極意は不要な物事を安易に排除することではない。
不要な物事を断捨離することで、
悪しき流れを浄化して善き流れを生み出すことにある。
つまり目的は善き流れを作ることにある。
これを理解せずして断捨離を繰り返しても何も生まない。
悪しき流れは自覚のないうちに心身を蝕む。
心身の異常を察知したら悪しき流れの元凶を見極めることだ。
意外にもたった一つの存在によって齎されていることが実に多い。
元凶を排除するだけで自然の流れで断捨離が進む。
無理のない断捨離は極めて善き流れを生み出していく。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
ビジネススキームに技術的ソリューション。
自己年金システムに理想郷の構築。
未来ビジョンを考えるには心の余裕が必須である。
経済問題に人間関係に加えて自身や家族の悩み。
悩みがあるとどうしてもそっちの方に意識が飛び、
マイナス思考で考えるようになってしまう。
こういう状況では前向きに未来を考えることができない。
常に未来を見て明るいビジョンを描ける状況とは、
いろいろな意味で幸福なる状況下においてのみできること。
夢想家だと馬鹿にしたければするがよい、
不満を抱えながら生きている人よりも数万倍も幸福である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
人の心は鬼や霊より怖いと思うことがある。
知らぬところで何を言われているのか。
平気で嘘をついては信頼を踏みにじる。
背景にあるのは自分の損得勘定と都合だけ。
自己都合のためなら簡単に関係性をも解除する。
人という存在そのものを信じてよいのか本当に解らなくなるときがある。
ただ本当に信頼できる人には一切の疑義は生じない。
何故なら何が起ころうがどうなろうが、
それは何か重要な裏事情があってのことだと考えるからだ。
これが真の信頼関係というものである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
何かを買う時にはお金を支払う。
同じように何かを得ると何かを失うものだ。
失うのが嫌なら何も得ようとしないことだ。
他者から貰うだけで生きてきた人はよく考えた方がよい。
得てきたものの対価を何処かで支払うことになる。
逆に与えてきた人は何処かで今度は戻ってくる。
失いたくないなら同等の何かを与え続けることだ。
世の中のすべてが自然の摂理で成り立っている。
ある地点でエネルギーは相殺されてゼロになる。
エネルギー不変の法則を学んで実践することが尊い。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
気に入っていた食器を割って落ち込む。
大切に取っておいた料理にカビが生えてショックを受ける。
頼りにしていた人に去られて途方に暮れる。
虎の子の貯金が無くなり不安が募る。
いつまでもあると考えているからそうなるのは当然だ。
万事いつかは無くなるものだと考えたらどうだろう。
「それは最初から無かったもの」
そう考えれば失う怖さから常に解放されて生きられる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。