2022年2月23日 00:00
正解か不正解か、
そんなことを幾ら考えても意味が無い。
正解か不正解かを評価するのは常に結果次第。
結果良ければ正解、悪ければ不正解。
一度自身で決めたこと、
正解となるように結果を出すしかない。
何を選択しようが結果良ければそれが正解である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2022年2月23日 00:00
正解か不正解か、
そんなことを幾ら考えても意味が無い。
正解か不正解かを評価するのは常に結果次第。
結果良ければ正解、悪ければ不正解。
一度自身で決めたこと、
正解となるように結果を出すしかない。
何を選択しようが結果良ければそれが正解である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2022年2月16日 00:00
どしゃぶりの雨。
傘をさしてもずぶ濡れ。
でも雨雲の上は何時も快晴。
雨の原因を取り除けば光の海。
雨が止むまで我慢するのか、
自ら雨雲を取り除くのかは自由だ。
ただ、雨が止まなかったことは一度もない。
雨の日には大人しくしていることだ。
傘が無くても濡れることはない。
「天の時を待つ」心境とはこういうものだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2022年2月 9日 00:00
良い生き方をしたいと強く思う。
そう思うと死ぬまでの時間を計算してしまう。
良い生き方を本当にしたいなら、
幸せな最期を迎えたいと考えることだ。
そうすれば一秒たりとも無駄にはできないはずだ。
何時死んでも悔いを残さないということは、
日々満足して生きる他に方法がないから。
その瞬間に本当に幸せだったと思いたい。
人間とは何十年という年月をかけて、
それを築いていく生き物なんだと思う。
最期のほんの僅かな刹那なる時間の為に、
その数百万倍もの時間をかけて。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2022年2月 2日 00:00
素晴らしい光景、これは全ての人に与えられている。
でも殆どの人はこの光景に気が付かない。
見えないのではなく見ようとしていないだけ。
チャンスも同様に全ての人に平等に与えられている。
チャンスを得られる人は、
意識して得ようとしているからに他ならない。
チャンスを得られるかどうかは意識の問題。
成功とは運でも偶然の産物でもない、
あくまでも必然的な感性と努力の結晶である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2022年1月26日 00:00
理由はどうであれ自身で選んでしまった道。
途中で曲がろうが回り道しようが自由だ。
ただし一度でも乗ってしまったら、
最後まで責任を全うしなければならない。
その結果最悪の状況になろうが、
すべて自身の原因と結果という責任である。
状況は常に変化し継続することはない。
一時の状況で別の道を選択するのは最悪手。
覚悟が無いなら自ら歩む道を選ぶべきではない。
歩む都度に迷惑だけを垂れ流すから。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
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