思うような結果が出ない。
ここで重要なのは結果の内容ではなく、
自身がそれを行った結果において、
有効な成果が出なかったという事実である。
どんな理由であろうと、どんな状況であろうと、
すべては自分の行動の原因における結果である。
言い訳はせっかくの結果を台無しにする。
善きにしろ悪しきにしろ結果を認めることが尊い。
尊べば如何なる結果も未来への糧となる。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
オチョコで一升の酒を注ぐことはできない。
大志を抱くのは大変良いことだ。
ただし相応の器を準備しなくてはならない。
自分で全てを背負い込めるほどの、
覚悟という大きな器を用意することが肝要。
小さな器からこぼれ落ちた酒は、
いったい誰が始末するというのか。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
雲は幾重にも階層的に存在する。
雲上の景色を見たければ雲の上に行くしかない。
下から見ている人には、
その上にある景色を創造すらできない。
一度でも雲の上に行った人は創造するに容易い。
何時間もかけて説明するよりも、
雲の上に連れて行き実際に経験させるのが真の教育。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
常に新しい事にチャレンジし続ける。
常に自ら苦労を背負い込む。
その理由など何も無い。
心の欲するままに生きているだけだから。
他者が思うほどの苦痛は何も無い。
リスクの無い無難で平凡な人生なんて、
スパイスの無い料理と同じで味気ないものだから。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
成功へのチャレンジを諦める。
怖いのは周囲の期待を裏切ること。
しかし本当に怖いのは自分に失望することだ。
本当の自尊心とは最後まで諦めない「強い心」。
自分の弱さを言い訳する為に存在しているのではない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。