2024年1月17日 00:00
知恵とは得るに容易く用いるに厳しい。
守るに善し攻めるに悪しく。
伝えるのは自由だが伝わるかは不明。
量より質で活用されてはじめて意味を持つ。
知恵はあくまでも有益に活用すべし。
自己都合で利用するなかれ。
先ずは他者利益に大いに活用することだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2024年1月17日 00:00
知恵とは得るに容易く用いるに厳しい。
守るに善し攻めるに悪しく。
伝えるのは自由だが伝わるかは不明。
量より質で活用されてはじめて意味を持つ。
知恵はあくまでも有益に活用すべし。
自己都合で利用するなかれ。
先ずは他者利益に大いに活用することだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2024年1月16日 00:00
人も物も財産も本当に欲しいと思うのなら、
自ら手に入れようと思わないことだ。
自分に相応しいものなら、
遅かれ早かれ自然に自分の手元に届くから。
手に入れたいものは追わずにじっと待つことだ。
「天の時を待つ」というのは、
「それを持つに相応しい人間になれ」という、
天が与えた試練なのである。
これが「謙虚に待つ」という本質である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2024年1月11日 00:00
良いものは良いものなりに、
悪いものも悪いものなりに、
バランスを取ってこの世に存在している。
このバランスを乱すのは、
いつも人の心の中に存在している。
人がひとたび何かを選択し行動を起こすとき、
必ず何かのバランスが崩れる。
それに気づき修正できればそれは存続し、
修正できなければそれは滅亡する。
形のあるもの無いもの、
全てのものが自然の摂理によって存在している。
真実とは目の前に起きている事実だけである。
少なくても頭の中の記憶ではないことは確かだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2024年1月10日 00:00
飛行機に乗ったら最後で引き返すことはできない。
自分の意思では何もできずに身を任せるしかない。
確実に目的値に運んでくれると信じるしかない。
人生もまた同じ。
選んだ波に乗ったのなら信じて自然に任せるべきだ。
自分の人生を自分の意思で切り開くのも良いだろう。
その行動や考えもまた運命に従ったまでである。
であれば抗わず素直に運命に任すのが最善策である。
自分に起こる事象の全てが原因があっての結果である。
自身の行動に周囲が素直に反応しているに過ぎない。
起こっているのではなく自分が起こしているのだ。
であるなら起こる事象全てを真摯に受け入れることだ。
それが自身で責任を取る覚悟ということである。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2024年1月 5日 00:00
「火の無いところに煙は立たない」、
これは明らかなる常識の罠である。
重要なのはそこに火があるかどうかではなく、
その煙はどんな種類の煙なのかである。
化学反応など幾らでも煙の要因は存在する。
もっと言えばその煙が本物かどうかである。
常識の罠は何処にでも存在する。
表面的なものに囚われず、
核心を見極める本物の目を持つことが肝要。
そして真実だけを追究することだ。
見えるものに囚われず見えない真実を見極めよ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
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