運が良いのか悪いのか。
良い事が起こったと喜んでいると、
その裏で別の頭の痛い問題が同時に発生する。
友人は「何も無いより幸せなんだ」と言う、
運が本当に悪ければ良いことも起きないのだと。
でも運が良ければ頭の痛い問題は起こらないはずだ。
「運が悪い人なら既に終わってる」と再度友人は言う。
いずれにしても状況が何であれ平穏に暮らせている事実、
とても幸運で幸福なことだと思う。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
自ら「スペシャリスト」と名乗るのはよいが、
その専門分野の核心事項を知らないなんて、
似非者と言われても仕方がない。
スペシャリストとは自身が自ら名乗るものではなく、
他者が尊敬の意を込めて称するものである。
本物のスペシャリストは極めて謙虚である。
出しゃばることもなく聞かれない事は話さない。
頼りない振りしていざというときには真価を発揮する。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
メダカにとっては先生と生徒でも、
他者が見れば誰が先生か生徒かは解らない。
組織あっての立場とはだいたいがそんなものだ。
組織の中ではどんなに偉くても、
一歩離れれば普通の人と何も変わらない。
組織を離れても人として尊敬できる人。
そんな人は何をやっても上手くいく。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
技術屋は技術屋の料理人は料理人の、
それぞれに相応しい拘りがある。
ある意味での生き方でありスタイルでもある。
相応の生き方は本人だけではなく周囲も大いに評価する。
本物のプロなら一貫とした拘りがあって当然。
ただし拘りには責任を持たなくてはならない。
それが「その道のプロ」という者の務めでもある。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
「釣り」は人間と魚との真剣勝負。
狙う魚の生活環境と習性が判らなければ、
幾ら粘っても釣ることはできない。
ターゲットの魚がいないところに、
幾ら糸を垂らしてみても時間が過ぎるだけ。
ターゲットの魚のいる場所へピンスポットで糸を垂らす。
方法が良ければエサも不要で勝手に釣れる。
ここで考えなくてはならないことがある。
成功者は何故常に釣果を出せるのだろうか?
それはターゲットを熟知しているからに他ならない。
釣具もエサも一切関係なく相手を熟知することだ。
これは全てに通じる事項である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。