人間は進化によって文字と言語を手に入れた。
代わりに心の目や耳を失なってしまった。
でも確かに今でも存在している。
どんな言葉や文章で伝えても、
心の目で観て心の耳で聴いている人が。
その存在を忘れてはいけない。
その人の関心事は言葉や文章なのではなく、
どんな心模様なのかということだ。
言葉でどんなにポーズを決めても、
人は何時も正直に心模様を表示している。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
光があるから影は存在でき、
影があるから光は存在を認識される。
フォローする者がいるから、
前線で活躍できる者が活躍できる。
前線で活躍する者がいるから、
フォローする者が評価される。
慰める者がいるから厳しく教育でき、
厳しく教育する者がいるから慰めの価値がでる。
攻めるだけでも駄目、守るだけでも駄目。
双方が揃って始めて意味と価値が出る。
褒めるだけでは人は弱くなり、
厳しいだけでも人は育たない。
何事も陰陽バランスが肝要である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
時間とは生まれた瞬間にある地点へと続く一本道。
この瞬間は二度と訪れることはない。
過去の時間は記憶として存在し、
これから先の時間は夢として存在する。
同じ時間なら夢の方が楽しいに決まっている。
どんな華麗な過去であったであろうが、
どんなに苦しい未来であろうが、
常に未来志向で前を向いて歩きたい。
未来は自分の意思によって創造され、
如何なる過去であろうが未来で修正できるから。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
年間勝率を計算し采配できるプロ野球監督は強い。
何勝すれば優勝できるかということを知っている。
他方で経験の浅い監督は必死だ。
毎試合勝つ気で戦うために余裕がない。
これでは選手がついてこれない。
名監督とは1年スパンで負け試合を計算できる人。
負け試合は選手の育成と休養に当てる計画をする。
だから優勝するチームは更に強くなる。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
いろいろ試しては失敗しながらも、
試行錯誤の末に手に入れたマイスタイル。
他者真似は表面だけのものだからしっくりこない。
マイスタイルとは外見ではなく生き方そのものである。
服装やアクセサリーだけがファッションではない。
思考も行動も全てがファッションである。
生き方にシンクロしてこそベストコーディネートとなる。
自分の生き方そのものであるマイスタイル。
何処から見ても隙がなく眩しいほどに輝いている。
完璧な人生のトータルファッションである。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。