思い込みは無駄な選択肢が消えうせ、
思考を絞り込むことができる。
不安が無くなり思い切った発想や行動ができる。
脳の合理化による思い込みは確かに有効な手段でもある。
ただし危険極まりないことを正しく理解することが肝要である。
一つ、真実を見極めようとしないから偽りの情報に翻弄される。
二つ、自分だけが納得する独善的な選択になる。
三つ、その結果人と信頼を失い孤軍奮闘することになる。
それでも人は思い込みを止めようとはしない。
楽に生きていく為と言われればそれまでだが、
結果が伴わなければ本末転倒の極みにも程がある。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
若いときには若いときなりの、
歳を重ねたら重ねたときなりの、
それぞれの年齢に相応しい価値観と生き方がある。
若者がベテランの真似をしたって敵わない、
熟年者が若者と張り合っては品が無い。
年代に相応しい生き方を通している人は実に爽やかである。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
世間とは自分が思っている以上に優しい。
わがままに嘘や偽りに弱さや未熟さと、
周囲はみんな解っているけど目を瞑る。
それを口にしないし追求しようともしない。
誰も無意味な波風を立てたいとは思わないから。
ただし自律した大人というのは、
その優しさは本物ではないことを真摯に認識する必要がある。
そんな偽りの優しさに甘えていては成長することはない。
だからいつまで経っても成功することもない。
いつかは成功したいと心から願うのであれば、
過去の行いを省みて自身を律して生きることだ。
甘えの中に成功の二文字は存在しない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
人生設計とはビジョンとゴールを定め、
逆算によってその時々の行動を計画するものである。
そこにリアルな人生そのもののエッセンスは何一つも無い。
人生とは今この瞬間が極めて重要であり全てである。
今起きている事実と選択によって、
その延長線上に未来の人生が創造され育っていく。
「あと何年生きられるか」、
安直な逆算で人生を考えるから今を必至で頑張らない、
「 まだ時間が有る」、
その思考がいつまで経っても重い腰を上げようとしなくなる。
これが今この瞬間を大切にしない要因である。
幸福なる最期を迎えたいと思うのであれば、
いつ死んでも後悔のないように、
今この瞬間に全力を出しきって生きることだ。
人生設計と人生とは根本から次元が異なる事項である。
どんなに計画しても計画通りにならないのが人生。
明日を考えず今この瞬間に、
自分の全てを出し惜しみすることなく出し切ることが尊い。
それが結果的に悔いを残さず、
人生設計以上の幸福なる人生をまっとうできる。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
それぞれが自分の使命を知り、
その使命に従い役割をまっとうすれば、
それぞれの持つ能力は100%活かされる。
それぞれの目標と価値観が一致したとき、
分散されたベクトルが一つになり、
少人数でも大きな力を発揮する。
和の法則とは数やそれぞれの能力に非ず。
それぞれが自分と相手を知り相互に認め合い、
一つに纏まるところに在る。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。