水は高いところから低いところへと流れる。
これが自然の法則。
お金は低いところから高いところへと流れる。
これが経済の法則。
法則を理解し法則どおりに生きること。
法則に抗っても新たな法則は生まれない。
水が欲しいなら低いところへ。
お金が欲しいなら高いところへ。
法則どおりに生きれば欲しいものが手に入る。
何事も法則どおりに生きる人が成功する。
これが成功の法則。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
人は認めるか否かは別にして自分の本当の姿を知っている。
どんな暮らしが似合うのか、
何をしているときが楽しいのか。
それでもふと魔がさすときがあるようだ。
他者から羨まられる暮らしがしてみたいとか、
価値を認められて凄いと崇められたいとか。
でも何処かでふと気付く。
それはやっぱり自分ではないと。
自分の人生は自分のもの。
それであるなら無理せず本当の姿で生きるべきだ。
心の奥から湧き出てくる本物の笑顔で過ごしたい。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
心から楽しいときには笑い、
心から悲しいときには泣き、
心から許せないときには怒る。
心のままに自分を表現できたらどんなに楽だろうか。
人は生きるうえで様々な理由で心を抑えられている。
一人で生きているわけではないから、
解っていながらも反発したいときもある。
それもまた人としての本質。
人として正しく生きていこうとするなら、
「人としての正しい道」を真摯に受け入れるしかない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
自身の理想を抱いたら、
「そうなれば良い」というのは、
あまりにも軽い気持ちである。
「絶対にそうならなければ駄目なんだ」と、
強烈に意識することが肝要である。
理想というのは単なる思いや希望ではない、
超現実という名の未来に起きる事実なのだ。
理想という名の超現実。
強く大きな志と何事にもぶれない心、
この瞬間を優先する行動によってのみ創造される。
ただし条件が一つ在る。
私欲を捨て結果責任を取るという覚悟が必須。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
白は白、黒は黒。
これまで正直にズバリ選択して生きてきた。
でも時々グレーも気持ち良いと感じるときがある。
好きか嫌いか、白か黒か。
あえてはっきりさせないこと、
これが一つの大人の対応というものだと思う。
意味が無ければ白か黒かに分ける必要もない。
グレーはグレーのままで良い。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。