天使の眼鏡をかけると天使は天使に悪魔は悪魔に見える。
悪魔の眼鏡をかけると天使が悪魔に悪魔が天使に見える。
ここで問題であるがどちらの眼鏡もかけていないのに、
天使が悪魔に見える人とはいったいどんな人なのだろうか?
何れにしても同じ特性の目を持つ人間同士が寄り集まり、
世界を二分して住み分けているのは確かな事実である。
この両者は大きな意味を持って必然的に出会ったとしても、
如何なる価値観も共有できない関係になることだけは確かだ。
どのような関係を構築しようが短期間で崩壊してしまう。
これが最大の根拠であり真実でもある。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
情報収集家でも有効な情報発信を知らず。
資産家でも有効な資産活用を知らず。
起業家でも有効な事業戦略を知らず。
こんな人は一人では何もできないのと同じである。
自分で何でもできるという人にはっきり言おう、
それは「根拠の無い思い込み」というものである。
人が集まるところには自然に秩序が生まれる。
自分を必至に磨くことよりも、
お互いを補完しあえる人を探すことだ。
その人から永遠に続く信頼を得ることだ。
それが成功へ最も早く到達する近道である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
植物もまた自然の摂理に従い生きている。
花を咲かすことのない植物に、
幾ら水や栄養を与えどんなに世話しても、
決して花を咲かすことはない。
ところが花を咲かすことのない植物は、
受粉を必要としない方法で繁栄している。
人もまた同様に花が咲かないからといって、
繁栄しないわけではない。
花を咲かそうと無理する前に、
自分はどんな特性を持って生まれたのか、
しっかり見極め受け入れることが肝要である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
認められたいと思うなら、
認められたいアピールをしないことだ。
好かれたいと思うなら、
好かれようと媚ないことだ。
褒められたいと思うなら、
褒められようと自分に無理しないことだ。
楽に生きたければ、
素のまま正直に生きることだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
どうせ見るなら万事でっかい夢を見ることだ。
興すなら大金叩いて大きな事業を作り上げることだ。
意外と夢と事業はでっかいほうが上手くいく。
後戻りできないから前に進むしかない。
言い訳できないから有言実行するしかない。
他者ごとなど気にせず必死でやるしかない。
だから夢と事業はでっかいほうがいい。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。