経済の3原則である統計・ファンダメンタルズ・マインド。
最も基本的事項は過去の事例の統計である。
ただし100%という統計は見たことがない。
統計とはマジョリティを示しているに過ぎない。
統計値に100%が無い限り例外は必ず存在する。
みんなが駄目と言うものでも、
自分が正しいと思えばそれを行うことが尊い。
例え1%の可能性であってもゼロではない。
更にはゼロでもやってみる価値は極めて大きい。
何故なら新しい事例を作ればよいだけだから。
どんなことでも最初の事例の前は常にゼロである。
どうせやるなら最初の1人になればよい。
最後に結果を残した者が勝つ。
それが次世代に過去の事例となる。
世界初の事業において前例はどこにも存在していない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
今の状況しか見えない思い込み人間とは、
常に人生設計の選択肢を誤り続ける。
人が羨むほどの幸福感と避けて通りたい苦境。
実はこの2つは全く同じ次元に存在している。
その意味は未来において実感することになる。
善い事と悪い事。
今の状況とはその瞬間までの過程と、
その後の状況との通過点でしかない。
今この瞬間の状況は、
天国へのエスカレーターなのか、
地獄への階段なのかは誰にも解らない。
その通過点での刹那な状況を見て善悪を判断するのは、
長い人生において何の意味も持たない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
世の中には2種類の人種が確実に存在している。
自分を優先するか他者を優先するか。
「理」を重んじるか「情」を重んじるか。
他者に任せるのか自ら主導するのか。
光と影の如しで陰陽両立は自然の摂理なり。
人間にも陰陽二極の人種が存在する。
どちらが良いか悪いのかの話しではない。
どちらの極を選んで生きるかの問題である。
自分は陰陽どちらの人間か解らない?
類は友を呼ぶが如しで気が合う人種ですぐ解るはずだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
地球に存在する全てのものに、
自然の摂理が存在する。
それは物理的な物体のみに限らず、
目に見えない事象含めて全てに存在する。
その摂理とは「重力」である。
落ちるに易し上がるに難し。
落ちる速度は上がる速度の10倍以上。
1年の低迷は10年かけて回復し、
10年の繁栄は1年で消えるということだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
コンプレックスとは劣等意識。
「志」を「野心」に変える。
「思いやり」を「猜疑心」に変える。
「指導」を「強要」に変える。
「試練」を「理不尽」に変える。
「アドバイス」を「否定」に変える。
「愛情」を「欲求」に変える。
ストレートに思いやりの心が通じなかったら、
その人は確実に何かのコンプレックスを抱えている。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。