季節がら世の中は早くもクリスマスムードになりつつあります、特に今年は新型コロナウイルスパンデミックで抑えられていた気持が一気に爆発しそうな気配が漂っています、他方小寒い風を受け世の中の浮かれ気味な人達を見ては更に寂しさを倍増させる人もいることでしょう。
幸いなことに私は孤独感も寂しさも一切なくパートナーや門下生たちと毎日のように前向きな話しの中で食事や酒を楽しむことができています、本当に些細なことですがこんなことでも幸福感を味わえる歳になったのだとつくづく思います。
先日そんな皆と久しぶりに居酒屋で飲んでいるときにふと脳裏に浮かんだのですが現在の状況とは常にこれまでの生き方の結果が表面化しているだけなのだと思うのです、こんな季節に孤独感と寂しさを味わう人がいるとしたらこれまでの生き方が単に表面化してしまっているだけです。
今の状況が理想とかけ離れているのであれば今がラストチャンスだと思ってこれまでの生き方を省みて修正したら如何でしょうか、原因が無ければ結果は生まれないのです、何故今こうなっているのかと自身と真摯に向き合い過ちを見極めることが肝要かと思います。
今の状況が理想と異なるのは過去のどこかで大きな選択ミスをしたのです、それが今という未来が開けているだけなのです、この全てが過去の自分の選択と行動の結果でしかありません、であれば今この瞬間の思考と行動で同次元と同環境に居ながら別の新たなる未来が開かれるということです。
やり直しに遅過ぎるということはありません、何歳になっても気が付いた時がやり直す絶好のチャンスだと思います、チャンスをチャンスだと思えないのは自分の覚悟の問題です、実は周囲は温かい手を差し伸べているのかもしれません、心が荒むと他者の温かい愛情でさえも疑うようになります、人生こうなっては本当のお終いです。
ただやり直すというのは後戻りを指しているのではありません、後戻りは自分の思惑とは裏腹に最悪の結末を迎える可能性が極めて高いです、何故なら元の環境は同じでも時間経過によって別の未来が開けてしまっているからです、そして自分も元の自分ではない思考にスイッチされています、まあ一度戻ってみたらすぐ解ります。
元の環境に戻れる人は空白の時間を過ごしていた人だけです、例えば育児休暇とか長期入院などです、それでも完全に脳が元の状態に戻るにはかなりの時間がかかります、進むも地獄、戻るも地獄、どちらを選ぶかと言われたら考えるまでもなく成功する人の答えは一つしかありません、自分が選んで進めてしまった時間は抗ったところで戻らないのですから。
付き合いに新規事業等々、何事も始めるときには未来志向で前向きに気持ち良く進められます、他方で離別・解消・離婚に廃業と一度始めた事を終わらせるのはどうしてこんなにも大変なのでしょう。
例えば法人の廃業や解散登記は債権者への官報告知や解散登記などの費用が重く圧し掛かり設立以上の費用がかかります、終わらせてゼロにするのにも大金を払う必要があるのです、更には第三者債務が1円でも残っている場合には実質的に解散登記はできません。
また起業家として告知してしまった後の解散は自身が認めたくない事実として残るのでなかなか腰が重くなるのも解ります、事実これらの経済的&精神的苦痛が負担となり済崩し的に決算も行わずに放置して逃げてしまう人が後を絶ちません。
でもここで綺麗に清算しておかないと次の始まりも綺麗にスタートできないのです、これを本当に真剣に考えてほしいのです、つまり終わらせる清算費用ではなく新しき世界を開くための投資資金だと考えて綺麗に終わらせることに関して前向きな気持ちで行ってほしいのです。
法人決算を行わずに放置し税務署からの呼び出しにも応じずにズルズルと済し崩し的な終わらせ方を選択する人がいますが、12年間決算申告や変更登記など何の動きも無いと法務局では法律に基づいて「みなし倒産」という処理を行います、これが最悪の結末となることを記憶しておいてください。
無責任にも自身の都合で設立した法人の後始末を国に押し付け長期間納税せず(脱税)に解散費用などを自己責任の放棄により国に負わせたという犯罪者となるのです、各種の記録が公的機関に残り金融機関の取引もできません、結果的にその後の人生そのものが上手くいくことはありません、海外逃亡などで逃げ続けるのが精いっぱいの残された行動です。
法人を設立するということは我が子を産んで育てるという意識に通じます、設立した法人を放置するような人は必ず自分の子供も養育放棄して逃げる人だと思います、自身が選択することで起きてしまった事項の終わらせ方、ここに人となりと責任意識の有無がはっきりと出るのです。
もしも自身が興した事業を綺麗に廃止するなら真面目に決算申告と納税を行い債権者への説明と債権債務の清算を綺麗に行って潔く解散登記して欲しいと思います、それは次代の人生再出発の為の最低限の責任履行に他なりません。
そしてどんな事業も収益のピークの時に撤退を既に決意しておく、これが精神安定上重要です、下り坂になってからの決意では負い目を背負った決意となるからです、どんな事も終わらせる時には絶頂期に決意することです、これが前向きな終わらせ方となりその後の人生が上手くいきます、なぜなら絶頂期での清算は傷が少なく迷惑も最小限で済み他者の恨みも買わずに済むからです。
どんなことでも終わらせ方は潔く綺麗に絶頂期に行うことです、上手くいかなくなってからの逃げの撤退では多くの人に迷惑をかけるだけではなく自身の中に負の実績だけが残ります、この負の実績は時間が経つにつれ大きく育ち呪いのように忘れた頃に大きな災いとなって降りかかってきます。
「家族を守る為」、「これ以上迷惑をかけられないから」、これほど本人の意図とは裏腹な無責任な言葉はありません、よく考えてみてください、全てが自己都合の結果でありその尻拭いはいったい誰がやるのでしょうか?
新型ウイルスパンデミックにより我慢の生活を強いられている世界中の人々がいます、この中で私の最大の心配事は今の若者たちの心理的な影響です、何が心配なのかと言うと例えば大学生は既に大事な4年間の各種の自由の実に半分が失われているわけです、小学・中学・高校生は修学旅行やスポーツイベントなどが中止になっています。
更にこれがあと1年以上続いたらどうなるでしょう、おそらくこの間に芽生えた心理作用は彼らが社会と経済を動かす中心的な立場の年齢になった時にふと表面化してくるような気がしています、つまりその時に自分よりも20年ほど若い世代に「我慢しろよ、俺だってその歳の頃は自由が奪われたんだから」という精神的な負の連鎖です。
これが世界中で起きてきたらその時代の若者はどんな心境になるのでしょう、そんな事をつい老兵心で考えてしまうのです、というのは実は私の年代も同じように若い頃に言われていたからです、それは戦中に若者だった世代の人たちにです。
そんな世代の人たちは私の年代を「三無主義世代」と呼びました、三無主義とは「無関心・無気力・無責任」の3つの無を表したものです、何かやりたい事ができてやり始めればこの三無主義を出しては拒否され妨害までされ続けてきたのです。
28歳での起業後にもその世代の人から受けた謂われ無き営業妨害や取引拒否はいまだに忘れることはできません、悔しさよりもその世代の人に憐れみまで感じるようになってしまいました、こんな負の連鎖が20~30年後に再び起きるのかと思うと心が痛みます。
今の若者たちには「自分が苦労した事を後世に残さないようにと未来志向で生きる」、そんな広い心で明るい未来を信じてやりたい事をできる範囲で工夫を凝らしてやってほしいと願うばかりです。
少子化を食い止める特効薬は「一夫多妻制の復活にある」などという無茶苦茶な激論が一時期世界中で湧きあがって久しいです、確かに力の有る者がどんどん子孫を増やせばあっという間に経済が復活し国力が増すだろうと国や地域を執り仕切るほんの一部の者が考えてもおかしくはありません。
ところで何故人類はある時を境に一夫一婦制に移行するようになったのでしょうか、ほとんどの知的哺乳類、そして人間もまた長い期間一夫多妻制でした、ところがある時期に突如として全世界中で同時多発的に一夫一婦制に変わったのです。
他方でいまだに一夫多妻制を合法としている国や地域は残っています、ここで問題になる事実とは何なのでしょうか、この疑問を明確に歴史を調査して解明した人達がいます、カナダとドイツの合同研究チームがイギリスの科学雑誌ネイチャー・コミュニケーションズに研究論文を発表しました、その論文を簡単に説明すると理由はなんとある種の「菌」だったのです。
昔ある種の接触により感染する菌が一家十数名を全滅させてしまった事件があったのです、その菌は国中にあっという間に広がりました、その菌の感染防止策として当時の医学者が中心となり法的に接触する人を限定しようと一夫一婦制を提案したわけです。
この研究論文はそれまで「人類の脳の進化によって同時期に道徳性や平等性が生まれた」とする人類学者や考古学者を一瞬にして黙らせてしまいました、物事とは正解が齎されるとそれまでの常識が一瞬にして覆されてしまうのです。
何が正しく何が誤りなのか解明されるまで全てが神の領域なのです、雷が放電現象であることが証明されたのが1911年、その発生するメカニズムが物理的に解明されたのが日本の高橋劭博士による「着氷電荷分離理論」であり約30年前の1978年です、それまでは雷は神の仕業とされてきたわけです。
現代でもでたらめな情報を信じて誤った判断行動をしている人が多数います、更に怖いのはそれを意味も理由も理解せずにただ面白がってシェアする世の中の感化風習はあまりにも無責任極まりないと思うわけです、自分の身は自身の正しい情報キャッチ能力と分析力で守るしかありません、兵法に「毒(潜んだ罠)にやられる者が愚かなのだ」という教えが示すように。
今4月下旬に区から「介護被保険者証」なるものが届きました、中には紙製の3つ折りの保険証が入っており丁寧な利用マニュアルや利用申請に使う返信用封筒なども入っています。
現在のように保険証がカードになる前は保険証といえばどこの保険組合でも3つ折りの紙の証書でした、持ち歩くのには不便ですが何か懐かしい感じを受けました、満65歳になると使えるようで要は介護が必要になった際に公的な各種介護サービスが受けられるというものです。
そう言えばずっと年金と共に支払う保険料に介護保険料も含まれており、こういうことだったのかと改めて身をもって実感することになりました、隠居延期を決意した直後に届くとは何とも妙な感覚に包まれましたが何かあった際の文字通り保険という意味では今後の安心材料には充分です。
年金も今8月の支給から満額になります、各種の制度も高齢を意識するに充分な状況になってきたということです、そういえば65歳以上のコロナウイルスワクチンの優先接種ですが先の介護被保険者証とほぼ同時に予約表が届きました。
4月1日以降に満65歳以上の者が対象のようで、もれなく私も対象者ということになるのですが何とも同時期に高齢を意識せざるを得ない事象が多々発生します、避けては通れない加齢、その年齢でしかできない愉しみを淡々と大いに愉しんでいきたいと思います。
身体は老いを感じざるを得ませんが脳は老いて益々元気です、ITシステムの設計なども以前よりもスピーディにそして精度も増してきているようです、特許出願もこの1年で8件です、身体へ回すエネルギーが脳に集中しているかのような状態です。