豪雨転じて晴天。
雨上がりの空はこの世で最も美しい。
現世とは思えない景色を表す。
清々しくもあり神秘的でもある。
人生の転機もまた同様である。
このすばらしい景色を見たいがために、
ストイックなまでに自身を追い込み、
そして限界をも突っ切り踏ん張れる。
晴天の喜びに沸く仲間の歓喜が、
心地よい空間に響き渡る。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
道が変われば景色が変わる。
景色が変われば思考が変わる。
思考が変われば人間が変わる。
道が変われば出会う人が変わる。
出会う人が変われば学びが変わる。
学びが変われば人生が変わる。
道が変われば全てが変わる。
どの道を選ぶのかは他ならぬ自分。
今の自分は自身が選んだ道を進んでいるに過ぎない。
満足していないのであれば、
躊躇せずに道を変えれば済む話である。
ただし引き返すことはできない。
例え元の道に戻っても既に以前の道ではない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
どんな結果が齎されようが、
周囲が納得する理由付けを「大義名分」という。
大義名分は自己責任を回避させる効果を持つが、
同時に信頼を失うことリスクが伴う。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
世に多く存在する見えない価値。
これを早期に見出した者が勝者となる。
見えているものに価値を見出したところで、
既に多くの人が群がっている。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
科学は万能ではない。
真実を物質論で見出すのが科学なら、
精神論で見出す方法がなくてはならない。
それが揃って初めて森羅万象を正確に捉えられる。
真実を見出そうとする科学にも様々な方法がある。
それが物理学であり、数学であり、化学である。
その一つの方法で見えるものは、
真実のほんの一部の側面でしかない。
その一つの方法を学び知り、
全てを解ったつもりになるのは、
大きな驕りであり愚かなことである。
物質的な物事にも精神的な物事にも陰と陽がある。
その真実を解く方法にも陰と陽が存在して然るべきだ。
この世に完全なる方法など存在しない。
全てが未完成な人間が生みだした、
偏見によって作られた方法に過ぎない。
その全てを解ったうえで、
森羅万象にそれぞれを的確に用いれる者が、
調和の取れた人間ということである。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。