2021年12月18日 00:00
他者の事はあれこれと批判し、
自身の事は言い訳で擁護しては正当化する。
成功しない人の最大の特徴がこれだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2021年12月18日 00:00
他者の事はあれこれと批判し、
自身の事は言い訳で擁護しては正当化する。
成功しない人の最大の特徴がこれだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2021年12月16日 00:00
「いにしえの道を聞きても唱えても、我が行いせずば甲斐なし」
日新斎(じっしんさい)の号で知られる島津忠良の、「日新公いろは歌」より学びの姿勢を示したこの一言。
忠良は幼少のころ「朱子新註四書」を教えられ、また禅を修め神道の奥儀を究め、儒・神・仏の三教を融合して新たに学問を開きました、これを日学と称されます。
戦国の世に在りながら、学びに学び抜いた智将の根拠ある一言は実に深いものがあります。
多くの優れた教訓や学びを聞いても、また唱えたとしても、自分自身が経験してみなければ何も身に付きません。
孔子も「一つを学んだら機会を得て試してみる」と学びの姿勢を示しています。
知識を得ても体得したことにはなりません、知識は経験によって知恵と代わり自身のものと成り得るのです。
失敗も一つの学びです、どんな事も経験を積めば何れは徳となります。
失敗など恐るに足りません、人生で恐れるべきことは辛いことや嫌なことから逃げ出す自身の弱さに失望することです。
2021年12月15日 00:00
昔々、木阿弥(もくあみ)という人がおりました。
何をやっても中途半端で村の厄介者でした。
そんな木阿弥が急に何を思ったか、
突然家族を置いて山に籠ったのです。
修行僧となり今までの人生を悔い改めようと、
木の実と野草を食べ孤独と戦う日々。
しかし僅か数年で家に戻ってきたのです。
村人は昔と何も変わってない木阿弥を見て嘲笑しました。
「やっぱり元の木阿弥だ」
志を一度持つと天は必ず大きな試練を与える。
その繰り返す試練に耐えることを修行と呼ぶ。
何故か修行を始めるや否や障害が立ちはだかり、
心身共に追い詰められていく。
認めてもらえない環境ギャップ。
押し寄せるノルマの山に結果を出せない重圧。
自分の弱さ未熟さが一気に表面化する恐怖感。
今までの価値観や知識が無力化される絶望感。
果ては自己都合の名分を作って試練から逃走。
これまでの苦労が一瞬にして無意味化する瞬間。
「元の木阿弥」
人生に挫折という実績と悔いを残すことになる。
一生かけても拭い去ることができないほどの。
まあ、逃走は百歩譲って善しとしても、
我慢強く支援してきた人達に対して何をどう清算する?
綺麗に清算せずして人生のリスタートは不可能である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2021年12月12日 00:00
説明や商談の際の話の長さは、
根拠の無さと後ろめたさに比例し、
覚悟と心の余裕に反比例する。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2021年12月11日 00:00
「ピンチはチャンス」
これは何をやっても上手くいかない人へ、
慰める言葉が思いつかない時に使う言葉でもある。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
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