理由はどうであれ自身で選んでしまった道。
途中で曲がろうが回り道しようが自由だ。
ただし一度でも乗ってしまったら、
最後まで責任を全うしなければならない。
その結果最悪の状況になろうが、
すべて自身の原因と結果という責任である。
状況は常に変化し継続することはない。
一時の状況で別の道を選択するのは最悪手。
覚悟が無いなら自ら歩む道を選ぶべきではない。
歩む都度に迷惑だけを垂れ流すから。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
人間とは自分のモノサシで他者を評価する生き物である。
だから他者を評価するときは、
自分のモノサシが暴露することを理解すべきだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
如何なる理由があろうが、
根拠のない正論を「詭弁」という。
それを正当化する行為を「言い訳」という。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
「大名たる我はあの鶴の身持ちと変わらぬ。 我らが昼夜の心遣いを察せよ、汝ら家臣は鶴を羨まず雀の楽しみを楽しめ」
織田信長の家臣で、文武共に優れ織田四天王の一角と周辺諸国の武将に言わしめた滝川一益の一言。
滝川一益は武勇伝の数々を残すも、出生に始まり謎が多い人物としても知られています。
鶴は大きくて美しい鳥かもしれませんが目立つので常に敵の標的となり、何時も周囲に気を配り昼夜問わず周囲を警戒していなければなりません。
それに対して、雀は小さくかよわい鳥であるが周囲を気にすることなく常に自由な振る舞いをしています。
「鶴は鶴の雀は雀の特徴がある、他者を羨むことなく与えられし立場を全うせよ」ということです。
例えば鉄は鉄としての、アルミはアルミとしての特徴を持っています。
メッキを施し、その特徴を消してしまえば本来の良さが出ないばかりか間違った登用をされてしまいます。
成功する人は「人はそれぞれに役割を持って生まれてくるもの、他者を真似たり他者の行動に踊らされることなく、自らの使命を知って自分に相応しく自然に従うが最も幸福である」ことを常に念頭に置いて思考しているのです。
無難に他者の真似も良いけれど、
カッコ悪くても常に自分流を通す勇気が肝要。
周囲が同調するのは発する言葉ではない。
一貫として自分の生き方を姿勢で示すこと。
その姿勢に人は心動かされる。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。