「我、兵を持って雌雄(しゆう)を戦いで決せん。 塩をもって苦しめることはせぬ」
雌雄とは白黒、もしくは勝ち負けなど陰陽の意味を表しています。
戦国の名将上杉謙信の実に情を感じる言葉です、是非とも心に刻んでいただきたいと思います。
この一言は、ご存知「敵に塩を送る」という諺の起源です。
武田信玄が3国同盟を破り今川に攻め入ったとき、それに激怒した今川が北条と手を組み武田領の周囲を閉鎖し物資の道を絶ちました。
これを聞き及んだ謙信は宿敵であるにも関わらず、武田軍に今の長野県松本市で塩を送ったのです。
この美談は、今もなお「塩の市」改め「飴の市」として松本市の中心街に受け継がれています。
この一件の後、信玄は謙信に命よりも大事にしていた伝家の宝刀を贈ったのです。
ちなみに上杉謙信は戦国武将一の名刀コレクターとして知られており、28もの名刀を残し国宝に指定されているものもあります、その多くは現在各地の博物館などに保管されています。
どんな時もどんな相手に対しても正々堂々と渡り合うこと、それが人の正しい道ということです。
そういう人には、何も言わなくも周囲は自然についていくものです。
言葉や外見で幾ら飾ろうとも、生き方やビジネスへの姿勢が醜くては人を心から魅了することはできません、周囲にいる人の立場を重んじて義を通すことが肝要です。
イギリスの時事経済週刊誌である「エコノミスト」の最新号の記事によると2008年のリーマンショック以降に民主主義指数が大幅に落ちている国が89カ国にものぼると報告しています、ちなみに民主主義指数が上昇した国はわずか27カ国だけです。
これらの民主主義指数が落ちている国の情勢を調査して出てきた成果が極めて興味深いのです、これを記憶に残す目的で私はこの記事を書いています、民主主義指数が下落している国の特徴は「国家危機克服を宣言したリーダーを国民が選出する傾向がある」、「これによって選ばれたリーダーは仮想敵国を作り上げて何かにつけて強引な要求や無意味な攻撃を行う」、「反目する勢力を去勢し退ける」、「メディアを掌握して世論を操作する」というものです。
こういった国状を作り上げているリーダーを「新型独裁者」という名で指摘しています、さて私にはこの4つ全てにずばりと当てはまる非常に解りやすい国が幾つも思い浮かびます、だからと言って私はその国を否定することも嫌悪することもありません、ただ国民自身がリーダーに誘導されていたと気付いた時に国家と自分に失望する時が必ず訪れると思っています。
更にはその状況を慌てて修復するにも膨れ上がった借金の山と誤った方向で築き上げてしまった社会ルールを戻すには気の遠くなるほどの時間がかかることになります、ムードを演出され盛り上がっている時には誰も近未来に訪れる不幸については考えません、感化させられていることなど疑いも無く明るい未来がすぐそこに来ることを信じてリーダーを支持し続けているのです。
先の世界大戦の際には多くの国で民衆は群衆心理を操られリーダーの意のままに地獄へと進んでいきました、歴史は面白いように繰り返します、スペイン風邪から100年後の新型コロナウイルスの出現、先の世界大戦開戦から80年、その前の第一次世界大戦開戦からは105年です。
ちょうど今の世界情勢はまさに産業革命後に起きた第一次世界大戦直後から第二次世界大戦開戦前の世界情勢に酷似していると思うのは私だけでしょうか、先の世界大戦後の混乱から約半世紀に渡る高度技術革新に支えられた平和な時代を余所に今世界は何処へ向かおうとしているのでしょうか。
新型ウイルスパンデミックにより我慢の生活を強いられている世界中の人々がいます、この中で私の最大の心配事は今の若者たちの心理的な影響です、何が心配なのかと言うと例えば大学生は既に大事な4年間の各種の自由の実に半分が失われているわけです、小学・中学・高校生は修学旅行やスポーツイベントなどが中止になっています。
更にこれがあと1年以上続いたらどうなるでしょう、おそらくこの間に芽生えた心理作用は彼らが社会と経済を動かす中心的な立場の年齢になった時にふと表面化してくるような気がしています、つまりその時に自分よりも20年ほど若い世代に「我慢しろよ、俺だってその歳の頃は自由が奪われたんだから」という精神的な負の連鎖です。
これが世界中で起きてきたらその時代の若者はどんな心境になるのでしょう、そんな事をつい老兵心で考えてしまうのです、というのは実は私の年代も同じように若い頃に言われていたからです、それは戦中に若者だった世代の人たちにです。
そんな世代の人たちは私の年代を「三無主義世代」と呼びました、三無主義とは「無関心・無気力・無責任」の3つの無を表したものです、何かやりたい事ができてやり始めればこの三無主義を出しては拒否され妨害までされ続けてきたのです。
28歳での起業後にもその世代の人から受けた謂われ無き営業妨害や取引拒否はいまだに忘れることはできません、悔しさよりもその世代の人に憐れみまで感じるようになってしまいました、こんな負の連鎖が20~30年後に再び起きるのかと思うと心が痛みます。
今の若者たちには「自分が苦労した事を後世に残さないようにと未来志向で生きる」、そんな広い心で明るい未来を信じてやりたい事をできる範囲で工夫を凝らしてやってほしいと願うばかりです。
「兵が多いか少ないかで決まるのではなく、一つにまとまっているかどうかである」
大友一族である立花宗茂の組織を作る者への金言であり、経済誌でもよく出現する名言でもあります。
立花宗茂は、島津忠長・伊集院忠棟の率いる5万を超す島津軍を相手に数百という僅かな兵で立花城に籠城し、兵法の計を次から次へと繰り出しては島津軍を大いに手こずらせた文武に優れた策士です。
その策士である宗茂が、島津軍を退けた後に放ったこの言葉は流石に重い一言です。
ビジネスの世界でも同様に、組織力とは数の勝負ではなく目標を一つにしてまとまることにより少人数でも大きな事を成し得ることができるのです。
ビジネス勝者に必須なのは、資金力や組織力の数の勝負ではなくあくまでも経営テクニックと戦略戦術です。
的確な戦略戦術は、資金や労力を数倍にも高めることが可能となります。
ベンチャー企業は無いもの尽くしです、無いことを嘆くより有るものに大いに感謝すべきです。
社員や事業パートナーは量よりも質が重要になります、そして社員が10人しかいないと嘆くのではなく一緒に未来を築く社員が10人もいると奮起することが肝要なのです。
今回の東京2020オリンピックは史上初の1年延期と無観客という歴史に残るオリンピックとなりました、更に言うと過去最高の大赤字も記録に残るでしょう、開催が決まった時点での開催費用は7300億円でしたが延期と来訪者の新型コロナウイルス感染防止対策などにより最終的な費用はその倍以上の1兆6000億円となりました。
経済効果も30兆円以上と目論みされていましたが逆に当座は4兆円の赤字になると試算される悲惨な状況です、国内外のメディアは口をそろえて「大失敗」と書き立てていますが果たして本当のところはどうなのでしょうか、あくまでも私見ですが公共メディアで記事を書く人は現実の数字ばかりに気を取られており本来の経済という本質を知らないのではないかとさえ思えてきます。
経済というものを理解していないとこういう記事になっても致し方ないでしょう、しかし一人くらいは正確に経済効果や経済循環を理解して記事を書く人がいてもいいのではないかと思うのです、なぜならそれなりの大学を出て勉強してきているはずなのですから国際情報を配信するメディア企業のリポーターなら少なくても経済循環を理解していて当然だと思うのは私だけでしょうか。
さて経済という観点で今回の東京2020オリンピックを検証するならば4兆円の赤字は未来の収益への投資だと考えることができます、何故ならそのお金は日本国内の市中に落とされ循環するものだからです、IOCへの支払いなど国外に出ていく費用もありますがこれも時間をかけてコンテンツ料収益や日本製品の購買増などで充分に回収可能だと考えています。
つまり国策としての経済起爆剤として考えればこの後の日本国内の経済効果は充分に期待できると思います、むしろ新型コロナウイルスパンデミックによる経済失速を緩和させた効果を考えるべきだと思うのです、こういう記事をメディアの記者はどんどん書いてほしいのです。
4兆円の赤字は水の泡となって消えたのではありません、市中に回されただけなのです、この結果と効果は数年後に明確に理解できるでしょう、だから2030年の冬季オリンピックに日本が手を上げるのは決して反省の無い無謀な判断ではなくむしろ未来志向での思いきった判断だと評価できます。
経済は今だけを見ては大きな判断ミスを犯します、法人経営もこれと何ら変わるものではないのです、終わってしまった過去ではなく今から開かれる未来が重要なのです、常に10年・20年というスパンでゴールを見て今この瞬間何をすべきかを考えましょう、その方が人生が楽しくないでしょうか?