2022年10月19日 00:00
失敗することは恥ずかしいことではない。
恥ずかしいのは失敗と認めないこと。
カッコ悪いのは言い訳すること。
もっと悪いのは失敗を繰り返すこと。
失敗しても何かを学べばそれで良い。
潔く収拾させればそれで良い。
そして糧として次に繋げる事が肝要。
それをリカバリーと言う。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2022年10月19日 00:00
失敗することは恥ずかしいことではない。
恥ずかしいのは失敗と認めないこと。
カッコ悪いのは言い訳すること。
もっと悪いのは失敗を繰り返すこと。
失敗しても何かを学べばそれで良い。
潔く収拾させればそれで良い。
そして糧として次に繋げる事が肝要。
それをリカバリーと言う。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
2022年10月18日 00:00
「鳴かぬならそれもまたよしホトトギス」
これは松下政経塾においての松下幸之助の言葉で、塾生から「戦国三英傑とホトトギスの句の例えが有名ですが、先生はどのタイプですか?」と聞かれた時に上記の句を詠んだと言います。
戦国三英傑のホトトギスの句の例えとは。
鳴かぬなら殺してしまえホトトギス(信長)
鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス(秀吉)
鳴かぬなら無くまで待とうホトトギス(家康)
ですが、松下幸之助はそのどれでもなく「人は、そのままで良い」という考えを示したのです。
ちなみに、ホトトギスは家臣を表し今で言えば社員を指していることは言うまでもありません。
私はこの4つでも、あるいはオリジナルでも、どれが良いかという事は明言できません、何故ならこれもまたその人の個性だと思うからです。
ただ、成功する人は必ず自分なりの「ホトトギスの句」をすぐ詠めるはずです、この例えは自分流の「思考の基本哲学」だと思うからです。
これを持つか持たないかは、全ての行動の基本であり雲泥の差となります。
他者に翻弄される人はこの「思考の基本哲学」を持っていません、だからいつも他者にかき回されて中途半端に終わるのです。
ちなみに、私がM&A合戦を繰り広げていた四十代のときには、「鳴かぬなら取り変えてしまえホトトギス」でした、何とも血気盛んだったのか今では自身の事が怖く思えます。
還暦過ぎた今ではどうでしょう?
ちょっと考えてみたのですが、「鳴かぬなら自然に戻そうホトトギス」でしょうか。
優しいようですが相当に意味は深いと思います。
そして、きっと完全隠居後は「鳴かぬならここで暮そうホトトギス」になるのかもしれませんね。
2022年10月16日 00:00
中途半端な距離は危険極まりない。
寄るなら寄れ、離れるなら徹底して離れろ。
ただし、どんな場合も約束事だけは果たすこと。
さもなくば大きな遺恨が残り、
それに囚われて生きることになる。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2022年10月15日 00:00
学びとはどんなものからでも得られる。
重要なのは学びとろうとする姿勢である。
学ぶ姿勢が無ければ、
どんな有り難い説法も「馬の耳に念仏」となる。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2022年10月12日 00:00
難攻不落の巨人。
しかし事業の成功には必須な相手。
規模数百倍のあまりにも巨大な相手。
周囲の反対を押し切り提携を決断する。
数年越しの大偉業、
大きな収穫を得て達成感に浸る。
どうせ挑むなら相手は超大物が良い。
慢心が生まれることなく必死でやるから。
自分の全てをぶつけられるから。
失敗しても失うものは何もない。
結果がどうなろうが悔いも残らない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
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