「天の与うるを取らざれば、悔ゆとも追うべからず」
「先生伝」に記された、ご存知三国志で有名な劉備のこの一言。
劉備は、三国志の幕開けともなる「黄巾の乱」での活躍によって役職を得ることになります。
しかし、そのすぐ後に反乱軍に破れ転々と知人の世話になりながらも何とか落ち延びます。
その頃、陶謙は度重なる曹操軍の侵攻に手を焼いており、これを脇から助けたのが劉備でした。
そして、劉備は陶謙の推薦を得て予州の長官となり、再び本拠地を与えられることになります。
人生というもの、良い時もあれば悪いときもあります、「例えどんなに苦しい状況でも悔やむのではなく天の与えし試練を受け入れる」ことが肝要です、素直に受け入れさえすれば次のチャンスもまた与えられるのです。
「身の回りに起こる事は全てが自分の起こした行動という原因あっての結果である」
ならば、そのときにそれを素直に受け入れることが自身の最低限の責任を果たすことです。
自分に不都合な事象を人のせいや世の中のせいにしていては、何時まで経っても大事を成せるわけがありません。
天が与えし試練は一つのチャンスでもあるのです、それを受け入れられないのは自分が未熟である証拠なのです。
「天は試練を受け入れる準備と覚悟のある者に最高の褒美を与える」
成功する人は過去を引きずりません、チャンスを逃しません、決断したら即実行する潔さが成功の秘訣だということを知っています。
人生においての勝者という価値は、
船出の際は一人寂しくも、
ゴールでは大勢に迎えられることにある。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
見なくてもよいものは見ない方がよい、
知らなくてよいものは知らない方がよい。
何事も得ることが利益になるとは限らない。
不要なものは得ない方が利益を齎す。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
この歳になっても自身の中で明確に理解できない事が本当に多々存在しています、特に人の心や感性は自身だけではどうにも解決できない事項であり時に諦めもつかないほどのストレスを感じることもあります。
その人独自の感性はこれまで生きてきた中で身についたものです、必要に迫られても修正するのは極めて難しいと思います、結局のところが感性が合わない人とはビジネスでもプライベートでも苦痛を感じてしまう為に遠ざけるようになってしまいます。
その人が例え仏様のような立派な人であろうが人柄が良くて誰からも好かれていようが、感性の不一致はストレスを感じるのですから割り切ろうにも割り切れないものがあります、物事の感じ方は判断や行動に直結します、感性が合わないとベクトルが揃わず結局は足の引っ張り合いをして互いにブレーキになってしまう結果になります。
逆に感性が一致している人だとベクトルが一致し組織ともなれば個々の経験や能力などは無関係に恐ろしいほどの巨大な力を発揮します、「経営者の最大の仕事は人事」と昔から言われますが納得の言葉だと思います、組織のベクトルが一致しないと、何事も優先事項とタイミングが合わずに良い流れが来ても自然消滅か支流がたくさんできて分散してしまい上手くいきません。
ここぞの時と待ちのタイミングも合わず待ちくたびれた方は別の事に専念するようになり誰も幸福にならないのです、私はこの「感性」を凄く重要視しています、合わないと判断すれば関係を断ち合うと判断すれば経験や能力に関係なく組みます、その判断期間はどんなに長くても1年以内に結論を出すようにしています。
そして合わない人とは当座はビジネスライクに付き合い、タイミングを見て相手の方から離れていくようにお膳立てをします、これが最も事後トラブルのない別れ方だと思います、「寄るも去るも判断は常に相手に委ねる」、私流のビジネストラブル回避の極意です。
プライドを持つことは尊いことだ。
でもプライドでお金を得る人は皆無である。
プライドで人を助けた人も皆無である。
多くの人のプライドは「誇り」とは違う。
それは「自尊心」というものである。
自尊心を持つことは悪いことではない。
でもそれが何の役に立つのだろうか?
意味の無い自尊心なら捨てたほうが良い。
その覚悟が自分を変え未来を変えるのだ。
それができて初めて「自尊心」は「誇り」に変わる。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。