昨年末に逆転満塁ホームランによって確立した本丸のリノベーションに向けて初の業者との現場確認と大まかなリノベーション計画を打ち合わせしました、ざっくりですがオフィス同様に作り替えた方が簡単で早いという意見が続出しました、当然このような意見が出ることは想定していたので驚きもしません。
オフィスのリノベーションもスクラップ&ビルドで作り替えた方が早くて綺麗になるということはよく解っていたことですが、私が優先するのは時間でも完成度でもありません、それは作り替える愉しみなのです、在りものの空間をどのように自分らしく作り替えられるか、こんな愉しみをどうして放棄することができましょうか。
同じ予算を使うなら第三者が設計した空間に興味はありません、暮らしやすさよりも暮らす面白さを当然優先します、そして近年の見ため良さの最新の建材ではなく昔ながらの丈夫な自然木を生かした木の温もりを感じる空間が欲しいのです、その意味では内部リノベーションが完了したオフィスは自然木の香りが充満していてすごく居心地良い空間に生まれ変わりました、昔から憧れていたログハウスのように内部全てを造り変えたオフィスは天然木の香りが充満しておりは本当に清々しいです。
本丸は鉄筋コンクリート造りですから自由度が木造に比べて非常に悪いです、私の好きな天然木貼りの壁にするにはかなり難易度が高い工事をしないといけないようです、でもモルタルに直接ペイントや壁紙貼りには抵抗があります、それは冬場の結露が気になるのであり案の定北側の日当たりの悪い部屋の壁にはカビの痕跡が残っています、ですので結露しないようにすべての壁がモルタルむき出しではなく自然木で覆うという大掛かりな工事を行わないといけません、また結露しないということは初期投資が嵩んでも冷暖房効率がぐんと上がりますのでランニングコストが大幅に減らすことができます。
工事は生活する空間を先に行い実家から重要家財の引っ越しを早々にも行いたいと思っています、早ければ来月からファーストステージの工事開始です、セカンドステージは駐車場や作業部屋など付帯設備の工事になります、これは生活しながらでも問題ないので来年以降となるでしょう、その間に1年間手入れが入っていない広すぎる庭や果樹園の整備を並行しなくてはいけません、昨年同様にまたぞろやることが山積みの状況が今年も継続となります。
本丸には農地部分があり現在果樹園になっています、果樹園には梅9本と栗3本に加えて大きな柿の木があり他にもカリンなどの各種の果樹が植わっています、1年以上手入れをしてないと思われるので今春にも強剪定すれば来年から徐々に収穫できると思います。
ただ農地購入の目的で創設した農業法人では果実栽培を行う計画は一切なく、どちらかというと野菜や果実を作って売るという生産農家ではなくガーデニングや家庭園芸用の素材としての庭木や樹木苗木などを育成して園芸店に一括販売するB2B園芸農家を目指しています。
したがって現在の果樹はそういう意味では不要となりますので何れは伐採しようと思うのですが、いろいろと調査して思考すると生かせないこともないことが解りました、それは接ぎ木用の親木として利用する方法です。
現在の果樹の多くの苗木は病気や寒さに強い樹木に接ぎ木をしてそれを育てて出荷します、その意味では梅は元気な小枝をまず挿し木で親木を増やしその親木が育ったら地上10Cmでぱっつんと切りそこに別に育てたアンズやプラムの小枝を接ぎ木すれば病気や寒さに強い果樹苗木として立派に販売できるようになります。
そんなことを考えていると各種の楽しい実験や研究ができオリジナルの新種を生み出すことも可能となります、そういった園芸農家も日本には少なからずも存在しています、収穫した野菜や果実を売る農家ではなく研究開発型の売らない農家、これが最も私らしいやり方だと思いますしこれまでずっとビジネススタイルはB2Bに拘っていた私が行う農業ビジネスだと思うのです。
さてそんなわけで今後隣接する農地をどんどん購入して拡大させていきたいと思います、何故なら本格的な園芸農家ともなれば従業員を雇い毎年数万鉢は出荷しないと興した意味を成しません。
その意味では何れは温室やビニールハウスも必要になりますので広大な農地が必要になります、好きなことを遠慮なくできる空間に果樹園というこれまでに経験したことのないカテゴリが加わったわけで新たにやりたいことがまたぞろ芽生えてきた今日この頃なのです。
26歳で外資系企業のフリーSEとして勤めていた2年間はほぼ毎月のように出張でヨーロッパ各国を飛び回っていました、そして起業後は中国・韓国・台湾企業との事業連携で月に何度も訪問しここ数年ではマレーシア・シンガポール・ベトナムに同様にビジネスで何度も足を運びました。
そんな常に海外へ行っていた私にとってどの国であっても海外は特別な場所ではなく言葉と気候が違うだけの環境ということで意識しています、それよりも文化や食の違いを堪能できる場所として愉しんでいます、そんな私が理想郷にグローバル志向を取り入れないはずもなく別荘感覚で当たり前のように考えています。
そんな継続した意識がちょっとしたきっかけで一気に進むことになりました、本業のビジネスで最近出会った人と2回目の会談の際につい話が弾み気が付いたら海外展開の顧問として採用する話になっていたのです、継続した意識とは面白いもので常にその事項に関するアンテナを張っていてチャンスが来たと思ったら無意識に行動しているものなのですね。
そんなわけで某国でのビジネス展開を視野に各種事項が進むことになりそうです、勿論理想郷のことも忘れてはいません、いずれは理想郷の海外拠点を創っていくと思います、25年ほど前も韓国に韓国支店と活動拠点となる別宅がありました、近いうちにそういう流れが起きるでしょう、自身のことは自身が一番よく知ったところです、ところでその海外拠点候補地とは10年以上も考えていた2つの国の一つです。
自分の思ったような環境や地位を手に入れるには希望を何年間も実現するまで持ち続けることです、そしてチャンスが来たら有無も言わずに乗ってみることです、夢を実現できていない人がいるとしたら間違いなくどこかで諦めてしまって希望を持っていたことすら忘れてしまったからです、諦めなければいつかは夢は実現するのです、私も理想郷を45年間も待ち続けたのですから。
本丸が決まり理想郷へのリーディング拠点兼ラボ3号がオフィスへと格上げされました、そのオフィスのリノベーション&リフォーム工事の終焉が見えてきた瞬間に本丸のリノベーション&リフォームの大まかなプラニングを開始しました。
オフィスの時には3度に渡り大幅追加で予算も工期も膨れ上がり途中段階では収拾がつかないほど各種の工事が併走し打ち合わせや確認が大変でした、本丸の時には最初からきちっと工事内容を決め途中変更が無いようにしたいと思います、また業者にしっかり最初から希望を伝え見積もりを貰い予算を組みたいと思います。
大きなリノベーションはやはりすべての収納や仕切りを取っ払って床の張り替えと壁の板貼りでしょう、何故か昔から狭い空間と閉じた空間が大嫌いで息が詰まりそうになります、なので現在の家もクローゼットは常に開けっ放しで部屋の仕切りも取って3DK+Sを1LDKとして使っています。
1Fは2部屋と縁側+サンルームを繋げて一つの広いオーディオ&ホームシアタールームとして使いキッチンとダイニングは中央にシンクを置いたオープンスタイルでワンルームにしたいと考えています、そして2F部分は完全なるプライベート空間と道楽を行うスペースで広いベランダには大きな温室を作ってトロピカルフルーツや熱帯植物を使った水族館にあるような巨大なパルダリウムを造りたいと思います。
作業用の小屋は屋根を温室のようにガラスに変え小鳥や爬虫類の飼育場にしたいと思います、また中にはできるだけ自然をそのままに作りたいので床を土間に直して植物も沢山植え込みたいと思います、いざというときに実がなる植物を沢山植えておくと生き物たちも餌として利用できるので安心です、また池を作っておけば水の心配もありません、私は何事も経営者感覚で考えてしまいいざというときのリスクヘッジを先に用意してしまう思考なようです。
次週業者たちと下見と打ち合わせを行い早ければ来月中旬から工事が始まります、今度は最初から一斉にできますので半年もかからず完成すると思います、来年から私の運気も環境を変えるに好都合な時期に入ります、今から完成が待ち遠しいです。
今年はついに雪と氷を見ることなく春を迎えられそうです、私が東京に出てきて約50年で初めてのことではないかと思います、それほど今年の東京の冬は異常でした、なんとマイナスに一度もなっていないのですから。
また未来の安住の地の本丸や地方拠点となるオフィスの所在地も雪が降っても積もるほどではなく雪害はまったくありませんでした、というのも理想郷の地を決める一つのポイントに雪害を意識したからに他なりません、気温がマイナスになろうが雪が積もらない地であることが条件の一つでもあったのです。
その理由は子供のころに嫌というほど雪害を受けていたからに他なりません、特に小学校6年生から中学2年生までの3年間は父親の転勤で長野県北西部つまり新潟県寄りの地方に住んでおり雪が一晩で1メートル積もったなんて普通にありました、その際に朝早くから道路に出るための雪かきの手伝いをさせられ学校も午前中休校となり町全体で屋根の雪下ろしです。
交通事情も当時は今のように整ってはいません、交通手段はそりとスキーです、子供心に通学はスキーでそれはそれなりに楽しんでいたのは確かですが生活を考えると本当に大人は大変だったと思います。
そんな経験をしている私は雪の怖さ辛さを人一倍知っています、だから安住の地は絶対に降雪のない所と決めていたのです、現代では気温がマイナスになっても水道が凍ることもなく部屋の中は快適に暮らせる設備があります、交通さえ何とかなればどんなに寒くても生活するに困ることはありません、四季を通じて快適に過ごせるか、幾許も無い老兵の安住の地の条件としては必須だと思います。