昨冬に身体の「耐寒モード」に関する記事を書きました、これは信州の中でも極寒地で育った私の身体に耐寒モードスイッチというものが付いており寒さが極まる時期に突然寒さに強くなるというものです。
寒さについてはこの「耐寒モード」の存在があるのでどんなに寒いところへ行くにも怖くなかったのですが、逆に私は暑さには極端に弱く30度を超える辺りから汗びしょになり身体が動かなくなるほどで、夏が来ると精神的にも元気をなくしていました。
ところが昨年理想郷の地での各種整備で夏の時期に、40度という酷暑日のなか顔や手が日焼けで水泡ができるほどでも長時間肉体労働を行うことができました、その後しばらく酷暑日が続きましたがそれまでの夏とは違って意外に平然と過ごすことができるようになりました。
毎年のように6月に入るやエアコンをつけていても身体が焼けるように暑くて毎朝汗びしょで起きていたのですが、先日のこと朝快適に起きられるようになったことに気付いたのです、そして酷暑日の日中もそれほど汗もかかずに普通にしていられるようになりました。
これはもしかして「耐寒モード」同様に「耐暑モード」を獲得したのでしょうか、周囲のみんなも暑さに弱かった私がカンカン照りの酷暑日にも関わらず普通に作業しているのを見て驚いています、自分でも驚いているのですから当然でしょう。
老後のスローライフを考えるに「耐寒モード」に加えて「耐暑モード」の獲得は極めて心強いです、寒いだの暑いだのといって家に引きこもっていては健康上よろしくありません、寒い日も暑い日も短時間の軽作業ができる身体は実に心強いものがあります。
ところがこの「耐暑モード」が裏目に出でしまったのか、つい先日のこと何と高齢者熱中症の初期症状が発症してしまいました、熱中症の初期状態は頭がぐらぐらしてまっすぐ歩けません、高齢になると身体の熱さに鈍くなり脱水症状を起こしやすいようです。
また塩分濃度が下がると水分を吸収しなくなります、暑さに強くなったのは嬉しい事でしたが今後は夏場は特に熱中症に注意し塩分補給と水分補給に心がけるようにしましょう、何よりも寝込んでしまったらスローライフどころか何もできなくなってしまいますから。
最後に熱中症の初期状態を経験した者から注意事項を幾つかお話ししましょう、熱中症の初期状態は風邪を引いて熱が出た時のような身体感覚になります、そして汗が出なくなりトイレにも行かなくなります、つまり既に身体が脱水状態になっているのです。
こういう症状が出たら塩分補給と水分補給をしっかり取って安静にしましょう、一晩でほぼ完治すると思います、それでも正常に戻らないようであれば早めに病院へ行くことをお薦めします、他の病気の可能性もありますから思い込みは禁物です。
私は20代から技術やサービスモデルなど多くの特許を出願しては事業化してきました、その裏にあるものは「欲しいけど世の中に無いなら自分で作ってしまえ」という発想です、この発想から実現可能な方法を考え出していくわけです。
特許というのは実現可能な技術や商品で且つこれまでにない新たなアイデアであることが審査で証明されて初めて登録されるわけです、つまりアイデアだけではなく過去に他者が考え出願されていないというものでなければなりません、アイデアも重要ですがこれまでに誰も出願していないという事実が最も重要なのです。
さてそんなことを常に考えている私ですが一つだけ20年近く考え続けても方法が見つからなかったものがあります、それは非ノイマン型のコンピューター(加算器)です、どうしてもノイマン型から離れたところでの思考が降りてこないのです。
一時期は生きた神経細胞を人工的に固定化できないかと考えて粘菌を研究してみたり、ロジックそのものを電気ではなく光を使えないかと光線の周波数合成を思考したりとかずっと頭の中で何か方法はないかと考え続けていました。
ノイマン型というのは真空管やトランジスタによるフリップフロップという加算ロジックそのものであり、現在のコンピュータは実用段階に入った量子コンピュータ以外は全てノイマン型です、このノイマン型を崩さない限りにおいて高速性能を極めるには半導体の応答速度という限界値があります。
さてあえてこの話題をここで書いているということは・・・、実は現在のシリコン半導体を使って電気的応答速度を無視できる非ノイマン型で行う加算方式が降りてきたのです、もしこれが実現されれば計算速度は一気に量子コンピュータ並みに高速化できます、しかも消費電力は現在のCPUの数万分の一になります。
こんな夢のような話なのですが、2年ほど前にある半導体科学者との出会いがありまして先日のこと技術論議で盛り上がりながら飲んでいるときにその可能性が示唆されたのです、20年考え続けていたことが一瞬で実現性が見えた瞬間でした。
夢は諦めさえしなければ実現するのです、それと人の縁というのは本当に摩訶不思議なものです、天は諦めが悪い人にはちゃんと必要な人と必要な時期に出会わせてくれるようです、ということで各種の準備に行動開始です。
戦後日本の景気拡大期として超が付くほど有名なのが1965年11月から57ヶ月間続いたイザナギ景気です、東京オリンピック1964の1年後に訪れ給与が年に倍々に増えるほどの好景気でした、毎日のように橋や道路などの工事が進められ町があっという間に綺麗になり食事の内容もガラッと変わったのがまだ小学生だった私にも実感できるほどでした。
次いで2002年2月から73ヶ月間という長期景気拡大を齎したイザナミ景気です、リーマンショックにより一気に全世界が奈落の底に落ちるまでの6年間という期間ですが好景気という実感は薄くバブル崩壊の影響がようやく落ち着きを取り戻した程度の感覚でした。
そして何とこの29日の景況感発表でイザナミ景気の73ヶ月を超える2020年6月に始まった74ヶ月連続の景気拡大期となったことが発表されました、5年ほど前にブログに書いていたことが現実となってしまいました、ただこの期間はコロナウイルスのパンデミックが始まった頃であり本当なのかという思いがします。
しかしこの景気拡大期は継続中でどこまで伸ばすかは解りません、しかしこの景気判断でおそらく国民全員が疑問符が頭に浮かぶでしょう、それほど今回の景気拡大期は国民生活の実態を反映しているものではないと言わざるを得ません。
それもそのはずで景気判断は上場企業などの大手企業の営業実績に加えて貿易状況などで判断され国民の生活実態とは別物なのです、バブル期に見られたように大企業の利益が中小企業に回り、更に中小企業の利益が一般国民に回り国民全員が浮かれたような時代ではないのです。
一つは企業の接待費や設備購入費に枠が設けられ経費として認められる範囲が限定されるなどバブル期のようにお金が市中を回りにくくなっているのです、もっともお金がお金を生む好景気はバブルというが如しで実体経済とはかけ離れた景況感だったと思います。
ただ国が潤っても国民の実感が伴ってこその景況感であってほしいと願うばかりです、ある限られた業界企業や人にだけお金が流れる仕組みは何れは崩壊していくと思います、その為に選挙があるのですが日本は本当に平和な国なのだなと思うばかりです。
理想郷への活動拠点となる地方オフィス、そして理想郷本丸、その裏に繋がる広大な農地に手前の宅地と理想郷はどんどん拡大を続けています、やりたい事を実現させたいとの思いはこうして現実のものとなってきました。
しかし、この裏には気が遠くなるほどの庭・果樹園・畑の整備という重労働が伴います、この2年間のスタッフと行った整備を思い起こすだけでも本当によくここまでやったなと思うばかりです、その甲斐もあり購入当初とは見違えるほど綺麗になりました。
そしてまさにこれらの重労働を見てきた現地や業者に人は「よくやるな」とか「まだやるの?」と驚くほど開墾というに相応しいほどの整備内容です、木を100本近く伐採し3つの大きな穴を掘って埋めたり、大小の石を移動させ再設置したり、夏場の週一の雑草処理など本当に大変でした、更には今後も次々と新しい整備の土木工事を行わなくてはいけません。
それでも使われていた土地なので元の形があるだけでかなり助かっています、昔の人は重機も無く本当の自然の状態から肉体労働のみで木を伐根し地ならしをして石垣を作って住めるようにしてきたのです、自分でやってみると昔の人の開墾精神と体力には驚かされます。
でも少しずつでもやった成果は形として返ってきます、あらゆる庭木と果樹は丸裸に近いほどの強剪定を施しました、枯れるかもという不安を払拭するように翌春に芽を出し枝を伸ばす姿は本当に清々しいものを感じます、まだここで生きていたいという樹木の生命力に驚きます。
ガーデンの形を作っている大きな石を動かし通路とガーデンの仕切りの作り直しも大変でした、最初は石の穴や以前のグランドカバーの草花がはみ出して見た目が悪くなってしまってやらなければよかったかなと後悔したこともあります。
しかし数ヶ月もすると不思議なことに雨風で自然に周囲に馴染んでくるのです、自然の形に戻ろうとする力は極めて偉大です、これを経験すると自然の力を借りて怖いものなしでどんどん変更できるようになりました、経験は本当に精神的に大きいです、この経験は今後の整備計画にも大きな後ろ盾になるでしょう。
何だろうね、この歳になり突然のように心がザワザワしている人に会ったり、テリトリー空間に入られるとアレルギー反応が起こり強いストレスを感じてしまうようになりました。
もっと言うと愉しいはずの空間が妙に居心地が悪い空間に変わることに関して敏感に反応するようになってしまいました、歳を取ると我がままになるのかイライラを飛び越え逃げ出したい気持ちになるのです。
この私的表現の「心がザワザワしている感じ」というのは文章や言葉ではおそらく他者に伝わらないと思います、イメージで言うと心の雑音というか圧迫された心模様が透けて見えるのです。
リラックスしていないとか、平常心ではない状態が所作や言葉から感じ取れてしまうのです、そしてこちらまで落ち着かない嫌な気持ちになってしまうのです。
例えば長い付き合いの中で相談事など一度も無かった人から突然のように意味不明な個人的な相談を受ける、たまには会おうと誘いを受けて飲みに行くと仕事の紹介や経済支援をお願いされるなど、多くの場合そういう時に以前とは違う振る舞いをして言葉も選んでいることが解ります、そんなときに相手の心がザワザワしている感じを受けるのです。
また気遣いなど無用の関係なのにわざとらしい気遣いをする人にも強く感じます、愛想なのか共感性なのか理由は解りませんがそういう状態の人は言わなくていい事を話したり、オーバーなリアクションをしたり、とても普通に接しているとは思えない心模様を出してきます。
何かを話さなくてはとか、何か気遣い事をしなくてはと考えているのか心がザワザワしているのだけは伝わってきます、その場にいる人の誰か一人でも過度の気遣いをすると非常に空気が重くなるのを敏感に感じます、そしてその場の和みが一気に崩壊します、私はこの状況が最も居心地悪いのです。
慣れ親しい人とは穏やかな空気の中でリラックス状態で食事をしたり会話をしたいのです、そして相談やお願いは空気感が重い場合は絶対にうまくいきません、互いにリラックスした善い流れの中で相手もその流れに乗ってくれるというものです、その意味では相談やお願いは会話よりも空気感を意識した方がよいと思います。
親睦も同じで重い空気の中には絶対に仲間意識は生まれてきません、そういう当たり前なことが解らないほど心の余裕が無いのでしょう、その意味では心のザワザワ感はおそらく心に邪念を抱えているときとか心に余裕がない時に発する心の雑音なのかもしれません、その雑音が音キチの私には何とも耐えられないのです。