高齢者になるとスポーツを行う愉しみよりも観戦する愉しみのほうに気持ちがシフトしていくようです、その意味ではオリンピックに野球やサッカーなどの世界大会は寝る時間も惜しんで観戦します、この歳になって明日の事を考えずにそれが存分にできるようになったということも喜びの一つでもあります。
そしてついに待望のFIFAワールドカップが先週末に開幕し昨日早朝に日本の初試合がありました、ランキング8位の強剛オランダとランキング18位の日本でしたが2-2の引き分けに終わりました、これは決勝トーナメントに進むために勝ちと同等の価値があります、仮にグループリーグ1位通過なら決勝トーナメントで有利な組み合わせとなります。
FIFAワールドカップのこれまでの日本の最高成績はベスト16です、今回は初のベスト8どころか決勝に進む可能性もあるダークホースと評価しているヨーロッパのスポーツ紙もあります、開幕前の親善試合においてブラジルやイングランド相手に勝利を収めたというのが大きな評価ポイントになっています。
ただWBCのように優勝候補だった日本が8位に終わったということもあります、スポーツはその試合に関してはランキングは関係なく蓋を開けてみないと解らないというのが面白いのです、とにかく全力を尽くして上を狙ってほしいと思います。
昨秋の内装や作業小屋などの不要部分や付帯設備のぶち壊しに始まった本丸建物(今後、「本丸ロッジ」と呼びます)の工事ですが床や壁の工事が終わりシャワールームやトイレなどの設備も設置され始めています、残すところは2Fベランダの鉄製手摺の撤去と外装工事です、屋上は徹底的な防水加工を施して浸水による老化を防ぐ仕様にしました。
本丸ロッジの工事はゴールが見えてきましたが並行して1年前からスタッフと共に庭や果樹園の整備を行っておりこれまでに優に100本を超える木を伐採しました、放置された枯れ木や鬱蒼と枝が暴れた木と雑草に覆われていた空間が見通し良い爽やかな空間に変わりました、とはいえ出来るだけ自然を生かすことを意識しているので極端な人工的空間は創らない方針で進めています。
そんななかで今現在行っている作業はガーデニングが中心です、畑や果樹園は木の伐採と処理で大変でしたが今度は大きな石の移動です、これが思いのほか重労働です、もう何個の石を撤去したり置き換えたりしたでしょうか、そして筋肉痛と引き換えに広い何も無い空間がどんどん出来上がっていきます。
何も無い広い空間は私の感性ともマッチしており気持ちがいいです、もう一つの意味は未来への準備のためです、この圃場は農業法人でいろいろな事業を展開するための重要拠点になります、果樹や野菜作りをして販売するだけが農業法人の収益事業ではありません、法人としたからには農家にはできない新たな農業関連事業を幾つも興したいと考えているのです。
地方で人が集まる場所を想定するなら駐車スペースが最も重要になります、そこで市道に繋がる私道を限界まで広げ車がすれ違えるようにしました、この結果市道よりも広い私道が理想郷に誕生しました、並木通りのように植えてあった木を伐採し大きな石を数十個も移動させました。
また意味のなさなかった空間を形成していた庭木や石を排除して東屋も自然に溶け込む位置に移動させました、重労働の土木工事により理想的な空間の完成が近づいています、まだ途中ではありますがどんどん景観が変わっていきます、購入当初の写真と見比べるとまるで別の場所のようになっています。
意味のなさない空間はデッドスペースと呼びます、つまり極めて気の流れがよろしくないわけです、「理想郷に一つとしてデッドスペースが無いようにする」、これが私のガーデニング思想です、デッドスペースだった場所に手を加えることで有意義な空間に代わります、これが本当に気持ちが良いのです。
私の中には強い空間意識があります、狭い空間に所狭しとあらゆるものが詰め込まれた場所が大嫌いなのです、住居も庭も何もないぽっかり空いた空間が無いと落ち着かないのです、そんな意味でガーデニングも徹底して妥協せず一から作り直す気持ちで行っているのです。
私は若い頃は頻繁に引っ越しをしていました、大学時代に2回、社会人になってからは長くても2年で引っ越ししていた感じです、そして引っ越すと必ず休日のランチと家に帰る前に寄るバーやスナックを開拓します、そして馴染みの酒場が見つかるとここの住民になったという意識が強く芽生えるのです。
そんな意味では地方オフィスとなった当時の理想郷へのリーディング拠点は3回目の春を迎えます、1年目の夏に工事が始まると同時にガーデニングや野菜の栽培を始めましたので東京へ帰る際にスタッフとお疲れ様夕食を行う寿司屋を開拓しました、ただ帰宅前に寄るような飲み屋さんはこの2年間開拓の機会が無かったのです。
しかしチャンスとは突然のように訪れるのです、先日古稀を迎えた2日後に初めて地元の人が集うスナックに本丸の工事をお願いしている業者の人に連れて行ってもらいました、その日は3人の工事業者さんと初めての飲み会にお誘いを受けスタッフ2名と共に参加しました。
街中華屋さんの個室で宴会を行い、2次回に駅そばのスナックに行きました、スナックはカラオケができるので若い時から私の大好きな酒場スタイルです、きっと何度か通うたびに徐々に住民意識が芽生えてくるでしょう。
この地のオフィスはまだ仮の宿であって定住の住居ではありません、当初は定住の住居にしようと考えていた物件が工事途中でオフィスに変更し、今度こそ定住の住居だと意識していた本丸がやはり工事途中で気持ちが変わり休憩や宿泊ができる大規模且つ鉄筋コンクリート造りという高級な圃場施設となりました。
この古稀を迎えた地元での飲み会を通して、そろそろ定住の住居をどこかに設けたいという意識が益々強くなりました、強い意識は必ず実現するのです、私は常に何事も自身で動いてやりたいことを実現させてきたのですから。
時間が無いからとかお金が無いからとかいうやらない理由を作っている間はそれは本当にやりたいことではないのだと思います、本当にやりたいことを実現させるときには時間もお金も必要なだけ作るものだからです。
そしてやらない理由を作ってはやりたいことを保留する人はきっとやりたいことを常にどこかで諦めてしまう人なんだと思います、だからいつまでも実現しないのです、やりたいことは何年かかっても諦めさえしなければ必ず実現するのです。
「光陰矢の如し」という諺があります、「月日が経つのは射った矢のように早く流れる」という意味ですが、実はこの裏にある真の意味は「月日が経つのは早いから時間を大切にしよう」という教えが込められています。
私はというと先日還暦を迎えたと思っていたら既に古稀を迎えるに至ってしまいました、先週来愛弟子やスタッフに加えビジネスパートナーにまで古稀のお祝いをしていただき多くの人に囲まれている現在を喜ばしく思います。
思えばこの10年は還暦を迎えた翌年に生業であったIT事業を10年振りに再興し本当に「光陰矢の如し」であっという間でした、そして古稀を迎え「残り少ない未来の時間をもっともっと大切にしよう」という感覚がよりいっそう強くなりました。
「笑っていても泣いて過ごしても平等に時は流れる」という私の好きな歌詞があります、人生の残り時間をこれまで以上に意味のある時間にしたいと思います。
ところで還暦過ぎたら多くの人は終活を意識するようです、しかし私はそれに反発するようにビジネス優先で犠牲にしてきたやりたい事を全て叶えようと逆に元気づいています、そしてこの期に及んで一つ一つやり残した事を実現させていく喜びに浸っています。
理想郷を得た今、自分の思い描いてきたように住居や庭造りを愉しみ、自給自足生活の準備に各種の果樹や何もしなくても毎年収穫できる多年生の野菜作りに励んでいます、身体の疲れや怪我も含めてこの時間が本当に有意義に感じるのです。
「光陰矢の如し」、冒頭の意味の他に「射った矢は二度と戻ってこない」、「時間は一方方向にしか流れない」という側面の宝玉のように光り輝く教えが隠されています、一生の尊さを見事に言い表している諺だと敬服します、二度と戻ってこない時間を本当に大切な人たちと共に過ごしていきたいと思う昨今。
この歳になって幸福な老後人生を送る意味を考える時間が多くなりました、その自問自答の中で悟ったことに高齢者になったら「しなければならない」という意識から解放されることが最優先なのではないかと思うのです。
何時を回ったから寝なくてはとか、何時間寝ないといけないだとか、何時になったから食事をしようとか、何を食べないといけないだとか、いろいろな意識に束縛されることから解放されることが充実した老後人生を歩めるのだと思うのです、そういう意味では究極の意識低い系老人がよろしいかと思います。
寝る時間に関しては眠くなったら寝て眠くないのであれば眠くなるまで好きなことをやっていればいいのです、当然に何歳になっても考え事などで眠れない日もあります、その場合は自然に翌日早く寝るようになります、実に身体機能はよくできているのです。
食べることに関しても腹が減ったら食べたいものを食べればいいかと思います、健康上の栄養素に関していえば身体が自分に必要な栄養素を記憶していて不足している栄養素を食べたいと訴えてきたら素直に応じるようにすればいいのです、それがたとえジャンクフードでもいいかと思います。
健康を考えて日ごろからバランスの良い食事をルーティングして身体に記憶させておくと食べたいものを身体が教えてくれます、その意味では健康を過剰に意識するのではなく自然に健康的なものが欲しがる身体を還暦前に作っておくことが重要かもしれません。
若い頃は嫌というほどの「しなければならない」人生だったし多くの人も同じだと思います、であれば還暦超えたら残り人生を好きなように自由に過ごすことが無理を通してきた自分への褒美だと思うのです、高齢になれば若い頃のように身体も思考も無理は利かなくなるのですから、無理のない老後のスローライフが尊いと思います。