些細な事をきっかけとして物事が大きく変化することは珍しいことではありません、例えば会社ではたった一人の入社によって難航していた商談が次から次へと決まりだす、また逆にまとまっていた社内が一気に険悪なムードになるなど、それまでの流れが一変することがあります。
そのタイミングが何かと考えると、ある人との出会いや離別が発端となっていることが多いことも事実です。
私事ですが最近急速にある種の有力な人脈が形成されつつあります、その人脈との接触は実は最近のことではないのです、ただ互いに共通するある種の事項に遠慮していて距離を取っていたように思います。
その共通した事項が必然のことのように自ら消滅したのです、それが何を示すのかはあえて言いません、しかし不思議な事にそれをきっかけとして今までその事項に関して遠慮していた人たちが急接近してきたことは事実です。
そして本音の話を始めるや否やビジネスマインドや目標とする事項、更には価値観までもが一致していることが互いに確認できたということです。
経済界でいう「灰汁抜け(あくぬけ)」或いは「悪材料出尽くし」、それは物事が何らかの障壁があってスムーズに運ばない状況の時に、その原因が消滅した瞬間にそれまでの時間を埋めるように急速に好転することを意味します。
何れにしてもこの人脈は関係している人全てがそれぞれの足りないものを補完し合え、更には得意としている部分を相互に活用できるという、まさに理想の関係が形成されつつあります。
因果とはまこと不思議なものです、何をきっかけに好転するのか暗転するのか、その瞬間には誰にも解らないのです。
「縁(えにし)」とは、実に複雑で面白い結果をもたらしてくれるものです、私が「縁」について日ごろ言葉にするのが「縁が有れば会え、無ければ会えない」というものです。
韓国で携帯電話が出始めた頃に流行した、「007ミーティング(ゴンゴンチル・ミーティング)」という遊びがあります。
これは恋人同士のデートの際に大まかな場所と時間だけを約束し、当日は連絡を一切行わずに出会えるかどうかを楽しむものです。
名前の由来は、スリルとサスペンスのスパイ映画の代表作「007シリーズ」であることはお解りでしょう。
出会えれば「縁が強い」と確認し出会えなければ「縁が無かった」と割り切るようです、面白そうですが実にシビアな遊びです、しかしこれも「縁」を強く感じる瞬間だと思います。
10年以上会っていない人で二度と会わないと思っていた人と再度ビジネスを始める場合もあります、この人とは生涯に渡りパートナーと確信した人でもほんの些細なことがきっかけで決裂することもあります。
また馴染みの夜の帳で口論した人が同業の役員で、それがきっかけでその後にビジネスパートナーに至ったケースもあります。
常に今しか見てない普通の感覚の人は、その時だけだと思ってその場だけの失態や醜態を感情に任せて行ってしまいます。
しかし、どこでどんな「縁」によって関係ができて互いの立場が決まるのかは未来でしか解らないのが世の常です、その時に少なくてもバツの悪い思いだけはしていただきたくありません。
人生とは本当にいろいろなことが起こるのです、どこでどんな人とどんな展開になるかは解りません、よく考えて将来の「縁」を意識した行動を常に取ることが成功者だと思います。
自ら縁を切った人が未来において社運を一変するような鍵を握る重要人物になるかもしれません、その時にはどんな後悔も反省も時すでに遅しということを理解しなくてはなりません。
成功する者は決して自ら縁を切るようなことはしません、縁と因果応報の怖さを存分に知っているからに他なりません。
「仁義礼智信」の五文字を誰しもどこかで一度は見たことがあるでしょう、「仁義礼智信」の五文字は「漢書」に記されているもので「人として守らねばならない最低の心得」を説いたものです。
漢書にまとめられる以前に孔子によって「仁」・「礼」が説かれ、孟子によって「仁」・「義」・「礼」・「智」の4つが説かれていました。
漢書にまとめられる際に何者かによって「信」が加えられ、中国文化伝承の五文字(五行思想に基づく)として組み立てられ記されたものです。
日本では、津藩主である藤堂高虎が息子の二代目津藩主高次へこの五文字を使って「武将たるものの心得」として亡くなる5年前に遺書として残したと津家日記に記されています。
このことから額などに入れられ大量に売られたこともあって、見たことのある人も多いのではないでしょうか。
門下生にも何度となく折に触れ話をしている言葉でもあります、人として最低限の心得を理解してない者がどうして夢を実現し成功者となれるでしょうか?
この「仁義礼智信」の各文字の意味は以下の通りです。
「仁」は、他者への思いやりや慈悲の心
「義」は、人としての正しい生き方
「礼」は、礼儀作法・秩序・倫理観
「智」は、知識をもって偽りを見極め正しきを判断する能力
「信」は、信用・信頼を重んずる心
中でも「仁」と「義」はビジネスにおいては最低限の基本中の基本です、どんな理由にせよ他者を陥れるなどは論外で他者の利益を優先して失敗することはありません。
成果を求める前に、大いなる志や夢を持つ前に、社会人として「人としての最低の心得」を体得していただきたいと思います。
このような人には結果や有益な人などが自然についてきます、結果的に成功者となれるのです。
夢・目標・人・お金・名誉、何事も追えば逃げます、人としての正道に従い謙虚に待てば欲しいものは自然に寄ってくるのです。
成功者になるには「人の行動心理」を正確に理解することが必須条件と言えるほどに重要です、先日も「何かを始めようと思って相談すると、必ず身近な人ほど強く反対する」という心理について門下生と語りあいました。
門下生の多くは「相談者が心配だから」という回答です、これはほとんどの人がそう思うでしょう。
「身近な人は自分のことを心配してくれている」などと、自分は周囲の人に愛されていると思いたい気持ちも実はよくある心理状態です。
ここで考えなくてはいけないことは「身近な人ほど強く反対する」という事実です、これは何故でしょうか?
まず相談を受けた人の心理をズバリ言うと、相談者がそれを行うことによる自分の環境の変化を恐れます、これは意識するしないは別にして必ず何処かで考えるのです。
例えば相談者がそれを行うことによって今までと違う人と交流することになります、当然のこと多くの時間もそれに取られることになります、それによって今までのようにその人とのすれ違いが発生するなど多少なりとも変化が起こります。
その人が新たな情報によって思考が変わり、今までのように自分とのスムースな会話ができなくなり距離感を感じるようになるかもしれません。
人は「変化を恐れる」ということが遺伝子に組み込まれているのです、これによって自然に危険を回避しようとします、つまりこれは本能というべきものです。
身近な人ほどその影響度が強くなります、だから身近な人ほど何かを始めようと相談すると強く反対するということになります、これは最も簡単な心理ロジックに過ぎません。
心広く思慮深い人は相談者に反対はしません、思ったことをやらせてみるのが最もその人にとって経験を積み成長させることになることを考えているからです。
その結果において離れていこうが止めることもしません、それが双方にとっての結果と受け止める覚悟があるのですから。
「人は理由も意味もないことはしない」のです、つまり相談するという行為の裏にある心理を読むことがその人の状況を把握することに繋がります。
本当に自分でやりたいことが有る人は自分で決断し相談することはしません、つまり相談している時点で心からそれをやりたいのではないということでもあるのです。
更には相談する行為の裏には、結果責任を他者に押し付ける自己擁護の真理が隠されていることも理解すべきです。
良い事も悪い事もどんな場合でも、
一つの結果が出るということは最高に善い事である。
いずれの場合も道が開けるのだから。
最も悪い状況がこの場に留まらされることだから。
コメント:
どんな結果であれ「それ」に関して一つの解がでたということである、解が出る結果は善いことである。
この解によって、この先何をすべきかが明確になるのだから。