2024年3月31日 01:00
他者を気遣えば逆に気遣われる。
他者に気遣ってほしくない人は気遣うことをしない。
では異常に他者に気遣う人とはどんな人なのだろうか?
コメント
無意味に他者に気遣う人がいる、だいたいが自分に気を遣ってほしいというアピールである。
2024年3月31日 01:00
他者を気遣えば逆に気遣われる。
他者に気遣ってほしくない人は気遣うことをしない。
では異常に他者に気遣う人とはどんな人なのだろうか?
コメント
無意味に他者に気遣う人がいる、だいたいが自分に気を遣ってほしいというアピールである。
2024年3月30日 01:00
何を生業としているのか解らない人。
まあ、だいたいが資産運用家かブローカーだな。
いずれにしても自己利益優先思考の人である。
コメント
年金を貰う年齢でもないのに何をしてこの人は暮らしているのか不明な人が居ます、疑問に思ったら近寄らないことです。
2024年3月29日 01:00
情報を得る方法としてIT業界では2つの方法を定義しています、一つは自ら能動的に意図した情報を得るための行動を起こすことによって得られる方法で「プッシュ型」と言います、対して自ら何も行動を起こさずに自動的に配信されてくる情報を得る方法を「プル型」と言います。
プル型情報のうち設定によって自身が欲する情報のみを得られる方法があります、例えばテレビの予約録画やニュースサイトなどでのお好みカテゴリ設定などがこれにあたり、これを「スマートプル型」と言います、私は昔から意図した情報を自分の好きな時間に欲しい情報のみを得られるスマートプル型に徹しています。
理由は簡単で一方的に雑多入ってくる多くのプル型情報は今の自分にとって意味の無い情報ばかりで何の役にも立たないからです、更にその情報によって思考や気持ちの変化などのリスクが伴う場合が多々あるからに他なりません。
こんな時代です、今の自分に不要な情報を得ては嫌な気持ちになったり考えを変えたりと情報に翻弄されている人は少なくありません、私の時代は欲しい情報は大学の図書館や国立図書館で調べて得るプッシュ型情報収集の時代です。
ある意味ではプッシュ型しか方法がない時代です、その時代からの名残なのか例えプル型情報収集であっても欲しい情報は自ら工夫して得ることが常識化しているのです、今はネットである程度正確な情報も簡単に得ることができます、しかし発信者が不明の場合は検証する必要があります。
労せず得られる情報ほど意味の無い不要な感情を呼び起こすだけで利益に繋がるものは極めて少ないのは事実です、欲しい情報はプル型であっても確実な情報を自らの行動によって能動的に得ること、これが勝者の情報収集術です。
2024年3月28日 01:00
ビジネスを上手く構築している人は必ず絶対的な自分だけの「成功法則」を持っています、また更に「成功法則」に当てはめるように時には必然的にそれに向かう為の流れを自ら作り出しています、流れの方向が異なるのであればそれを修正していける術も持ち合わせています。
「流れを作る」、他者から見るといとも簡単に行っているかのように見えます、しかも長期間の計画をもって無理の無い方法で周囲の人を含めて全てをその方向に向かうように極自然に善き流れを作り出しています、また「成功法則」は偶然でも何でもよいのですが自身がまずは成功しなくては身につきません、一度でも成功を収めれば自身の「成功法則」が見えるようになってきます。
成功しそうな人が周囲にいれば何が何でもその人についていく人がいます、実際それを生涯に渡り貫き通すことで大きな金字塔を構築した人もいます、それがその人の自身で確立した「成功法則」なのです。
ここで一つだけ言わせていただくと、「成功法則」は他者の真似しているうちは絶対に確立しません、何故なら人によってその人でしか成功しない方法が必ずあるからです、したがって自分を正確に知って自分を活かす方法を知ることから始めなければなりません。
流れを誘導していくときにも重要な事があります、それは「動くタイミング」です、どんなに「成功法則」を持っていようが「動くタイミング」を逸脱したら何の意味もありません、それまでの「成功法則」は崩れ去ります。
成功したければ「自身を正確に知る」、「偶然でも他者に頼ってでもよいから成功事例を自身で作る」、「それを他の事項にも試してみる」ことです、何度も同じように上手くいけば自分だけの「成功法則」が確立したことになります、あとは実行タイミングさえ間違わなければ意図的に流れを作り出す事もそれほど難しくはありません、先ずは実践ありきです。
2024年3月27日 01:00
昔から成功している人や名を後世に残している人の生き方・思考・行動などを可能な限り情報を集めては分析しています、これが実に面白い共通点があったりしてビジネスにも大いに生かされています。
「温故知新」、つまり先人の知恵を借りて現状そして自身に置き換えてアレンジする、それが意外や短時間に成果を出せたりするので更に成功者の調査研究はやめられなくなっています、さてそんな中で調べるほどに大きな疑問が起きるのが画家の生涯なのです。
現世に名を残している多くの天才画家達、彼らは生きている間は特に大きな成果を上げるわけでもなく勲章をもらうわけでもなく、どちらかというと酷評こそもらっても評価されることもなく生涯をいろいろな人の援助によって生活苦の中であの世に逝ってしまいます。
死後数十年以上も経ち時代が変わり何かをきっかけにその才能や作品が突然のように認められ評価されるようになります、そして作品はオークションで数億円以上もの高値で落札され世界に名前をとどろかせることになります。
でもこのように死後であっても評価され名を残せられた画家はほんの僅かな人たちだけです、パリのモンマルトルに行けばわかります、世界中から画家として成功したい人が狭い道路の両端で絵を描いては安値で売っています、彼らは何を夢見ているのでしょうか?
経営者としての私はそこに大きな疑問を持つのです、生きている間に評価を受ける人は死後に評価され名を残す人よりもさらに少ないのです、経営者として上場を果たすよりもその数百倍も難しく険しい道のりなのです。
「絵を描くことが好きだから」、でも実際問題として生活するという現実をどう考えているのでしょうか、名もなき多くの画家は家族も持たない孤独な人生を歩みます、そして多くの人は生活を他者に頼っています、それでも自身が好きなことだからという理由だけで続けられるものなのでしょうか。
私は事業を開始して推進を考えるときには一つの「使命感」みたいなものを感じることがあります、コーチングの人がよく使う「した方が良い」ではなく「しなくてはならない」という苦痛も感じることさえあります。
ただ結果論で申し訳ないのですが意外と「使命感」を感じた事業って上手くいかないのです、理由はわかりませんが自らが楽しめないというか極めることへの怖さを感じることもあります、経営者として生きている間に成功を収めたいと本気で願うのであれば「使命」を感じるような事業を興すべきではないと思うのです。
また成功したいという強い思いを持つのも余裕がなくなり思ったような展開にはなりません、成功している人の調査研究で一つ言えることは成功者の多くが何も考えずに浸食忘れて没頭できることをひたすらやっているということ、そこには「使命感」も「義務感」もありません。
「使命感」や「義務感」は目標が達成(成功)して結果が出たときに、これまでの年月を振り返って「これが私の使命だったのかな?」と気付くものなのではないでしょうか、そして後世に他者がそれを評価して「努力の結果」として称えるのです。
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