自己実現を目指して独立起業し期待に満ちてワクワクしながら張り切っていたのでしょう、しかしそのワクワク感は起業後数ヵ月で一瞬にして思うように進まないことでのイライラ感に変わってきます、そして次に襲ってくるのが生活の不安であり更には見えない将来ビジョンに対する失望感との戦いです。
でもこれは極めて正常な独立起業の人の状況と心境です、ソフトバンクも創業3年間は収益がほとんど上がらずどん底からのスタートだったのです、松下幸之助もスタート直後から辛酸を舐めながらの三畳一間の家内興業でした、何年間も明日が見えない状況下で苦しんだのです、起業当初に過去の実績で順調にいく人も稀に見られます、しかし結局は同じことです、半年もしないうちに思うように進まない状況と資金繰りの二重のジレンマに陥ります。
ここまでは勝者も敗者も同じ状況になりますが起業3年経った辺りから両者の状況は大きく乖離してきます、勝者となれる人は大きな気付きをもって自身を積極的且つストイックに進化させていきます、その前向きな姿勢に周囲も動かされ協力的になります、そして状況は少しずつ好転しはじめてくるのです、その後は経営や事業成長に必要な人の信頼と協力を得て自身も企業も一気に成長していきます。
対して敗者となってしまう人は3年辺りで「自己実現など夢のまた夢だった」と諦めてしまいます、そして行きつく先は落ち込んだ心を癒してくれる家族や人のところです、この時点で姿勢は既に守りに入っています、そして有益な人からも距離を置かれるようになります、人生とは守りに入った瞬間に転がり落ちていきます、そして数ヶ月で人が変わったようになっていきます。
自身を脅かす事項と戦わなかったらどうなるでしょうか、そうです戦わなければあっという間に自身が最も嫌だった状況に脳が占領されてしまうのです、後は必死で与えてくれる人にしがみつくしか守る方法がなくなってきます。
勝者と敗者の違いはたった一つです、どん底から這い上がる前向きな強い気力を持ち続けるか、その重圧に押しつぶされて明るい未来を諦め現状生活を継続させることに甘んじるか、すべてが自身の精神力の強さ次第なのです。
ここでいう精神力とは守りの精神力ではなく攻めの精神力です、意外や守りの精神力が強い人は攻めの精神力が極めて弱いのです、だから更に苦境下でできることは現状の生活を必死で守るという頑なな思考になってしまうのです、這い上がれる人は次々と襲ってくる重圧や障害をクリアして更に成長していきます、守りに入った人は未来を創造する為のお金さえも惜しみ人間性もどんどん小さくなります。
谷深ければ山高し、底が深くなった人ほど這い上がるには大きなエネルギーを必要とします、最終的に行きつく谷底である「人生破綻」の前に最後の気力を振り絞って少しでも浅いうちに這い上がっていただきたいと思います、「経営破綻」などは一つの勲章です、「人生破綻」したら生きながらも人生は終わっています。
どんな理由であれ。
相手のビジネスチャンスを奪うお願いなら、
代案か損失補填を明確に示すべきだ。
コメント
事業会社とは自由な営利活動を認められている。
自己都合によって相手のビジネスチャンスを奪うお願い事をするのであれば、その損失補填方法をまずは示してからである。
ビジネスの基本はギブ&テイク。
つまり互いに与え合うことから始まる。
そして常に利益の共有と公平なる分配が最重要。
コメント
ギブ&テイクの関係が構築できていないからビジネスにならない、どんな提案もお願いも要求と何ら変わらない。
二極分化の時代到来と言われて久しいですが現に1000万円以上の高所得者層の伸びと300万円以下の低所得者層の伸びが著しく両極端に広がっています、同じ場所に在って同じような内容の飲食店も同様に繁盛店と閑古鳥が鳴く店とに極端に分かれてきています。
同類商品も同業企業も全てが二極分化の大きな流れに飲み込まれているかのように思える現象があちらこちらに見受けられます、そんな時代の経営者もまた時代の流れに逆らえず大きく二極分化してきます、私がここでいう経営者の二極分化とは「勝ち組/負け組」という当りまえな事ではありません、これは企業そのものの評価という意味でのこととなります。
では経営者の二極分化の流れとは何でしょうか、それはその経営者が置かれた空間そのものを意味する「コミュニティ派/孤立派」に大きく分かれていくことにあります。
コミュニティ派の経営者は社員やパートナーに加えて常に各種のコミュニケーションを図れる仲間が多数存在し孤独感を味わうことなく自身の道をひたすら走ることができます、困ったら相談できる、悩んだら話しを聞いてくれる、食事も常に一人ではないから心身共に元気そのものです。
対して孤立派の経営者は友達や付き合う人が多く居るように見えてもいざという時には孤独感に包まれることを意味します、心から気を許す存在が周囲にいないからに他なりません、基本的に人間関係構築が上手くできない結果とも言えるのですが、この現象がここ数年で大きく広がっていきます。
この原因を私なりには分析しており一つは「SNSの功罪」と結びつけて考えています、リアルでも人間関係構築には面倒なことを避けては通れません、だから手軽にコミュニケーションが図れ何時でも面倒になれば縁を切れるバーチャルの世界にのめり込んでしまうのです。
しかしバーチャルはあくまでもバーチャルでしかありません、SNSの世界ではカリスマ的な存在であってもリアルな世界では常に孤独感に襲われます、こんな経営者は珍しくなくなってきたように思えます、孤独感に押しつぶされそこから逃れようと更にSNSの世界にのめり込んでしまいます、結局のところ経営者の「存在二極分化」はこうしてどんどん広がっていくのです。
「PDCAサイクル」とはP=Plan(計画)・D=Do(行動)・C=Check(確認)・A=Act(改善)を意味しており企業や組織の経営活動などの指標に用いられる行動計画の手法です、「サイクル」と名が付くのですからPからAを繰り返し行うことで徐々に経営や営業力が強化されていくという代物です。
ここで多くの人はP=Planはなかなか良くできます、計画を立てることは流石に実態が伴わないので簡単に上手く纏められるようです、問題はD~Aです、多くの人がD=Doがなかなか計画通りにはいきません、 そしてC=Checkの仕組みがありません、最後にA=Actにおいては計画を修正する基準や方法を知りません、ということで絵に描いた餅に終わってしまう可能性が高い手法なのです。
「前例が無い」というのはまだ良い方かもしれません、過去や現在の状況からデータをとって作ればよいだけです、「PDCAサイクル」の最悪のケースというのは形だけに終わる「形骸化」してしまうことにあります。
中には「PDCAサイクル」が企業活動のためにあるのではなく、「PDCAサイクル」のために企業活動があるような状態になっている会社が現実に存在しています、こうなってしまった会社は「方法ありき」で何のための「PDCAサイクル」なのかが解らなくなってしまっているばかりか間違ったプロセスに沿った企業活動は最終的に会社を転落へと導いていってしまうのです。
「PDCAサイクル」などの各種フレーム(仕組み)は、企業をより良い方向へ効率的に導くために考えられたものでフレームを実行するために社員が存在しているわけではありません、「PDCAサイクル」に限らず新しい手法を知ると実際の経営活動は余所にそのフレームの魅力に取りつかれる経営者は少なくありません、「目的は何なのか」を忘れてフレームだ手法だというのは経営を考えた場合には本末転倒もよいところです。