人生とは本当にいろいろな事が起きます、良い事があるから悪い事での気づきや反省からの成長があるし、悪い事があるから良い事がよりいっそうの感動や感激を呼びます。
良い事と悪い事とは私が思うにそれは同次元に存在するものです、全てが自分の思考や行動の結果において起きているのです。
例えば、本当に相手を思っての親切心が裏目に出て嫌われて縁が切れたとしましょう、これは悪い事でしょうか?
いえ、私は結果としてそういう真心が伝わらない人と縁が切れて良かったのだと思うことにしています。
相手からは逆に写ります、「気楽な人(金銭感覚など)だと思っていたら意外と細かいことを気にする人だ」と思ったことでしょう。
だから誰も悪くないのです、ただ「そもそも論」で言えば双方が「別次元の人と付き合うには無理があった」ということです。
そういうことが判明し縁が切れる、これは悪い事でしょうか?
私は早期に互いの人となりを確認できてとても幸せなことだと思うのです、ただ自分の誠意や親切心が裏切られたとしても、どんな仕打ちをされたとしても絶対に相手を恨んではいけません。
そういう人を時々見受けることがありますが本当に空しいです、そしてそういう発想や行動をする人を見るのがとてもつらいです。
例え意図的に陥れられたとしても自分は何もしないほうが良いです、その陥れによって一時的に友人や周囲から孤立してしまったり誤解されてしまってもです。
何故かというと「何れ偽りは暴かれ真実が周知される」からです、これは何時の時代もどのような関係においても歴史が証明しています。
もし、自分を陥れた人を非難したり攻撃すると今度は逆の立場になってしまいます。
周りから見れば「どっちもどっち」と映るでしょう、だから何もしないほうが良いのです。
他者がどうであれ自分は一時的には辛くても何もしないこと、真実を明らかにするのは自分ではなくて周囲やもっと言えば天なのですから。
ビジネスは非情な世界です、過去何をやってきてどんなに頑張ったかなどは意味が無くどんな結果を残したかが全てです。
ビジネスの結果が収益であり利益です、結局自身の生活もまたビジネスの結果において保証されるのです、その意味ではビジネスで成功したかどうかの評価は全てが結果しかありません。
対して人生はどうでしょうか、人生の成功がビジネスの結果であれば別ですが、良い人生だったと最後に笑えるのはどんな愉しいことを誰とやってきたかだと思います。
そして悔いを残さないことです、と言うことは結果の良し悪し以上にその過程がどうだったかを評価されるのだと思います。
ビジネスで悔いを残さないためには結果においての評価、そして人生で悔いを残さないためには過程においての評価なのではないかと思うわけです。
ビジネスでも人生でも悔いを残したくなければ、正道を歩み愉しくビジネスを行って結果を残すこととなります、このどちらが欠けてもきっと幸せではないです。
だから「食うためには何でもする」という人は一時的には食えるかもしれません、一時的にビジネスで成功するかもしれません。
しかし、ロングスパンでの大きな人生において幸せだったと本当に思えるのかどうかは疑問です、そしてそれを家族や友人がどう評価するかです、そこをもう少し考えることが大切だと思います。
若いころは永遠に生き続けると思うのか、何時でもリセットできると思うのか、なかなか人生の最期を考える人は少ないです。
でも、ある一定の年齢になればよく解ります、私もようやくそれが解るような年齢になりました。
メーカと販売会社とか企画会社と開発会社とか、お互いの弱いところを補完する意味で多くの企業は異業種企業と資本提携や事業提携などを行うことがあります。
これらの企業を紹介するのが商社や銀行などでそのきっかけも様々です。
他方で、新聞記事やホームページを見て突然紹介話を持ってアクセスしてくる人がいます。
話を聞くと相手先は事業提携できそうな企業であったりします。
それで話はスムースに進むのですが、いよいよ契約締結というところで相手先との間で話しが食い違っていることに気付きます。
原因はその仲介者がこちらと相手に対してそれぞれに都合良く話をしており、両社が話しをしてみると条件などがそれまでの話とまったく違うことに驚かされるのです。
仲介者も悪びれもせず何とか纏めようと必死になって両社を説得し始めます、結果的にその仲介者を交えての3者間契約では両社が納得できず仲介者に両社から若干の紹介料を支払って2社間契約でということに落ち着くということになります。
こういう仲介者は元商社やメーカーに勤めていた人であり、何らかの事情により退社した人が殆どで話しが上手いしスピーディに自分のシナリオ通りに事を進めます。
ネットワークも豊富で能力的には言う事なしです、しかし両社にとっては迷惑な存在である場合が多いのも確かです。
結局どこに問題があるかというと、その人のビジネスセンスを含めた人間性に問題が有るのです。
結果的に紹介者は両社を何とか結びつけ紹介料やマージンを獲得する思惑であったはずが、それらを全て排除され一時金で納得させられてしまいます。
紹介者もビジネスがゼロになるよりも、一時金であっても報酬を受け取れるので納得できるしその後も障害となることはありません。
本来であれば両社が罠に掛かった感じですが結果善しの場合が多く、こういう人をあえて排除する必要もありませんし歓迎すべき人なのかもしれません。
こういう仲介者を私は「ブリッジマン」と呼んでいます、「ブリッジマン」とは両社を引き合わせるだけで実は自分はあまり得しない人なのです、こういう人を世間ではブローカーと呼んでいます。
「ブリッジマン」と上手く付き合えれば、本来ならトラブルの種も善いビジネスの糧となることが多々あるのです。
「成功したければ何度も穴に落ちろ」とよく門下生に言います、しかし穴に落ちる意味までは詳しく話したことはありません、それは落ちて自分が気付くことが最も肝要だからです。
さて、「穴に落ちる」とはどのような状況を言うのでしょうか?
それは、自分が良かれと考えた行動の結果において取り返しのつかないほどの大きな失敗や過ちを指します。
それをどうして何度も経験することが重要だと言うのでしょうか?
一つには「自己責任を痛感しろ」ということです、若いうちは特に他者の話を聞きません、自分の狭い範囲で考えたことが全てであり正しいと思い込んでいます。
それが世間には通用しないことを身を持って経験することで、一つまた一つ成長していきます、つまり失敗による学習効果です。
口頭で教えても人間とは合理的な動物ですから学習しません、ですから自己責任において自由にやらせてみるのです。
もう一つ、落ちて初めて気付くことを身をもって体験できるということです、落ちたときの気付きは落ちた人でなければ得られません、つまりは自ら経験を通して身につけることが肝要です。
私は大きな穴に落ちて多くの穴の底に眠る財宝を発見しました、また横穴もよく見れば沢山あることに気がつきました。
これらは決して地上にいるうちは発見できません、落ちて初めて発見できる宝物です。
多くの人は体裁や保身からなのか、せっかく穴に落ちる状況が揃っているにもかかわらずなかなか落ちません、仕方がないから背中を押して落としてあげるのですが今度は穴の際にしがみついて這い上がってきてしまいます。
穴の中で学べるものは生きるための知恵そのものです、非常に多くの生きた経験と知恵が一瞬で結びつきます。
多くの本を読んでも駄目、他者の言葉を幾ら聞いても駄目、それを経験しなければ意味の無い知識です、知識と知恵は全然違うのです。
本を読んでゴルフが上手くなりますか?
本を読んで自転車に乗れますか?
何事も本で読むのとやってみるのとは雲泥の差があるのです、一度でもやってみればすぐ解ることです。
例えば塩、この味をどんなに本で学んでも知ることはできません、しかし舐めてみれば1秒で解ります、これが自ら経験して知恵を獲得するということです。
いつもは穏やかで大変紳士な人なのですが、お酒の席で心のガードが外されてしまって思わず横柄な言動や態度に変貌する人がいます。
釣りやゴルフなどで上手くいかないと人や物に八つ当たり、ちょっとしたトラブルでも物凄い形相で周囲を怒鳴り散らす人がいます。
儲け話が好きなくせにいざという時には出し惜しんで支払わない、自分の過失なのに謝らないなど、隠れた嫌な部分を目の当たりにすると普段の姿とのギャップも重なり本当にショックを飛び越え空しさだけが残ります。
それまではビジネスの先輩として敬ってきたのが、たった一度で尊敬できない人へと変わってしまう事も多々あります。
人は平和なときは誰でも穏やかでいられます、しかし自分に都合の悪い状況や追い込まれた状況になると余裕が無くなり本来持っている本質がつい出てしまうようです。
大きな問題発生や自分に都合が悪い状況になればなるほど、落ち着いて物事を判断し冷静に対処していく人で在りたいです。
逆に、悪い状況のときほどその人の本心を確認できるチャンスかも知れません。
ただ、何時も本心をあまり出さない人がつい本心を出したときに見る人間性に感動するときもあります。
要は、やはりここぞというときの行動や姿勢が肝要なのです。