あらゆる業種でリーダーに「必須能力」を求められる傾向が強くなってきています、「必須能力」とは基本的に身につけるべき能力であり「必要不可欠な能力」と解釈しても間違いはありません。
昔の経営者は努力や根性で頑張ればある程度の成果も出せました、しかし現代においてはサービスの多様性や技術の変化のスピードなど克服すべき要素が実に多いのです。
こういう時代においては「必須能力」の差が結果に大きく反映されてしまいます、生き残るには「必須能力」を高めることが最低条件とも言えます。
では「強い」ビジネスリーダーにおける「必須能力」とは何かですが、以下のようなものがあげられます。
1:インテリジェンシー
これは最も重要な項目です、「大学や大学院を出ています」とか「常にトップクラスでした」とかはどうでもよいことです。
学校の勉強ができたできないのレベルは現在のビジネスにははっきり言って無関係です、「強い」リーダーにとって重要な「インテリジェンシー」とは儲かる仕組みや効率的な段取りを考えられる思考の柔軟性と回転の速さです。
2:運(勘)
どんな世界でも「運」に見放されたら絶対に勝てません、ゲームでも然りでどんな実力者でも「運」が無ければ絶対的に有利な状況でも勝てません。
「運」とは自分だけではなく相手や環境によっても異なってきます、結果的に「運」が良い悪いとなるのですが、よく考えると強運な人はやはり「肌で感じる何か」を確実に読み取って行動しています。
ここで言う「運」とは感覚から来る計算に似た直感的なもので、危険予知や未来予想なども統計からの計算によってある程度の確度で知ることが可能であり、このような事項も含みます。
3:精神力
これは「ビジネス成功者」に共通する重要項目です、自分を信じ、仲間を信じ、最後まで諦めない強靭な精神力に勝るものはありません。
こればかりはどう鍛えてよいのか、やはり多くの経験をするしかないでしょう。
4:有益人脈
言い換えると有益人脈が多い人とは人間関係や情を常日頃から大切にしている人です、自分勝手や自己中心的言動は確実に仲間を減らし敵を作ります。
何時も「無条件で本気で助けてくれる人が何人いるか」を考えるようにすれば、自己中心的な行動が減るのではないでしょうか。
リーダーとは下手をすれば自分を信じてついてきた者を路頭に迷わすことにもなるのです、心して自己ブラッシュアップを怠ってはならないのです。
自信が無ければリーダーは務めるべきではなく他の人に譲るべきで、これも経営者としての潔い責任の取り方というものです。
昔から経営学でよく言われる言葉に「社長の最大の仕事は人事」というのがあります、リーダーにとって組織を最大限に生かしきるには人事が最重要であり、そこには「適材適所」ということを一番に考える必要があります。
適材適所を考えるにあたり基本となるのが思考パターンです、これは「行動は思考をベースに出てくるもの」であるからに他なりません、思考パターンは大きく分けて以下のように分けて考えればよいでしょう。
・思考パターンA=プラニング人間。
・思考パターンB=ソリューション人間。
・思考パターンC=アクション人間。
営業や技術部門は職務内容であって思考パターンとは異なります、営業も技術部門も何をその人に求めるのかで上記の3つに分かれます。
プラニング人間は、何を行うべきかを調査・検討し企画(戦略策定)を行うことに長けています。
ソリューション人間は、それを実施する為の必要な要素を計算し問題点を解決することに長けています。
アクション人間は、実際に実施するための方法など具体的な方策を練ることに長けています。
これらを数学的に説明すると。
・プラニング人間は「?+?=?」を解ける人。
・ソリューション人間は「?+?=10」を解ける人。
・アクション人間は「7+3=?」を解ける人。
つまり、プラニング人間は自分で回答も方法も考え、ソリューション人間は回答を与えられた後にその方法を模索し、アクション人間は実際の行動によって回答を得ることができる能力なのです。
思考パターンの違いはどれが優秀とか劣るとかではなくどのように物事を捉えるかが重要です、自分の持って生れた思考で行える業務に従事できた人は会社も本人も幸せです。
人事は「その業務に適材を振り分ける」のではなく、「その人を正確に把握し最適な業務を振り分ける」という考えで行うと意外とスムースにできると思います。
儒教でいう五常の「仁・義・礼・智・信」、この中で私が最も心に留めている事項が一般にいう「仁」ではなく「義」です。
「義」とは正義・恩義・大儀などいろいろあるのですが、論語にいう「義」とは「人として正しい道」と説いています。
何故私が「義」を重んじるかというと「義」には「仁・義・礼・智・信」の全ての基本姿勢が在るからです、「義を理解して初めて仁も礼も智も信も知る」というのが私の解釈です。
「人として正しい道」、言葉では実に簡単ですがこれを行うのは簡単ではありません。
例えば私はよく知人に人を紹介することが多いのですが、その際に知人同士が何らかの結果を求めて個別に会うこともあります、この際にその人の「義」の価値観を垣間見るのです。
私は紹介された人と会うときは必ず紹介してくれた人に連絡します、緊急的なことなら事後報告になることもありますが黙っていることはありません。
これを平気でできる人が実に多いのです、知人同士がビジネスを行おうとプライベートで会おうとそれは全く問題ないことです、しかし上手くいっている場合はそれでも見て見ぬ振りもできます。
問題は関係が拗れた時です、その状況で双方から初めて事実を聞かされても私として責任は取れませんし仲裁することもできません。
私が紹介者に必ず会うことも会った時の話も報告するのはそういうことなのです、その紹介者がいて初めてその人と関係ができたのです、普通に考えても紹介者を外して上手くいくわけはないのですから。
紹介者は互いを知っていて紹介しています、つまり「シナリオライター」なのです、「シナリオライター」のいない役者だけでいったい何ができると言うのでしょうか?
例え役者がベテランであってもシナリオも無く互いのアドリブを繰り返しても纏まるものも纏まりません、どんな話をしても笑顔を振りまいてもその人の「義」の度量を知ればその人の全てが判ります。
話や笑顔は幾らでもその場で作れます、しかし「義」の心は付け刃では作れません、だから私は「義」を通さない人には自分から「義」を出すこともありません。
「義」はその人の器の広さ深さ(度量)、「仁」は思考、「礼」は完成度、「智」は色模様、「信」はお墨付き、私自身はそう例えて他者を観るようにしています。
私は昔から常にマイペースで生きています、他者を意識することもなければ他者と比べて自分を評価するようなこともありません、したがって他者をライバル視することもないのです。
事業家になってからは常に自分自身で敷いたレールしか信じないし他者の敷いたレールでビジネスしたこともありません、ただ独立した頃から改めて解ったのですが世の中には他者を意識する人が意外と多いのです。
こちらは全く意識もしていないのに妙なライバル心をむき出しにしてあらゆる手段で何かにつけて妨害されたことなど数多くあります、特に起業後10年目くらいの頃には政治的・経済的・法的圧力をかけられたり故意に罠にはめビジネスを潰されかけたこともありました。
それはさておき、他者をライバル視する人を冷静に観察すると他者に対して勝ちたい欲求が強いのにも関わらず普通では勝てないというジレンマが強いように感じます、そして彼らは何故勝てないのかも解りました、単刀直入に言うと「ライバルと同じ武器とフィールドで戦おうとしている」からです。
私のように他者を意識しない人は自分の最も得意とする方法と自分の能力の範囲でビジネスを考えます、したがって私は昔からよく「ビジネスが下手だ」と言われます、しかし私的にはこれを言われる度に「全てが上手くいっている」と考えるのです。
一般的に見るとビジネスが下手かもしれません、でもこれが私流のビジネス手法でもあるのですから今更変えようとも思いません。
本当に他者が言うようにビジネスが下手だとしたら、創立25年も連続黒字経営を達成し一旦上場企業の傘下に入るも再度復活させて今こうして再びマイペースに新事業を興してはいられないでしょう。
他者と同じことはしない、自分の方法を確立しそれで結果が出せ事業も社員も守れているのであれば何をベースにどのように評価されようがどうでもよいのです。
私のように何もしなくても他者に意識される人間が他者と同じ方法でやれば今よりもっとライバル視され本当に力関係で潰される可能性が高いでしょう、自分を売るために表に出ることもなく目立つことは一切しないのもそういうことです、そういう自分を理解して自分に合ったリスク回避の方法を身につけているだけです。
どんな事でも自分の持ち味は自分が最も勝手知らなければなりません、常に勝てない人はライバルに勝ちたい一心で視野が狭くなってしまっているのです、結果的に相手の得意とする武器とフィールドで勝負をしてしまうのではないでしょうか。
「強い」リーダーを目指すなら他者と同じことをしないことです、あくまでも勝負は自分流で行うことが肝要です。
これなら勝てなくも負けることはありません、そうです意味の無い勝負を一切しないのですから、そしてつまらないことに勝負心を燃やすこともないのですから。
リーマンショック後に経済誌やテレビなどで「100年に一度のピンチは100年に一度の大チャンス」という経済評論家が後を絶ちませんでした、みなさん口をそろえて投資や会社建て直しの好機と説いていました。
私は天邪鬼(あまのじゃく)なのかこの言葉を聞くたびに「景気回復は相当延びるな」と思っていました、結果更に10年以上も低迷が続きました、これは私の予想よりもはるかに長い景気低迷期でした。
投資の世界で俗に言う「ブル/ベアの錯誤」は確実に景気判断にも生きています、「ブル/ベアの錯誤」とは強気派(ブル)が多数になると景気低迷し、弱気派(ベア)が多数になると景気回復するという状況と心理が不一致を起こすというものです。
オイルショック・バブル経済崩壊・リーマンショック(サブプライムローン壊滅)と、綺麗に約20年単位で景気が厳しくなると冒頭の話しが出ます。
その結果どうでしょう、予想をはるかに超える長期不景気が訪れています、バブル崩壊の後遺症はなんと12年も続いたのです。
この裏にいったい何が潜んでいるのでしょうか、土地が下がる、株が下がる、一流企業が赤字転落する、このときマスコミや評論家は常に「景気の底」と言ってきました。
そしてそれを信じて最後の賭けをする人が増えます、相場が上がることを信じて損を補う為に残った財産を投入するのです。
しかし現実は非情にも予測通りにはなりません、土地や株を買う人が増える一方で不良資産を抱えている企業や投資家は揃って売り逃げを仕掛けて損失を最小限に確定しつつ不良資産を解消し身軽になっていくのです。
そして、企業の確定売りが一巡して買い手がいなくなったとき「底なしの暴落=本格的な不景気」が始まるというのが相場シナリオの定石です、個人は売るにも売れない状況になりあっという間に資産が減少します、そして他の商品も買い手が付かなくなり巷には物が溢れ価格も暴落し恐ろしいデフレが発生するのです。
日本の会社の99%は中小企業です、その経営者がこういう事態に巻き込まれたらその会社はどうなるのでしょうか?
景気が一旦悪くなると大企業のリストラが盛んに行われます、一度に数千人という規模ですから大きなニュースになります、しかし中小企業の倒産が相次いだら1社当たりは少ないのですが数千社となれば大企業の比ではない失業者が発生します。
景気回復の直前が最も厳しい不景気になるという統計があります、それに照準を合わせて大企業は保有資産の確定売りを仕掛けてきます。
「100年に一度のピンチは100年に一度の大チャンス」などではありません、「100年に一度のピンチは現存する人類が一度も経験したことがない程の恐ろしい究極のピンチ」なのかもしれません。
変な期待を持たず当面の経済状況は最悪の状況であることをまず認めることが肝要です、そして景気低迷期は事業の成長を仕掛けるときではなく体力を温存しつつ次の春に向けて培ってきた種をベースに次代にくる好景気に合わせて新たなる事業を作るときなのです。
場合によっては古い体質や陳腐化した事業を手放す絶好のタイミングでもあるのです、厳しい現実を潔く認めることができるのが真の「強い」リーダーなのです。