ビジネス会話やメールのやり取りで予防線を張るように前置きする人がいます、「私が嘘をつかない人であることを前提に・・・」、「私はお金では動かない人ということを前提に・・・」、「信頼関係で結ばれていることを前提に・・・」など。
正直そんなことはどうでもよいです、大事な局面では腹を割って直接話しをすることが重要なのです。
本当にそういう人なら自分で前置きすることは絶対にしません、人は当たり前に考えていることは意識しません、意識して話しをするときには必ず陰陽の意味があるのです。
心理学的に言えば前述の3つの例では、自ら「嘘つき」・「お金で動く」・「信頼関係が築けていない」ということを表現していることになります。
「嘘をつかない」・「お金では動かない」・「信頼関係構築済み」は信頼関係同志なら当たり前のことなのだから、その当たり前のことを確認できているので今が在るのではないでしょうか?
何れにしてもこのような人を信用できるかと問われれば即答で「No」と答えざるを得ません、そもそも言葉で伝えようとしている時点で私的にはアウトです、表像化しているものには正直興味も湧きません。
解る人には全てがお見通しということです、予防線を張るのは保身の極みです、何故なら最初から既に保身に走っているのですから、そのような人にやはり重要な事項を任せることはできません。
情報を正確に伝達できる人はどんなときでも信用できる人です、特に誰が考えても自分にはマイナスに作用する事実であろうとも、問い質されれば「イエス」・「ノー」で正確に答え裏付けも取れる人は疑いもなく信用信頼できる人です。
普通では言えないことも多々あります、自分のマイナスになることだけではなく他者の信用問題が絡むこともあります。
プライベートでは隠し通すことで上手くいく場合もあります、しかしビジネスでは必ずどこかで矛盾が生じてきて結局黙っていられない局面になります。
聞かれないことで他者が絡んでいることなら不用意に話さない、問い質されれば明確に回答する、これが最もビジネスで信用できる人です。
特にお金が絡んでいたりビジネスに私情が絡む事は正確に回答することが必須です、ビジネスでもっともトラブルになる行為は若い人に多く見られる情報伝達において自分の意志や考えをフィルタリングして伝えることです。
これは双方の利益を考えてのことのようで実は結果的に相手と自身が傷つくことになるのです、伝えたい人の意志ではなく伝える人の意志では伝えられた人は正確に状況判断することができません。
「情報を正確に伝える」、これは信頼関係維持の最低限の掟であり重要事項を任せられる人の最低限の資質です。
聞いてもいない過去やプライベート事そして悪癖や持病などのマイナス要因を自ら話す人、その人のその話にはどれ程の信頼性と価値があるのでしょうか。
この自ら自身の暴露を行う心理ですが、一つの理由は自分を信用してもらおうとする目的が見え隠れします、そしてもう一つがいろいろな意味での自慢がよいところです。
更には弱い部分や失敗談を事前に暴露することで将来のいざというときの逃げの準備をしているのかもしれません、「前に言いましたよね?」という例の三流役者の逃げ口上です。
どんな場合も過去やプライベートのことは自ら進んで話す必要もないし誰も要求してはいません、何故ならこれからのビジネスに何の意味も必要もないからです。
語るべき時に語らない、語る必要がない時に語る、今この瞬間はどんな状況でどんな場なのか、そんな忖度も弁えない人とどうして楽しくビジネスができるでしょうか。
プライベートな空間や状況、そして家族やプライベートな関係者をSNSで公開している人も上記と同様です。
どんな目的や理由があろうが、プライベート空間やプライベート関係者を公開する機密保持&危機意識が無い人は信用するに足りぬ人です。
若い頃から活躍している俳優や芸能人、何十年経ってもプライベートは闇の中でスキャンダルの一つもない人がいます、それが本物のプロ意識というものです。
ビジネスは何時の時代もどの業界でも一事が万事です、些細なことにも細心の注意を払う人に将来を託したいと思うのは至極当然のことです。
人は本当に辛いとき、苦しいとき、歓喜極まるとき、重圧から解放されたときには思わず大粒の涙が溢れてきます、声も出ない、泣くでもない、大量の涙が自然に溢れ出して止まらなくなるのです。
ビジネスの世界でも逃げ出したくなるような局面は多々あります、失態やミスを問い詰められることもあります、すがる気持ちで状況を真剣に訴えるときもあります。
でも、そんな時は目を見開いて話しを真剣に聞こうとするので自然に目が赤くなり涙がこぼれることはあっても声を出して泣くことはありません、脳は会話することに集中するからです。
お願い事をしなくてはいけないときはどんな人にもあります、でも辛い気持や助けてほしいことを訴えようと泣き真似をする人が意外と多いのには正直びっくりします。
子供なら解ります、これは誰もが経験している事でしょうから、つまり大人の泣き真似は最悪の「稚拙な行為」であり脳がまだ未熟だという証拠です。
男性は鼻をすする音を発し、女性はハンカチで涙を拭う仕草をします、でも涙は出ていません。
これは相手に理解を求めたり許しを請う無意識の行動心理の一つです、だからその心には本当の苦しみや辛さ、歓喜や解放感ではなく、依存する気持ちからくる稚拙なアピールに過ぎないのです。
これをやるくらいならお願いごとを真摯に話した方が結果的には上手くいきます、歳を重ね酸いも甘いも経験してきている者は修羅場・正念場・土壇場を何度となく経験し、人の善し悪しの行為を何度となく見てきています、ですから人はどんな時にどんな仕草や表情をするのかをよく解っています。
相手の同情心や正義感を擽り訴える人は必ず自己利益を優先している人です、ちょっとした仕草は心の中が丸見えになる無防備な瞬間でもあるのです。
対して、悔しい思いやこれまでの辛い過去、心が解放されたときの大粒の涙は本物の涙、人の心を動かすのに足りて尚余りがあります。
ビジネスにおいて自立した大人ではない稚拙な行為、何をやらせても上手くやれる人ではありません、当然のこと未来を託する後継者には成りえない人だと言えるでしょう。
1対1で面と向かって話をするとき、そこには面白いように「人となり」が浮かび上がってきます。
重要な話しをしているときに目を合わせないのは論外です、またすぐ目をそらすのは何処かに後ろめたい気持ちがあるからです、「目は口ほどにものを言う」とは長年の経験でいえばこれは本当です。
何度も会っている仲なのに、テーブルに手を置き頭を下げるように話をするのは「どうにかしてほしい」という強烈なサインです。
自分自身では何も努力せずに他者を頼ってばかり、そんな状況が長いと気持ち的に顔を上げて堂々と話ができなくなるのです。
他者には言えない深刻な問題があり、尚且つ自身の口から素直に話ができないのであればこちらから状況を聞きただす必要もありません。
ただ、こちらはそういう人は注意深く様子見するようになります、また重要な案件を依頼することも控えるようになります。
こういう状況の人は何時逃げ出すか解らないからです、これも経験則から確かに言えることです。
真剣な話しなのに顔は作り笑いを浮かべている人もNGです、こういう時は確実に本音とは違うことを話しているからです、また話のどこかに嘘や作り話が隠れています。
信頼関係があるのが前提の真面目な話し、互いにクールに話ができない時には必ず後で問題が起こります。
眼つき・表情・仕草は心の声であり口から出る言葉よりも正直で確実です、心の声を心の耳で聞き、心の色模様を心の目で観れば人は隠し事などできるものではありません。
向き合って話しをする際に心の中に在ることを正直に且つ真摯に話ができる人、信用・信頼できる後継者の最低条件であることは間違いありません。