私は幼い頃から弱視で小学校時代からメガネをかけても黒板の字も見えないほどでした、更に中学生の頃からは角膜にアレルギーを起こすようになって横からの光が乱反射してとても眩しく感じます。
でもメガネもコンタクトも肌や角膜アレルギーを起こすので使用することができません、したがってほとんどよく見えない状態でずっと裸眼で長い期間過ごしてきました。
小学生の頃からどの授業もノートはほとんど白紙です、全ての授業でノート1冊あれば数年間用が足りました、黒板の字がほとんど見えませんので当然です。
その結果において頭に何でも入れちゃえば良いんだという習慣が付きました、つまり頭がノート代わりなのです。
社会人になってどんどん目は悪くなるばかりです、夜は慣れない場所だと本当に怖いです、溝に落ちたり電柱から飛び出した針金で腕を切ったりすることなどしばしばです。
でも悪い事ばかりではありません、むしろ目が悪いことのほうが都合が良いこともあるのです、それは見なくても良いものを見ないで済むということです。
例えば、女性の吹き出物も男性の肩の上のフケも、ほとんど近距離で話していても見えませんから気になることがありません。
テーブルの埃も多少の汚れも全然気になりません、光の加減かと思っているのです。
そして最大の幸せは夜のライティングです、ちょっとしたネオンも街灯も私にとっては眩しいくらいのイルミネーションなのです。
本来は生活するにもマイナスポイントです、でも考え方や楽しみ方一つでそれはマイナスを消して更に上回るプラスポイントに変わるのです。
きっと私はずっとこのままの状態で光に包まれた眩しい世界を楽しんで生きていくでしょう、高層マンションに住み続けたり事務所を置くのも夜の街明かりを愉しみたいからに他なりません。
昔から、どのようにしてお金を得て暮らしているのか見当もつかない人と出会うことがあります。
名刺こそ会社の代表ですが固定電話番号の記載もなければホームページもない、例えホームページは在っても数年間も更新されていない、記載住所は住所貸しサービス会社のものです。
彼らに共通しているのは過去には自身の会社でビジネスしていた時期もある、短期間に仕事の内容がコロコロ変わっている、主な収入は押し並べていうところのブローカーであり仕事を繋ぐだけの紹介業ということです。
複数の個人や法人らから営業代行という立場で幾らかもらい、それが主な収入となっているようです。
このような人たちとは以前から何人かと契約して仕事をしてもらった事もあるのですが、長くても1年ほどで契約解除となってしまいます。
その理由は、最初の数ヶ月間は契約通りに各種の人脈を紹介されるのですが、紹介されるのはその人と同じようなブローカーやB2Bビジネスにはならないような個人活動家がほとんどで間接的に各種の法人を知っているという程度です。
このような人の口から出る言葉は自身の過去の武勇伝ばかりです、真実なのかどうかも確認しようもない話ばかりです、そして各種の人の名前があがります。
ところで、最近の若い経営者で次から次へとやることと付き合う人を変えている人を見かけることがあります。
その人を見ていてふと過去知りあったブローカーの人たちのことを思い出すのです、というか同じ匂いがするのです。
最近では、こういう人たちが将来のブロカーになっていくのだなと確信を持つようになりました。
石の上にも3年、同じことを苦しくても継続さえしていれば必ずその道で未来が開ける事業や人脈ができる状況になっていくものです。
1年やそこらでコロコロと仕事や商材を変えていては生業も天職も見つかるはずはありません、更にはこのような人についていく人もまた皆無です、したがって何時までも孤軍奮闘状況なのです。
そして成れの果てが、事務所もなく腹心と言える有益な協力者もいない単身ブローカーという職業に集約されていくのでしょう。
余裕ありそうな人に言葉巧みに近づいては目先の収益を無心する、自身の本質がバレて三行半を突き付けられると面白いように共通の捨て台詞を吐くのです、「自分の生活を優先する」、これって何なのでしょうか?
自分の生活を本当に優先してる人は先ずは長期安定の信頼関係を構築することに専念するはずです、そして当面の自身の生活を犠牲にしても他者に与えることを優先するはずです。
信頼関係の第一歩は与え合う関係構築からなのですから、一方的にを貰うだけの姿勢では何時まで経っても信頼関係など構築できるはずもありません。
自分で選んだ方法や道が正解かどうかなんて誰にも解りません、ビジネスでは人事・営業戦略・経営方針など企業には多くの決定すべき項目があります。
最終的には最高責任者である経営者が決定することになります、しかしそれが正解かどうかはその時点では誰にも解りません。
プライベートでは進学・就職・結婚と「人生の岐路」と言うべき多くの選択すべき時があります、その時にどれかを選択するわけですが選択された方法や道が正解か否かなんて誰にも解りません。
では正解とは何でしょうか、それは選んだ方法や道が自分でも周囲にも「あの選択は正解だった」という結果を残すことです。
つまり正解の本質とはあくまでも結果なのです、決して決断した方法や過程ではありません。
一度選んだら一切悩まないことが肝要です、そして選んだことを継続させることに集中し結果を出すことです、誰からも「正解だった」と言われるように悔いを残さずにやるべき事を必死にやって結果を残すこと、これが最も尊い正解なのです。
自分が思ったように行動して思ったような良い結果が出たときは最高の幸福感があります、自分が心から幸福感を感じてるときは表情や行動にもそれが現れて周囲もそれに強く影響されます、そして自然な感動を呼びます。
つまり、自分が心から幸福な状況でこそ周囲の人にも心から幸福感を分け与えることができるのです。
対して、自分のやりたいことが出来なかったときや偽りの行動をとっているときにはどこかに心身の無理が出てしまいます。
その無理が徐々に強いストレスとなり本意ではない言葉を発し、更には自己葛藤を始め悩み苦しみ行動も余裕無いものとなります。
それが周囲にも伝わり、どんなに正論を発しても心からの思いやりであったとしても本心は伝わらずに無理をしている表情や苛立つ精神状態だけが伝わっていきます、結果も大変不本意なものとなるでしょう。
人は自分の周囲が幸せな状況でなければ自分も幸せとは思えないのです、愛する人や大切な人を幸せにしたいと思うならまず自分が幸福になることです。
自分が幸福な状況でないのであれば、他者に何を伝えられるでしょうか?
常に自分に正直に、そして心に余裕を持った幸福感で満たされていなければならないのです。
親の背中を見て子は育つと言います、無言の波動はどんな言葉や文章よりも強力に周囲に伝わってしまうことを忘れてはいけません。
突然ですが、10のうち9信用できないが1信用できるところがある人と、10のうち9信用できるが1信用できないところがある人とではどちらの人が信用できますか?
普通なら当然10のうち9信用できる人という回答だと思います、ところが人間とは本当に面白いことに事実は全く異なるのです。
昔から嘘もつかなく誠実だった人にたった一度だけ嘘をつかれると物凄いショックを受けます、これがビジネス上であれば倒産の危機に直面することだってあるのです。
逆に何時も約束を守らない人は、信用していませんから常に慎重に心の準備をしています。
そこへ約束どおりの支払いがあるとすると思いもよらない経済的余裕が生まれるため、当たり前のことがありがたいとさえ思えてしまうのです。
ビジネスもプライベートも関係なく人の心理とは不可思議なものです、このような理不尽な事実が実際に起こるのです。
これは習慣から来る思い込み現象で、今までの習慣が破られた時に人は正常に判断できなくなってしまうのです。
もっとも、常に事を正確に見極められる人はこのような相対的な感覚で人を観ることはなく、常に絶対的な事実と思考で人を判断しているので上記のようなことは起こりえません。