数年前、「一人の人生15万円!」という文字が飛び込んできました。
よく見ている工学系のネット新聞の一面で、思わず記事を保存してしまいました。
この記事は、起きているときは自分目線の画像を30秒に一枚のデジタル情報として取り込み、音声は全てデジタル録音し、貰った手紙や領収書などの紙媒体も全てこれをエンコードしパソコンに保存するというものです。
その結果、蓄積に必要な容量を人生80年として換算したら3テラバイトであったといいます。
これを、当時のパソコンと増設ハードディスクの価格で計算したら15万円だったという内容でした。
確かに聞き違いやそのときの感情によって人の話を正当に解釈出来なかったり、そういうものを後から確認するのには便利かもしれません。
でも、人生って私はあくまでも一方通行で良いと思っています。
そのときの「瞬間」の連続によって次の展開が決まってくるもので、後から確認して軌道修正するものではないと考えます。
後悔するのも重要な人生の一コマ、それによって人間とは学習して成長するのだから。
これが商品化するようなことになれば、まさにその瞬間を大切にしない人や責任を逃れる人が世に溢れかえると思います。
その瞬間は一度しかない、だからその瞬間に全力を出し切れると思うのです。
人間とは、瞬間瞬間に起こる情報から保存するものと捨てるものを脳が瞬時に判断しています。
つまり、自分に不都合な情報はその瞬間にシャットアウトしているのです、だから人間として矛盾に苦しむことはなく正常に過ごしていけるのです。
それを無くしてしまったらどうなるか、人が人として生きていけなくなるということなのかもしれません。
心に響く言葉は誰にでもあると思います、そのときに魅かれるのは言葉でしょうか、それとも発した人でしょうか?
私はどちらかというと発した人に魅かれるタイプで、どんな人生を送った人なのかを重要視しています。
「賢者は名言を必ず持っているが、名言を持つから賢者だとは限らない」(孔子論語より)
言葉は誰にでも好き勝手言うことができます、でもその人の人生や経験を考えて言葉の意味を考えます。
経験したことでの根拠のない人の言葉は、やはり何を言っても薄っぺらく感じてしまいます。
そういう意味で大学時代からアインシュタインの本をよく読んでいた私は、アインシュタインの落ちこぼれ人生からの大逆転劇に心踊らされたものです。
そんなアインシュタインの老後は、人間の心の領域に踏み込み各種の名言を残しています。
中でも、「私が信じるのはただ一つ、他人の為に生きる人生のみが生きるだけの価値があると言うことだ」という言葉が切ないほど心に染みるのです。
何時の頃からか自己都合や自己利益優先の人が多くなったと思います、私の学生の頃まではみんなで助け合い分け合い生きていた国民総貧乏時代、贅沢こそできなかったがみんなで夢を語り合えた幸福な時代だったと思います。
成功者を意識するのであれば、歴史に名を残した人の言葉やその背景を調べて多くを学んでいただきたいと思います。
歳をとると誰しも他者の妙な行動が気になるようです、何時の時代も「今の若い連中は」などとよく言われますが、若い人の方がよほど素直で良いと思うことが多い気がします。
ある程度の年齢に達した人で「ありがとうございます」が言えない人、こういう人は結構いるのです。
親切心で困っているだろうと思って事前に各種の連絡やアドバイスをすることがあるのですが、「解りました」は言うのですが「ありがとうございます」は一言もありません。
ちょっとした気遣いに関しても同様です、別にお礼を言われたくてやっているわけではありません、気遣いは常識だと身体に染み込んでいるのです。
でも、人とはちょっとしたことで気持が大きく変わるのです、そして気持は必ず蓄積すれば判断や行動に現れてきます。
それが連発すると、「この人にはもう気遣うのは止めよう」なんていう気持ちに変わってきます。
せっかくその人に依頼できるような業務が発生して、その人にお願いしようと思っていた事も毎回のように会えば不遜な顔をされ感謝すらされないのであれば感謝され気持よくやってくれる若い人に頼もうと考えるようになります、それが人の常です。
それと年齢に関係なく他者に感謝しない人は何をやっても上手くいかないです、ビジネス然りプライベート然りです。
結局、協力者や仲間に恵まれず何事も孤軍奮闘、本人の意を反して周囲は「可愛げのない人だ」という哀れみの念しか感じていないのです。
それでも人ってすごいです、そんな人にも大人の対応をするのですから。
たった一言「ありがとうございます!」、これで人は気持ちよく協力してあげたいと思うのです、そして何でもやってもらえるのです。
何時も明るく笑顔で「ありがとうございます!」、これだけで全てが好転します。
「束縛があるからこそ私は飛べるのだ、悲しみがあるからこそ高く舞い上がれるのだ、逆境があるからこそ早く走れるのだ、涙があるからこそ私は前へ進めるのだ」、ガンジーの名言は深いです、やはり言葉は何を発するかではなく誰が発したかが重要だということです。
人生には幾度も現状から逃げだしたいときがあります、これはどんな人にも起こる心理です。
でも、逃げていては何も解決するどころか更に悪い方向へ展開してしまいます。
「逃げる」という行為は立ち向かうよりも余程大きなエネルギーが要ると思うのです、何故なら自分をこれほどまでに追い込みそして失望する行為はないのですから。
それでも逃げる人が大勢いるのには驚きます、人生において一度でも逃げたら終わりです、逃げ癖は絶対に治らないと思うからです。
新たな地で新たな出会いでやり直せると思うのかもしれませんが、そうは楽できないのが「逃げ」という自虐行為なのです。
生涯に渡り、「あのとき私は逃げだした」という忌々しい記憶は消えることが無いのだそうです、そして常にびくびくしながら生き続ける、それでも生きていると言えるのでしょうか。
一時的に時を稼ぐ意味で逃げるのは戦略的には有効です、ただし落ち着いたらまた元に戻ってくるのであれば逃げではなく前向きな戦法ということになるのです。
そして敗者復活戦よろしく、成功者を目指して再度前に向かって力強く歩むことができるのです。
昔から、「目は口ほどにものを言う」と言います。
医学的にもまったくその通りの現象になります、つまり人間の本能そのものです。
実は視神経は唯一脳と直結しています、ですから考えたり思ったりしていることが無条件に目の動きに出てしまいます、逆に訓練しても意識して動きに出ないようにすることもできません。
夢を見ている状態をREM睡眠と言います、REM睡眠中は脳が情報処理を行うために左脳と右脳の間を意識が行き来します、これを追いかけるように目がきょろきょろします、ここから「目が跳んでいる状態」を指しREM(Rapid eye movement )睡眠と呼んでいます。
また行動心理学で、「嘘をついているときは目が上、それも特に右上を向く」というのがあります。
これは、「どうごまかしてやろうか」と考えることによって、神経が右脳に集中します、この結果脳に直結している目も右脳の方を見てしまうというものです。
つまり、話をするときにその人の目を見ればその人の話が信頼できるのかどうかが一発で解ります、更には心の奥にしまってあることもある程度把握することができるのです。
これは心理学でも、スピリチュアルでもなんでもありません。
あるキーとなる言葉とその時の目の動きは相当の訓練をしても不一致させることは困難です、この研究と原理は旧ソ連時代に編み出された一つの科学なのです、その後犯罪心理などにも応用されています。
目の動きは目を閉じても解ります、キーとなる言葉と目の動きの原理を知っている人は稀ですが、それを知らずとしても経験から他者の思考していることを読める人は読めます、だから何時も正直に話をすることです。
「心がやましくなければ、不安も恐怖もない」、結局こういうことなのです。