機が熟すのを待つ、私の場合ですがビジネスにしてもプライベートな関係にしても「天の時」を待つという意味を真に理解した人と継続して善き人間関係を構築することができています。
「天の時」を待つという裏にはロジカルシンキングにより確立された人生シナリオを最後まで信じるという意志と、「待つ時間を愉しむ」という価値観の共有があります、「待つ時間を愉しむ」ということは私にとって重要な人生テーマとして存在します。
例えば目の前に理想の人が現れたとします、これはビジネスでもプライベートな恋愛関係であっても関係ありません。
相手も私を気にかけていることが解ったとしても慌てて何らかの関係を構築するということは私の場合はまずありません、欲しいものができたときも直ぐに私は手に入れようとはしません、むしろあえて一旦忘れるように努めているくらいです。
それをして結果的に関係構築できなかった場合も手に入らなかった場合も潔く「私には縁が無かった」と自分を納得できます、何故そうするのか自分でも解らなかったのですが最近になってこの理由が理解できるようになってきました。
それは「二度と戻ってこない時間を大切にしたい」という思いがあるからです、つまり理想的な人と関係構築してしまえば構築前の「どんな人なの?」という最も重要で愉しい時間が終了してしまいます、また欲しいものを手に入れてしまったら探したり手元に来るのを待つという最も愉しい時間がそこで終了してしまいます。
そして結果的に人でも物でも理想通りになってしまったら一転して愉しい気持ちから今度はシビアな現実問題に変わってしまうからです、「待つ時間」のワクワクしている期間が充分にあった場合には現実問題に変わったとしても変わらぬ気持ちでいられるのです。
思い立ったら吉日とばかりに即動かないと熱が冷めてしまうという人もいるでしょう、この人はきっとスピードこそ命とばかりに相手の気持ちより自分の気持ちを優先して行動してしまう可能性があります、またその行動に嫌と言えずに応じてしまう人もいます。
こういう人達は同じ感性の人同士でないと一緒にいられません、「類は友を呼ぶ」ではありませんが互いにこの感性が磨かれていく負の助長関係に陥ってしまい、同じ感性を共有できない人達から間違いなく孤立していきます。
私が思うスピード感覚とは早いという感覚だけではなく、それこそ早いやゆっくりの速度調整に加えて一旦停止まで含めてのスピード感覚なのです。
そしてこの自分の中に在るスピード感覚を壊すのが先の他者の気持を理解できない「待てない」人なのです、私にとっては生涯の天敵でありストレスの元凶であり決して信頼関係を構築できるパートナーには成りえない人です。
この「機が熟すのを待つ」という感覚を真に理解してくれる人、そういう人とは継続して親友や同志とか家族といった感覚で長く善い関係を構築できているのです。
これができるのも充分な時間をかけたロジカルシンキングのおかげだと確信しています、そしてその精度と結果を信じているからに他なりません。
「天の時」を待つとは自分と相手を最後まで信じきれるという覚悟です、待てないのはどこかで自分と対象の人を信じきれていない自分を自覚しているからです。
私は、6歳くらいの時に祖父が通っていた近所の将棋道場に連れていってもらったのがきっかけで将棋を指すのが大好きになりました、NHKの将棋番組は社会人になった頃から40年以上もほぼ欠かさずに観ています。
中学生の頃は将棋部の友人が私の対戦相手でした、高校に入った辺りからは指す相手も近くにいなかったのでしばらく指していませんでしたが、息子が小学生になった頃にプレゼントに買ってあげたテレビゲーム機で今度はコンピュータ相手に指すようになりました。
その後、自分専用にテレビゲーム機を買って日曜ともなれば将棋とロールプレイングゲームに没頭する日も少なくありませんでした。
今では時間があればパソコンでコンピュータ相手に指し、時折インターネットを介してリアル対戦しては楽しんでいます。
ただパソコンアプリの将棋ゲームの多くはアマチュア初段から2段くらいが最高位なので、普通に指していても楽しくないのです。
そこで、200手以内に相手の王以外の全ての駒を取るなどの独自のルールを作っては楽しんだりしています。
ところで本題ですが、この将棋を指しているとき同時に並行して行うロジカルシンキングがすこぶる良好だということが50歳辺りから解ってきたのです、これはいったい何故でしょうか?
将棋とロジカルシンキングをするときに使われる脳の領域が近いのか、それとも同じなのかは解らないのですが、将棋を指しながら並行で行われるロジカルシンキングは短時間でクリティカルな結果が得られることが多いのです。
AI研究の一環で各種の研究所が行う脳の研究や実験により、何と将棋が最も右脳を使うゲームであることも解ってきたのです、事実老人ホームなどで高齢者のボケ防止に将棋を教えている所も在るくらいです。
どうりで事業計画なども同じような感覚で、現在状況ではなく数年先を読んだ内容を考えることが癖のようになっています。
これに気付いて以来、即クリティカルな結果が欲しいときには家だろうが会社だろうが悶々とパソコン相手に将棋を指しています。
また将棋を指しながらも、脳の別の領域で解決すべき課題がクリアになっていくのを実感できます、何かを継続していると実に多くの発見があるものです。
将棋の素晴らしさは脳の活性化だけではありません、大局観という大局と小局の両面を見て判断する能力が磨かれます、つまり「鳥の目と虫の目」での思考視野です。
この両極の大局観は、ビジネスの各種カテゴリにおいて極めて有効な思考であることは言うまでもありません。
ロジカルシンキングと対比的な能の機能に「思い込み」があります、思い込みとは脳の合理化という手抜き処理によってもたらされる「現実を無視した結論付け」を言います。
実際に行動してもいないのに過去の結果や他者の情報を基に脳が勝手に推測し結論付けてしまいます、また強い思い込みや思い入れが実際に経験したことによる結果であるかのように脳が現実の事象として記憶してしまう場合もあります。
この現象は極めて危険な現象であり、思い込みによって殺人事件にまで発展することも少なくありません。
精神疾患の被害妄想と極めて酷似した脳の現象であり、状況を特定した場合には区別をつける方法が今のところは無いとも言われています。
何れにしても事実とは異なる記憶をしてしまうのがこの思い込みという脳の手抜き処理です、考えているだけで行動に移さない人の多くは思い込みで結論付けている人です。
対してロジカルシンキングは一つのシミュレーションであり、むしろ脳の無駄使いとも言えます。
実際に起これば結論付けされることでさえも予め結論を導こうとしているのですから、でもこれが無駄ではなくて後々大きな意味を持つのです。
ロジカルシンキングで結論付けされるのは一つの事象に対して複数の結論が用意されます、実際の結果が起きればその結論による次の一手もロジカルシンキングにより用意されていますから、その時点で慌てることも騒ぐこともありません。
そして動いてみた真実という結論が出た際に、ロジカルシンキングしてきた人は素早く行動に移せます。
思い込みという脳の手抜き処理とロジカルシンキングという脳の無駄使い、さてどちらがビジネスには有益でしょうか?
少なくても思い込み人間は多数派でありロジカルシンキング人間は極めて少数派といえます、そしてどちらの人なのかを確認する方法は実に簡単です、それは「言っている事と事実」を比較すればいいだけです。
ロジカルシンキング派の人は口に出した時点で既にビジョンと戦略と具体的な行動計画が明確に固まっています、だから直ぐにも言った事を実行しその通りの結果を出せます。
逆に思い込み派は脳の手抜き処理による合理化によって思考されたことを口にします、だから実際に行動に移したときには何も具体策が用意されていません、結果何も生むことはないのです。
またロジカルシンキング派の人の記憶力は驚異的でどんな些細な事も記憶していますが、思い込み派の人の記憶は全てが曖昧であり記憶違いによるトラブルも多々起きます。
脳は使ってこそ鍛えられるものです、思い込みによる脳の合理化が常習化した状況を「脳の老化現象」と称します。
高齢になると筋力が落ちます、これを補う為に筋肉を使わなくても動けるように身体細胞が効率化します、脳も同様に高齢になるといちいち考えなくてもいいように合理化が進んでしまうようです。
ビジネスシーンでよく言われる老害、何を意味しているのかをここであえて言う必要も無いでしょう、近年では30歳を超えた辺りから既に脳の老化現象が進んでいる事実を少しは考えた方が良いかもしれません。
私のロジカルシンキングの前提に在るのが常に「決定」です、新しい事業をロジカルシンキングする場合に必ずネックとなるのが事業資金や人材の問題です。
普通の人は最初の準備に係る費用や事業資金を自身では用意できないとなると全てを諦めてしまいます、ところが私の場合のロジカルシンキングでは事業資金が潤沢に有ることを前提にして行われます、つまりこれが前提に在る決定という意味です。
頭の中では何時でも大きな事業を興すシミュレーションが行われます、そしてキャッシュポイントや収支計画も同時進行で行われています。
こうしてロジカルシンキングによって生まれた新規事業を本当に行うのであれば、ここで初めて事業資金と人材をどう確保するかを具体的に考えればよいだけとなります。
そしてまた、事業資金や人材を確保する方法も別の同時進行で行われるロジカルシンキングによって作り上げられているわけです。
こんなことを繰り返していると、どんな大きな事業でも不可欠な資金や有益な人材が必要な事業でもロジカルシンキングしていること全てが現実に具現化してくるのです。
ロジカルシンキングの精度が上がってきている現在では私の頭の中で多くの明日起こるべく事象は全てが過去の出来事となっているのです、事業を行う上で成すべき準備とは実はこれが最大の決定の上でのロジカルシンキングというわけです。
だから人事などの組織化もサイトなどのバックヤード構築も全てが事業開始の数年間も前に用意できるのです、動き出したら何も考えずに没頭できる事業推進の爆発力はとてつもなく大きなものとなります。
「ロジカルシンキングはその人の思考視野でロジカルシンキングの空間規模が決定する」、実はロジカルシンキングに関してこんな仮説を立てているのです。
というのは頭の中だけでリアルシミュレーションを行うのですから、必然にその人の思考視野がロジカルシンキング空間の大きさということになります。
自分や家族のことしか優先できない視野の狭い人がいます、その人の発想は当然に極めて独善的でマーケットイン思考に必要な社会性を大きく欠いたものとなります。
これは想像ではなく検証によって得られた統計です、私は多数の人をサンプリングしてきてやっとこれを理解することができたのです。
実績も根拠も無いのに一人よがりの独善的な発想と行動ばかりをして、しかも誰に対しても相手の状況や気持ちを理解できずに上から目線で話をする、こういう人の特徴がこの仮説によってようやく理解できるようになったのです。
プロダクトアウト思考とマーケットイン思考とは180度違う世界観となります、売れる商品やサービスを生みだすには世界観が広いマーケットイン思考が不可欠です。
世界観が広ければ全ての物事を大局的に捉えることが可能であり、逆にこれができないと誰もが即座にできるような小手先の小さな事しか思いつかなくなります、そしてどんな事でも自分の利益が優先してしまうので共存共栄が必要な成功とは無縁の孤独な人生を送ることになります。
「家族がいるから自分は孤独ではない」、いいえ物理的な人間関係よりも心理的な人間関係のほうがビジネスにはどれほど重要かを解っていない人がそう思い込むのです。
では何故家族と同じ時を過ごしていて孤独感が芽生えるのでしょうか、こういう人はこの疑問に正確に答えられないと思います。
世の中のルールや仕組みそのものを常に自分目線でしか見えていない人は世界初とかワールドワイドな大事業など興せるはずもありません、何故なら他者の気持ちや世の中の人の価値感が解らないからです。
結果自身のスキルや経済能力を超えた視野で考えることができないのですから、何事も極めて局所的な狭い範囲の世界観となります。
夢や計画の大きさとロジカルシンキング空間の広さが不一致ならば、それはロジカルシンキングではなく夢想や思い込みというものです、夢を持つのであれば思考視野を広げる訓練から始めることが重要だと思います。
見栄とかプライドとか羞恥心からくる相手にどう思われるかとか、自身の意志の表示や誇示といった思考や行動そのものが思考視野の狭さの証明です。
逆に大局で物事を捉える人には自身や周囲の人のことなどまったく意識していません、見えているのは地球規模での市場動向と価値観だけです、ビジネスにプライベートな範囲での思考はご法度です、それはビジネス空間ではなくプライベート空間というものです。
どんなカテゴリのビジネスを思考しても、自分と数人の知人範囲でしか考えられない人はこういった思考視野の狭さがビジネスを上手く構築できないという根本原因があります。
また思考視野の狭い人を見分けられるのは思考視野が広い人だけです、思考視野が狭い人には思考視野の広い人の心の中を見通し理解できるはずもありません。
思考視野の拡大は成功させるための必須事項です、そして思考視野の狭い人は思考視野の広い人と共存共栄しなければ自分のやりたい事でビジネスを興すことすら難しいこととなるでしょう。