サービスや商品に関してのロジカルシンキングにおいて効率良く結論を導き出す方法を知っているのと知らないのでは大きな差が出ます、闇雲にロジカルシンキングを繰り返しても空白の時が過ぎるだけで何も生みません。
そこでお勧めする方法があります、その方法とは「垂直思考と水平思考」の両面によって思考視野を広げていく方式です。
垂直思考とは、対象のサービスや商品に関して機能を落としてみたり機能を上げてみたりと、そのサービスや商品のカテゴリを維持しながら機能面での精査を繰り返して精度を上げていく方法です。
対して水平思考とは、サービスや商品の機能をそのままに対象とする事業カテゴリを広げていく方法です、例えば医療向けのサービスを建築向けやレストラン向けに応用できないかということを思考します。
この垂直思考と水平思考を繰り返して行うと対象のサービスや商品の見えなかった価値も見えてくるようになります、結果として当初は想定しなかったカテゴリで大きな事業を確立できることもあります。
どんなことにもテクニックを知っているか知らないかでは大きな差が出るということを実感できる瞬間でもあります、こういった基本的な思考テクニックは「フレームワーク」と呼ばれています。
何かを突然閃いた時は、この2つの思考でロジカルシンキングするとそれが本当に有益なものになるのかどうかも精査することが可能となるのです、ロジカルシンキングにもテクニックの有無が精度に響いてくるということです。
私は子供の頃から理科系思考であり文学や概念的なことが好きではありません、例外になく理科系の人の楽しみは真実を追求することにあり答えが出ない曖昧な概念的な学問は好きではないと思います。
そんな私が歳を重ねて50歳ほどになるころに熱中したのが概念や心という曖昧な世界でした、特に「哲学」は極めて宗教とも結びつく学問でもあり、その概念の中には「何故、こういう発想ができるのだろうか?」という強い衝撃を受けることもあります。
例えば他者の心を理解しようとするときには曖昧な存在に関して冷厳な理科系の思考では無理があります、曖昧な存在には曖昧な思考で対抗しなくては理解し表現することは不可能です。
理科系思考の私が曖昧さを追求する「哲学」や「宗教思想」という学問に興味をひかれたことは自分自身も驚きを隠せませんでした、以後ロジカルシンキングにも大いに「哲学」的な思考が活かされるようになりました。
その結果は、例えばB2CサービスなどでのUI(ユーザーインターフェース)を磨きあげるときなどに大いに発揮されました。
サービス展開は誰の利益を優先するのか、この答えを得るのには理科系のプロダクツアウト型の発想では生まれてきません、使う人の心を覗き観るようなマーケットイン型の発想が不可欠になります。
「曖昧な存在には曖昧さを以って解決する」、理科系思考の私にとって極めて大きな学びを得た瞬間でした。
ご存知「ウサギとカメ」の話。
ノロノロ歩いていたカメにウサギは「どうしてそんなに歩くのが遅いんだい?」とイヤミたっぷりに聞きます、するとカメは「じゃ、あそこの木の根元までどちらが先に着くか競争しよう」と持ちかけます。
ウサギは笑いながらその競争を受けました。
ウサギは木の根元近くまで来て後ろを見ると、カメはまだスタート地点でノロノロしています、そこで勝ちを確信したのか寝てしまいます。
その間に、カメは木の根元にたどり着きカメがウサギに勝ったというお話です。
この物語の元々の題名は「ウサギとカメ」ではありません、正確には「油断大敵」という題名です。
これをクイズに出したテレビ番組がありました、ところが回答が実に面白いのです。
約60%の人は正解でした、ところが不正解の人の回答に私は非常に興味を持ったのです。
それは「一念発起」とか「やれば出来る」などです、そうです不正解の人はカメの立場でこの物語の題名を考えたのです、正解者はウサギの立場で考えたのでしょう。
同様に刑事ドラマではほとんどの人は主人公の刑事の目でドラマを見ていますが、犯人の目で見たらこのドラマは全く異なるドラマになってしまいます。
怖い刑事が執拗に一市民を追いまわし捕まえるや暴力行為の数々、なんて酷い刑事なのでしょう。
桃太郎のおとぎ話も鬼の立場で考えたら全く異なる物語になります、人間から離れ小さな島で平和に暮らしている鬼のところへ桃太郎という悪漢がやってきて腕力で平和を乱し宝物を奪って行ってしまったとなります。
このように同じ状況で同じ事象でも、誰の立場での視点で考えているかで「善悪が逆転」してしまいます。
そして怖いことにこれは人によって千差万別で微妙に捉え方が違います、世の中の善悪や正義とはいったい何なのでしょうか?
立場変わればもしかしてあなたの常識や正義は逆転しているのかも知れません、これは人への判断でも同じことです、誰が善人で誰が悪人なのか?
少なくても、他者から齎された情報に翻弄されずに自身で視点を変えて360度でロジカルシンキングを繰り返し、更には実際に自身の目で物事や人を観て判断することが肝要です。
つまり私が「常に他者の気持ちに敏感になれ」と口を酸っぱくして言うのはこういうことなのです、これができてはじめて成功者への道が開けるのだと思います。
特に人に関する判断ミスはビジネスでは致命傷となることが多々あります、そして如何なる状況もロジカルシンキングにおいて立場を変えて考えることで本質が見えてくるのです。
だから、ロジカルシンキングしている人は人間関係においても失敗することが無いと思うのです。
ロジカルシンキングを行っていると何度も何度も大きな壁にぶち当たることがあります、突破しようと思考を巡らすのですが更に別の大きな壁が現れてしまい、結論がどんどん別の方向に行ってしまうこともあります。
所謂、収拾がつかない状態に脳が陥るのです、そんな時のリフレッシュ方法としては幾つか有りますがその一つに「温故知新」という私なりの方法があります。
これを一つの「キーワード」として思考がもつれた時に思い起こしては同類の古きネタを調査します、「温故知新」とは古くからあるものを新しいものに応用することを言い意外と効果を発揮することがあります。
例えば私の場合は職業柄IT技術のロジックの壁にぶち当たることがあります、ロジックの壁とは意図した機能をどのようにして処理させるかというアルゴリズムに関する未解決問題です。
その解決方法として廃れた技術を再度検討してみるのです、ただし廃れた技術を果敢に蘇らせようというのではありません。
一つには何故その技術が廃れてしまったのかという精査、もう一つはロジックを組み直せば別の用途に使えるのではないかという新たな発想です。
事実「温故知新」によって障壁を壊すことができ、新たなアルゴリズムや技術特許が生まれたことが何度もあります。
先人の知恵とは凄いです、ただその当時は時代に対して進み過ぎていたのです、つまり時期尚早というものです、そう考えると「温故知新」による思考の精査は極めて効率良い方法だと思うのです。
プロ野球の天才バッターとして名を欲しいままにした落合博満にイチロー、そしてスキージャンプやフィギュアスケートの多くのスポーツ選手はみな同様の言葉を発します。
それは「イメージトレーニング」というもので、彼らは頭の中で身体を動かしているときと同様のイメージを作り上げて一種のシュミレーションを常に行っていると言います。
このイメージトレーニングは実際に身体を動かした時に脳が勝手に順応して、イメージ通りに身体をコントロールすることができます。
これは脳の特徴的な機能であり、脳は実際の経験やイメージトレーニングでの記憶をそれぞれ別に保存しているわけではないからです。
つまりロジカルシンキングであろうが実経験であろうが脳は一つの記憶として扱い、過去に経験したことのあるかのように身体を動かすことができるのです、これが私の言うロジカルシンキングの奨めの根拠です。
ロジカルシンキングしたストーリーは実経験として脳が記憶します、そして現実世界で同様のストーリーが起きたときに脳は過去の記憶としてこれを処理し無意識のまま身体を動かします、これがビジネス現場では重要な即断即決に繋がってきます。
スポーツはイメージトレーニング、ビジネスではロジカルシンキング、実時間の数倍の速さで展開できる脳トレーニングを上手く使わない手はありません。