経済的に若干でも余裕が出てくると今までできなかったことを突然のようにやりだす人がいます、宝飾品や高級時計に外国製のスポーツカーにクルーザーと、高価なものを狂ったように買い求めます。
あるいは不相応にもローンを組んでまで豪華な家に住み、これもまた外国製の家具を揃えます、また利益にならなくも大金を投資して意味もない海外に住んでみたりします。
この人達にいったい何が起きているのでしょうか、この人たちの共通点は幼少の頃に家が貧しかったというのが大きなヒントになります。
ずっと親から「我慢しなさい」と言われて育ってきた苦しい環境があります、友達の家などに行けば自分の家との大きな経済ギャップに悔しい思いを耐え忍んできたのです。
それが成人になり自身のお金で好きなものが買え好きな事ができるようになった途端に「es」が自我に働きかけるのです、抑え込んでいた欲望が一気に爆発し後先考えずに組めるだけローンを組んでも欲しいものを手に入れていくのです。
その後ローン地獄が待っていることなど考えもしません、取り合えず解き放たれた欲望を抑えることができないのです。
今の世の中はある意味では平和なのかもしれません、手付金などほとんど無くても年収の10倍以上の住宅ローンが組める時代です、また動産担保ローンで高級車もクルーザーも年収300万円の人でも簡単に手に入れることができます。
ただし現実は極めて厳しいものが待ち構えています、数年後にはどんどん膨らむ返済に追われ次々に得たものを手放していくことになります。
そして何も残らず唯一返すことができないローンだけが残ります、でも彼らはそれでも至極幸福なのです。
一瞬でも幼少の頃から手に入れたいと思っていたものが生きている間に手に入れられ、一瞬でも描いていた夢のような生活を味わえたのですから。
その後に待っている返済地獄、それでも数年間の栄華を誇った日々を思い出しては満足し幼少の頃に味わった以上の厳しく苦しい生活に戻っていくのです。
父性愛や母性愛は人間であれば普通は誰しも持っている本能です、ところがこれも「es」が自我に呼びかけ極まってくると正常性から逸脱して特異な行動を起こすことがあります。
例えば芸能界や相撲界で言うスポンサーや谷町の存在、通常は大物になる為に必要な資金的支援を行う人を言います。
こういう人たちの中に支援先の人の名が売れてくると、「自分が育てた」と活動に関して口を挟んできたり、自社の広告塔になってほしいなどとルール無用の要求をしてくることがあります。
最初は本当に心から応援したいという素直な気持ちであったのが、人気が出てくると突然人が変わったかのように「育ての親」を名乗り出るようになるのです。
その要求が満たされないと今までの事は無かったかのように資金援助を切ってしまいます、酷い場合は「返金」を法的に要求してくる場合もあります。
本来人を育てるという父性愛や母性愛は無償の投資です、それによってその人が成長することで自身の満足度が満たされれば良いはずなのです、でも何かをきっかけにしてこの純粋な気持ちが「es」により自我が目覚め独占欲が表面化するように変わってしまうのです。
この多くのきっかけは、「自分だけのもの」という意識が人気が出てくると「みんなのもの」に変わるからです。
自分が「オンリーワン」から「ワンオブゼン」への移行、それまで支援していた人が人気が出ればファンも急増します、「今まで何時でも会えて自分を優先してくれた、それがファンを優先し自分は虐げられている」、という思いがどうしても許せなくなるのです。
その「自分は優先されている」ことが維持できないことによる虚しさ・寂しさ・葛藤、それがこのような人が豹変するきっかけなのかもしれません。
そして、それは決して対人的な事に留まりません、例えば企業の株主、事業パートナーなどにも同様のシチュエーションが発生することがあります。
更には経済的援助だけではなく労働支援や単純に応援するという気持ちなどにもみられます、気に入っている人や物は「自分だけのもの」、この思い入れと思い込みが満たされなくなるとどうも「es」が一人歩きを始めるようです。
「オレがいないと何事も上手くはいかない」と立場を越えて社内を牛耳る「オレオレ人間」、これもまた一つの「es」が自我に働き自我が異常に肥大した結果なのかもしれません。
この人は本質的には独立して経営者となるべく人なのかもしれません、しかし例え独立しても自分では事業を興さずに他社の顧問や役員になりたがるのです。
社員を集めて組織を持つ経営者と彼らと何が異なるかというと「権力は持ちたいが責任とリスクは負いたくない」ということです、実に自身に都合よく他者の陰で世渡りしようとする厄介者です。
給与はそこそこでもよく自分が中心で組織が動くことに堪らない興奮を呼び起こすのです、そう「es」が自我に働きかけているからに他なりません。
業務フローを自分がいないと機能しないようにいつの間にか勝手に作り上げてしまい、それに関しては社長でさえ口を出すことはできません、何故ならその人の機嫌を損ねると組織が機能しなくなってしまう恐怖を植えつけられてしまっているからに他なりません。
「経営の鬼神」と言われる「ハロルド・ジェニーン」は著書の中で「オレオレ人間はアルコール依存症よりも企業に対する損失があまりにも大きい」と述べています、アメリカでは一時期アルコール依存症が大きな社会問題となったことがあります。
経営者は何が最も尊ぶべきかを考え会社の為と大義名分をもって「オレオレ人間」を排除しなくてはなりません、この結果なのか「オレオレ人間」は短期間で次から次へと企業を渡り歩くのも特徴で経歴や実績を詐称する人もいます。
困ったことに最初はバリバリ仕事をしているように見せかけるので情熱的と感じてしまうのも共通点です、しかしバリバリ仕事をこなしているのは完璧なまでに自分の居心地良い環境を作っているからに他ならないのです。
世の中には確実に「自分は選ばれた特別な存在」だと思い込んでしまっている人がいます、この人は全てが自分の思い通りになると思って生きています。
したがってそうならない状況が起きれば何よりも認めたくない事実であり、それに関する全てを消去するような行動に出てしまいます。
芸能界やスポーツ界、更には政治の世界などではマスコミでも話題になるので多くの人はそういう人達の存在を知っています。
「御意見番」や「大御所」などと呼ばれ、その業界で活動するためには無視できない存在であり、その人に逆らおうものなら一瞬で職を失うことになります。
その業界で実績や存在感のある人であれば本物なので周囲も認めますが、意識だけは「自分は特別な存在」だと思い込んでいる人が身近なところにも普通に存在しているので厄介なのです。
困った振りすれば助けてくれる、相談すれば何でもしてくれる、ドタキャンも直前アポも全て許される、「だって私は特別な存在なのだから」という振舞いです。
このような意識の人は最初のうちは低姿勢でいろいろな手を使っては人定めをします、そしてこの人は自分が自由に操れると確信した途端に豹変するのです。
一方では自分の手法が一切通じない人は遠ざけようとします、そう自身の立場を堅持する目的において自分の周囲にはいてはならない存在だからです、時々耳にする言葉の「王様・女王様症候群」、まさにこの言葉がぴったりくるような人達なのです。
「狂いの構造」(扶桑社新書)の中ではこのような症状を「バルンガ病」だとしています、承認されている病名かどうかは解りませんが極めて興味深い内容が述べられています。
常に認められたい承認欲求、褒められることが最大の喜び、自分に否定的な人や嫌なことは避けて通る、自己主張するが異常なほど他者依存心が強い、この症状もまた「es」が自我に働き自我が異常に肥大した結果なのかもしれません。
「es」(エス)とは、幼少期から現在までに抑圧されたエネルギーが蓄えられているとされる精神分析学上の概念です。
抑圧されたエネルギーが何かをきっかけに自我に働きかける、そして目覚めた自我は異常な程に肥大し手がつけられない状況になります、もしかしてこの状況に陥ったのではないかと思える人がこの数年で急増してきたように思えるのは私だけでしょうか。
例えば過去に大きな成功も無く悔しい思いを長年持ち続けてきた人が企業の役員になる、事業推進上のステークスホルダーになる、あるいは団体や組織のまとめ役やキーマンに抜擢されたとします。
そこで「es」は自我に働きかけ目覚めさせます、その途端に豹変し我が物顔で組織をコントロールしようとするのです。
限られた組織に留まっていればまだよいのですが、これが組織外の周囲に対しても横暴さを振りまくようになったら手がつけられません。
これらの事実は何も今に始まったことではなく過去からこのような人は多数見てきたので驚きはしませんが最近はこの傾向がどんどん若年化してきているのは意外な事実です、何故なら本来こういう傾向はある程度の年齢に達した人に多くみられたからです。
今まで「~さん」と呼ばれていた人が、「~社長」とか「~代表」などと呼ばれたり紹介されていくうちに「es」が自我を目覚めさせ、「オレ、もしかして成功者?」と大きな勘違いをさせるのではないでしょうか。
成功とは決して外見的なことや立場ではないのです、真の成功者はどのような状況下であろうがどのような立場であろうが実に謙虚です、必要が無ければオーラを消しでしゃばることもしません。
社会的地位や立場に敏感な人ほど自身がその地位や立場に就いたときに起こしやすい傾向があります、そんな人ほど過去に押さえつけられていたものが強く、「es」が思っている以上に大きく育ってしまっているのかもしれません。