つい先日正月が開けたと思っていたらもう今年も残すところ3ヶ月を切りました、メイン事業会社は大規模案件受注に始まり大規模事業提携に終わる1年になりそうです、今年の夏は名実共に猛暑そのものでした。
話し変わって蝋燭は燃え尽きる直前が最も明るく、ウグイスはあの世へ旅立つ直前が最も美しく鳴くといいます、どんなものでも最期に本分を発揮するものなのでしょう、私のビジネス人生もかくありたいと思います。
隠居を意識しだして早7年、近づくばかりかどんどん離れていきそうだったビジネス人生のXデーですが、今年の流れが正しければ来年の暮れにはゴールがぐっと目前まで迫ってくるような気がしています。
そんな予兆を感じてか既に幾つかの隠居後の準備を粛々と始めています、まず現在のメイン事業会社では未来に憂いを感じる取引先を1年かけたソフトランディングによって契約解除し常に付きまとうストレスからスタッフを解放しました。
また祖業会社では債権債務及び不良資産がすべて片付き会計諸表は起業したての会社のように綺麗そのものになりました、当初の計画では上場企業からの再興から10年で完了する予定でしたが蓋を開けてみたら全てが完了するまでに14年近くかかってしまいました。
40年という歴史ある会社ですが、存続意味が無くなった現在においては株主に理解してもらい残余財産があるうちに解散登記して財産を分配する方向で準備を始めました、この間に引き継ぐべき事業は現在のメイン事業会社にIT関連事業全てを、その他の事業は新社を設立し事業承継も完了しています。
同様に存続させる意味と必要が無くなった幾つかのグループ法人も順次会計諸表を綺麗にし、いずれは他者に譲渡するなり解散登記して身辺整理しておきたいと思っています。
「立つ鳥、跡を濁さず」、隠居の際には後継者にどんな憂いもマイナス資産も残したくはありません、そんな意味でビジネス人生最期の大掃除をしつつメイン事業法人の経営基盤を磐石にしたうえで気持ちよくバトンタッチいたしたく思います。
ある瞬間にこれまでとまったく異なる展開になる転換日を「Xデー」と言います、AIの世界で言われる「シンギュラリティ」もその一つで「AIが人間の能力を越える日」という概念が存在しています、実際にくるかこないかは別にして一つの「Xデー」と言えるでしょう、個人を例にとると隠居する日も一つの「Xデー」です、それまでとは生活スタイルが一変するのですから。
バリバリのビジネス人生からの隠居、殺伐としたビジネス最前線を離れ道楽に明け暮れる悠々自適なスローライフ人生に変わる瞬間です、私は正直言うと30代後半から既にどんな隠居生活を送ろうかとロジカルシンキングしては明日のエネルギーに変えてきました。
この瞬間がたまらなく愉しいのです、強い思いは確実に現実のものとなります、これまで一度も実現しなかったものはありません、その「Xデー」が近づくにつれリアルに意識して妙な気持ちになります、そういう意味では強く意識するようになったら最終段階に入るGOサインです、まずは安住の地への拠点を決めてしまおうと考えています。
嬉しいことも嫌なことも終わってしまうと何も特別なことではないことに気が付きます、強く意識するのはその直前までです、どんな人にもどんなことにも「Xデー」が存在します、それがゴールまでのマイルストーンともなるし避けて通れない日でもあります。
人生とは「Xデー」を幾つも経験していくものです、その度に成長し自身を省みていくのです、「Xデー」を意識して人生設計を行っておくのが常に緊張感ある人生を送る方法だと思います。
避けて通れない「Xデー」、歓びに湧く「Xデー」、そして最期を迎える人生終焉の「Xデー」、幾許も無い私にもまだまだ幾つもの「Xデー」が存在していることでしょう、日々愉しみながら隠居というスローライフな世界にフェードアウトしていきましょう。
隠居を強く意識するようになってからというもの無意識にいろいろなものを断捨離している自分がいます、携帯電話を新しくした際には連絡先を登録し直したら僅か30人余りしかなく自分でも驚きました。
自分の中で隠居後にも関る人間関係をどんどん絞っているのでしょう、新たな登録先でビジネス関連の人はほぼ皆無です、隠居後は私から直接連絡することはなく必要であれば引き継いだ者が代理でやってくれればよいと考えているからです。
パソコンの中にストックされていた大量の保管ファイルも不要なものは削除し今後も必要だろうと思うものは社内の情報共有サーバーに移しました、こうしておけばいざという時には引き継いだ者がいつでも見ることができ一石二鳥というわけです。
自身のパソコンには当面必要な限られたファイルだけとなりました、その結果メモリが大幅に空いたのか処理速度が一気に向上しました、有事のために保管してある過去からの情報とは意外と多いのです、整理してみて改めてその多さに驚かされます、隠居後は自分のやりたいことを優先して時間を費やしたいと思います、隠居後まで他者の利益に関ることは極力したくはないのです。
他者の利益行為に関れば必ず責任が生まれます、隠居後は責任や義務からも解放されて穏やかに暮らしたいと思うのです、自分が思うがままに心穏やかにいられる人とだけ淡々と暮らす、それが私の理想の隠居後の暮らしでありこれも含めて理想郷と呼んでいます、ある意味では自分の中に小さな心の村社会を創造することを理想郷としているのかもしれません、社会情勢や自分と関りの無い人に振り回されたくはないのです。
情報や付き合う人をどんどん狭くしていくと逆にどんどん脳の容量が空いてくるのを自覚しています、隠居後はたっぷりと空いた脳の領域を使ってこれまで理想としていてもできなかったことに対してだけフルに使っていきたいと思います。
お金の話は聞く人によって、またその時の状況によって様々で誤解を生むこともあります、「お金で買えないものは沢山ある」、「世の中お金じゃない」、などと言う人もいます、私もそう思うし皆さんも同様だと思います、されど世の中は奇麗事だけではやっていけないことが沢山あるのも事実です。
例えば一念発起して起業しようとします、例えば新事業を構築しようとします、そこでまず躓くのが資金の問題ではないでしょうか、結局やりたいことは我慢して最小限の出来るところから始めます、しかし当然計画通りにはいきません、資金の問題は思っている以上に重くのしかかるのです。
誰が言ったのかを思い出せないのですが、「今やりたいことが無いのなら何をおいても先ずお金を貯めることだ、何故ならやりたい事ができたときにやれないからだ」というけだし名言があります。
「金は天下の回りもの」とよく言ったものですが既にそんな平和な時代ではありません、事業資金は自分のアイデアと努力で調達するものなのです、お金がすべてではない、されど夢を実現しようにも困った人を助けようにも、ただ生きていくのでさえお金が必要なのです。
成功したいのであればそこのところは綺麗事を排除して極めてシビアに捉えなければなりません、私は不安のない悠々自適な老後人生を考えています、それを考えるにも恐ろしいほどのお金が必要になります。
何故なら理想の老後を考えると広い土地と巨大な各種の施設が整った住居が必要です、更に道楽にお金の不安を持ちたくはありません、そのために10年ほど前から持てる知恵を振り絞って老後の経済バックボーンの確立に向け粛々と準備を行っていたのです、それがほぼ確立できたことでこのうえない幸福感を感じています。
数年前のことですが郵便局でふと目にしたのが「よーっくわかるセカンドライフのお金の話し」という何やらシビアなパンフレット、何と中身は超リアルなお金の話が載っていました。
そこには60歳でサラリーマンを定年退職した場合に都内に夫婦2人で「ゆとりある生活」を行うためには1ヶ月に37.9万円が必要だと書いてあります、ただし持ち家が有る場合であり無ければこれに家賃がかかってくることになります、ここで疑問ですが「ゆとり生活」とは具体的には何でしょうか?
私の年代では年金が満額で貰えるのは65歳からです、もし60歳で定年となれば5年間は貯蓄が無ければ働くしかないわけです、老後のお金の問題って結構シビアに考えておく必要があるなと思います。
ビジネス人生からの隠居後に道楽や旅行を愉しみながら何の不安も無くのんびりと過ごすために必要なのがお金です、そうですセカンドライフでまず考えるのが老後に何をやって暮らしていくか何処で暮らしていくかなどを考えがちですが、先立つお金が無ければ夢のまた夢で終わるのです。
ということで隠居後の人生設計に「お金」の要素もしっかりと入れておくとしましょう、ちなみに某保険会社のアンケート調査を先日ネットで見つけたのですが還暦を迎えた時点の世帯貯蓄額は平均で約3000万円です。
ただしあくまでも平均値であり実質的には約50%の世帯は1000万円以下で100万円未満という世帯も25%もあります、つまり極一握りの人達の貯蓄額で平均値が上がっており押し並べて苦しい老後を迎える人が如何に多いかが伺えます。
また保険会社のアンケート調査ですから対象は保険に加入している人の世帯です、つまり日本全体でアンケートを行えばかなり低い数字になると思います、他者と比較して一喜一憂するのではなく自身の人生は自身で設計して納得するものにしたいと思うばかりです。
老後の生活様式次第では1億円でも足りない人もいれば、持ち家も有り個人年金や公的年金などで現在の貯蓄はゼロでも充分優雅な生活ができる人もいるでしょう、老後人生とはその人がそれまでにやってきたことの集大成だと思う昨今です。