理想郷へのリーディング拠点として先月末に購入したラボ3号のリノベーションとリフォームに向けて施工業者と共に現地に行き工事詳細を実際に見ながら要望を伝えました、年内にも実家から民芸家具などの遺品とオーディオ関係の私物を運び込みたいので今から基礎工事を行わないと間に合いません。
改良するところは細かい箇所まで入れたらほぼ全室に渡ります、今のままでも住もうと思えば充分住めるのですがラボとはいえ自分の持ち家だと考えるとやはり理想どおりの住空間にしたいと思うのです、そして前オーナーの生活習慣を意識させるものは取り去りたいと思うのです、何故なら他者の存在を意識して暮らしたいとは思わないからです。
ところで前回からたったの2週間しか経っていないのに面白いように現地はまるで別世界でした、2週間前は小寒くて周囲の山はグレーでしたが、今回はすっかり春爛漫というよりも初夏のような1日で周辺の山に沢にこんなにも桜があったのかというくらいに桜の里と化していました。
帰り際にすぐ近くにある有名な観光名所に寄ってきました、マイナスイオン溢れる渓谷の絶景に心躍りました、特に深いところでは20メートルもある岩山がパックリと切り取られたような垂直の岩盤は吸い込まれるような迫力があります、こんな絶景がラボ3号から自転車でわずか数分で来ることができます、やはりこの地に決めて良かったと思います。
また裏の畑の周辺にはフキ・ノビル・スイバ・オニタビラコ・ジシバリなどの食べられる野草類が自生しているのが解りました、前回までは畑に入って見てないので意外な収穫でした、こういった野草類は暑さに弱いので元気に自生しているということは暑さに弱いイタリアン野菜なども問題なく栽培できるということです。
リノベーションとリフォームの工事が終わったらエアコン・給湯器・冷蔵庫・洗濯機などやカーテンを全て取り替えると同時に全室をクリーニングして一連の移住準備が完了します、その後にやっと実家から遺品と私物を運び込めます。
やることが山積みですが少しずつ自分の空間ができていく景色を愉しみたいと思います、ここでみんなを呼んでホームパーティができるのはいつになるでしょう、その頃にはきっと本丸の理想郷の場所も見つかっているような気がしています。
最終的な本丸はサワガニや蛍がいる沢のある手付かずの自然そのものの広い山野を狙っています、そしてゼロから数年かけて開墾したいと思っているのです、それはそれでたいへんですが未来に大きな愉しみがあるということは長生きしたいと頑張れるから善いことだと思います。
今冬は1月末まで暖かい日が続き今冬はもう雪は降らないのではないかと思った矢先に2月上旬から一気に冷え込み3月中旬まで何度か雪も舞い平年並みの寒い冬になりました、そんな雪がちらつく小寒い時期に理想郷へのリーディング拠点を探し求めて45年越しに確定した現地に何度も足を運びました。
そして2月下旬の雪混じりの冷たい雨が降る日に理想的な物件の2度目の内見を行って早々に購入誓約書に判を押してきました、その後売主と不動産会社との3者会議を現地面談やメールで頻繁に行いやはり小雨の降る昨朝司法書士と共に現地に行き契約と同時に決済を済ませ取得が確定しました、結果的には予算オーバーしたもののローンを組まずに許容範囲に収まったのは幸運でした。
その物件は築20年ほどで南向きの2世帯住宅です、部屋は全部で6部屋の他に広いLDKが2つ、トイレとバスも2つずつあります、また1階は全部屋を囲むように回廊があり最も広い玄関からの直線コースは幅2メートルで長さが12メートルもあるのでフレキシブルな使い方ができます、トータルの住居面積は220㎡と都内の大き目の3LDKマンション3つ分と申し分ない広さです、ただ欠点は2世帯住宅なので水道・ガス・電気・ケーブルTVなどの契約が全て2世帯分になるということくらいです。
土地は約1000㎡(約300坪)で北側が山の裾野となっており西側に5分歩けば渓流釣りで有名な水の綺麗な川が流れています、住居部分の裏側は畑で家の南側は小さな日本庭園と西側には綺麗な花が咲くことで有名な藤の木の棚壇があり3台駐車できるスペースもあります、つまりリーディング拠点として各種の準備や実験が現地で思う存分行うことができ、更には実家から遺品と私物を移動でき全ての積年の課題が解決できる最良の物件なのです。
今後3つの和室全てをフローリングにしたり一つのLDKと部屋の仕切りを取って広い洋風のワンルームLDKにしたり、広すぎるほどの一つのバスルームを水耕栽培や淡水魚の養殖の実験室などにじっくり2年かけてリノベーションとリフォームを実施します、その後別荘兼ラボ3号として東京と行き来する生活が実現します。
その地はなんと自然豊かな観光スポットのターミナルであるにも関わらず、東京のオフィスから特急とバスを使えばドアツードアで1時間半で行けるという好立地にあります、観光名所でもあるので中心部には病院や商業施設なども多く生活には何の支障もありません、まさに理想どおりのリーディング拠点を手に入れることができました。
ここで何故この地に決めたのかという理由はデジタル記録を残す意味で徐々に記していくことにします、それにしてもラボ2号の誕生からわずか3ヶ月後に物件が決まり4ヶ月後にはリーディング拠点兼ラボ3号の誕生です、その意味では新型コロナウイルス禍で動くに動けなかった3年間は充分すぎるほどの準備期間を貰ったという結果になりました。
「準備は入念に行動開始後は敏速に」、新型コロナウイルス禍が終焉し私の信条どおりに動き出したからには各種の理想郷確立に向けた施策が急ピッチに進むことでしょう。
大学時代に武者小路実篤の「新しき村」や畑正憲(ムツゴロウ)の「動物王国」に触発されて以来思いを馳せた自分なりの大きな夢であった理想郷の場所が45年かけてようやく決まりそうです、経営者として戦略と戦術を大いに学んだ毛利元就が世に出るまで待った45年間と奇しくも重なり実に感慨深い年数だと思います。
私の理想郷の必須事項は「豊かな自然とその恵みを思う存分に愉しめるところ」、「天災や災害リスクが少ないところ」、「空気と水が綺麗なところ」、「適度な人口密度で生活や医療の不安が無いところ」、「友人知人が日帰りで遊びに来れるところ」の5つすべてが揃っていることです。
何故なら心身や各種の不安要素が無くのんびりできるところでないと老後人生を愉々快々に暮らせないからです、そして今その地に理想郷を作る前段階として情報収集の足場となる拠点を作ることを考えています、兵法三十六計の「遠交近攻 (えんこうきんこう)」にいう「遠くを攻略するには近くから攻める」の実戦です。
いきなり知らない地へ本丸を構えると予測不能な事態に迅速に対応できません、じっくりと達成までの道のりと時間を愉しみながら一歩ずつ確実に理想郷へと近づけるのです、その地に良い物件が出たらすぐに行動開始してその日のうちにも購入することができるからです、理想郷は自分の自由にならない賃貸では意味がありません、畑込みでの一括購入に限ります。
ここで先述の「拠点」とは飲食事業の研究と実験、そしてIT事業や好きな学問の研究が行え更に時間を忘れて各種道楽に耽りロジカルシンキングが思う存分にできる空間を意味します、その意味では5年前にラボ1号が昨年の暮れにはラボ2号が誕生しています。
次の理想郷へのリーディング拠点はラボ3号となるのですが一軒家を考えています、実家に残された遺品や私物を移動し各種の準備を考えると最低でも5~6LDK以上の広さが必要で庭程度でいいので小さな農耕実験ができる物件が理想です。
この実験農場では常在菌(乳酸菌と納豆菌)とその菌床となる素材による土壌改良の実験を行いたいのです、そこでは日本では珍しいイタリアン野菜に日本では栽培されていないスパイスやハーブなどを育ててみたいと思っています。
そういえば世界1位のカプサイシンスコアを持つ物凄く辛いネパール産のトウガラシを飲食店コンサルティング先のネパール料理店オーナーと日本産を作ろうと計画しています、このトウガラシのカプサイシンスコアはタイの青トウガラシの40倍、メキシコのハバネロの10倍という恐ろしい辛さです。
このトウガラシは飴玉ほどの小粒でもちょっとかじっただけで口の中が麻痺し汗がダラダラ流れ落ちます、皮膚に果汁が着くと真っ赤に腫れる人もいるほどで「殺人トウガラシ」と命名されています、実際に現地では空腹で食べて胃や腸から出血し死に至ったケースがあります、でもこれを使って肉料理を作ると何とも言えない刺激的な香りと辛さの美味しい味に仕上がるのです。
ネパールでは家庭料理には無くてはならないトウガラシなのだそうです、これを擂り潰してニンニクやフルーツなどとミックスして作るチャツネペーストがまた絶妙な辛さと美味しさなのです、日本のユズコショウの激辛版という感じでどんな料理にも合います、またこれまで提携農場で栽培してもらっていた実験途上の食用タンポポも栽培し未来の自社経営するレストランで定常的なメニューとして出していければと思っているのです。
理想郷の夢は膨らむばかりですが焦らずじっくりと愉しみながら一歩づつ進めます、そういえばラボ3号で使う数セット分のオーディオ機器にホームシアター用機器、更には不要だろうと思えるような室内の装飾品の数々を既に着々と準備・調達しています。
オーディオ機器は購入毎に原状の機器と入れ替えては音出しして楽しみながら集められ気分転換もできるので一石二鳥です、ラボ1号には所狭しとこれらの機器類が山と積まれています、まだ数年先の計画ですが既に形を作り始めているのです。
具体的な形を作ると後に引けない覚悟が生まれます、そして逃げ場の無い責任が生まれます、形を先に造ってしまうのは私流の夢を実現させる成功法則です、何事も即断即決で行動することが重要であり詳細事項はその後にじっくり考えればいいのです、行動して造ることも後でじっくり熟考することも全てが愉しい時間というものです。
新たな年が明けました、それにしても今年の冬は穏やかで快適です、毎年この頃になると凍てつくような空っ風が連日吹いて手や顔が痛くなるのですが、この冬はいまだに吹かずで季節外れの桜まで咲いてしまったところもあります。
ただ押しなべて暖冬の年はゲリラ豪雪になりやすいので注意しなくてはいけません、20代の頃に経験した東京で一夜にして40Cmというゲリラ豪雪がありました、タクシーも動けずで何とか3時間もかけて歩いて帰ったことがあります、東京は本当に雪に弱いことを思い知らされた一夜でした。
さて昨年は各種の隠居に向けた準備を公私共に開始しましたが今年は更に拍車がかかるような予感がしています、そのきっかけは昨年の春に届いた実家のある市役所からの一通の手紙でした、その内容とは長く空き家になっているがどうするのかという今後の計画を確認するアンケートのようなものでした、その後地元のデベロッパーからも売却の意思があるかという問い合わせの手紙が届きました。
実家の周辺は温泉街であり長期療養施設や旅館が沢山あります、なんとその周辺を長期療養施設を兼ねたリゾート地に再開発する計画が実行中だったのです、それで突然のように市役所や地元のデベロッパーが連絡してきたということのようです、要は買い取りたいということです。
実家をどうするのかというのが積年の悩みでもあった私にとっては天からのゴーサインだと直感しました、何度か売ろうとしたのですが直前に気が変わって20年以上も放置してきたのです、不動産そのものもそうですが親から受け継いだ遺品や私のオーディオなどの私物も保管されています、売るにしても保管場所を探さなければいけません、これが最大のネックで売る直前に躊躇してきたのです。
そんなわけで実家の件と合わせて隠居後の安住の地を一挙に解決する策を模索中です、既に年末には候補地の一つに下見と売り出し中の物件の内見を兼ねて付き合いの古い不動産屋と行ってきました、今年は何度もその地や周辺の地に行くことになるでしょう。
まずはその地に実家の遺品の保管場所を兼ねた拠点を早々にも決めたいところです、その後に安住に相応しい場所を探すという2ステップで最終ゴールを目指すことにしました、こうすることで無理なく理想郷が近づくような気がします、一気にというと決めるだけで時間がかかり実家の件が手遅れになります、ここは段階を踏んで一歩ずつ牛歩戦術で進めることにしましょう。
ひょんなことをきっかけに積年の悩みと未来への準備が急速に解決に向かった昨年、今年はゴールがはっきりと見えてきたので各種の具体的な動きが起こるような気がしています、ちなみに私の運気でいうと今年からの2年間はエネルギー値が低位安定し静かなる未来への準備&充電・熟成期間になります、また一発逆転ホームランのような幸運が飛び出す期間でもあります、そんなことを考えると今からワクワクが止まりません。
新型コロナウイルスパンデミックにより当初の計画から3年も延びてしまいましたがついにラボ2号が誕生しました、メインオフィスとは別のラボ1号及び2号は私の隠居後の重要なアジトとなる拠点です。
ところで時々使われる言葉の「アジト」ですが正確には「agitating point(アジテーティング・ポイント)」のことであり、ロシア革命時に作戦本部名として英訳して用いられた言葉で日本語訳では「扇動司令室」となります。
一般的にはロシア革命時の「扇動司令室」の作戦行動内容から「秘密基地」とか「地下司令室」と訳されることもあります、解りやすく言うと極秘裏に各種の作戦を計画し指揮するために各地に設けられた衛星基地ということです。
ちょっと大げさに切り出してしまいましたが大したことをやるわけではなく生業のオフィスとは分離された単なる道楽ビジネスのための複合拠点です、とはいえ大きな目的もあり新たなる国家資格が必要なビジネスを行うためのオフィスも兼ねています。
食と健康やオーディオに関することを道楽にするとメンテナンスや実験などで幾つもの部屋が確実に必要になります、またコレクションや備品などを保管しておくだけでも大きなスペースが必要になります。
加えて自宅やトランクルームに保管していたオーディオ製品やアンティークウイスキーをラボ1号に集結させているので今や足の踏み場も無い状況になっています、つまり更に新事業を行うスペースが無くなった故の解決策としてのラボ2号創設というわけです。
新事業と実験研究の為のスペースの確保ができたところで今後は家庭菜園を行う拠点も必要です、更に大掛かりな道楽ごとを行う場所が必要です、こうしてアジトがどんどん増えていくことによって隠居後のある計画が粛々と完成に近づいていくのです。
ところで未来志向での経験を積むために私がやってみたかった国家資格が必要な事業は第二種金融・不動産取引業・貸金業の3つでした、このうち第二種金融は5年前に金融庁相手に1年以上かけてメイン事業の子会社で免許を取得し2年間稼動させた後に会社ごと譲渡し現在然るべく人が運用して有益に活用しています。
この金融免許取得は常勤の金融業経験者が3名必要で人件費も含め大きな投資でしたが未来に有益に活かす経験とノウハウを得ることができました、そして2つめの国家資格事業がいよいよ準備期間を消化しグループ法人を活用して運用開始となる段階です、本当に20年以上前から考えていたビジョンがこの数年で急速に達成しはじめています、次は何をしようかと日々ワクワクが止まりません。