私が「身内」と呼ぶのは血の繋がりのない人ばかりです、既に6年前に長期休眠した経営者成功塾の達人コースは3年間で6名が卒業し現在でも4名と毎日公私共に楽しく交流しています。
私の身内はこの4名の他に長年親交のある国内外の事業パートナー企業の経営者、今もなお一声で集う元社員、またグループ企業合わせて計7名ものその道のプロである顧問、これだけで中堅ベンチャー企業以上の組織になります、加えてグループ企業の社員とスタッフがいます。
現段階でも50名超の組織がGOがかかりさえすれば明日にも結束できるまでの基盤が14年ぶりに確立しました、達人コースの卒業生は既に当社グループ企業との間で各種のビジネス連携を行っており新事業構築と事業推進を身をもって学んでもらいながら生活基盤が大幅に向上し資産がどんどん膨らんでいます。
これらの身内は私にとってどんな意味があるのかというと天の時が来れば解るとしか言えませんし伝えることもありません、隠居する身なのですからある程度は想像できると思います、ただ最終形は簡単に想像できるような世界観ではありません、誰にも想像すらできないビジョンが既に出来上がっています。
今言える事は一つ、その時点で身内全員は有り余るほどの有形無形の財産を形成しているということです、私の隠居後にはいったい何が起こるのでしょうか、今はそれぞれがやるべきことをしっかりやって結果を恐れず来たるべく日に備えて多くの経験を積んでいただけさえすればいいのです。
その根拠は長期間の経営者人生で大きな挫折を何度も味わいながらも常にリカバリーして完全復興させた実績です、そして複数の事業構築で過去1度も失敗したことがないからです、興した事業は全てで形を変えながらも最終的には投資した金額を回収し数倍もの利益を上げています。
この間の計画のずれや障壁などは事業が極めて順調に推移しているという証拠です、何故なら順調に推移していなければ善悪何も起きないからに他なりません、一過性の経済苦境や人的問題など成功するか否かという大きな岐路においては大した問題ではありません。
最も重要なことは何が起きてもどんな状況下でも一度でも信じた人を最後まで信じられるかどうかだけです、信じられるのならどんな苦境も天の時が来れば嘘のように分厚い雲間から陽光が差し込みあっという間に晴天に変わります、他者を信じられない人は信じる対象は相手ではありません、その人を信じようとする自分自身を信じられないだけです。
企業や事業の黎明期とは日々変化の連続で短期間に全てが面白いように音を立てながら変化推移するものです、順調に推移しているなら経営資源や人材も縮小と拡大を繰り返します、そして大きな障害を乗り越え徐々に収まる所に収まっていくのです。
「ビジネスも人生も常に自然の摂理に従い天の時を信じて待つ」、私は多くの経験でこれを学んできました、その縮小と拡大を繰り返している黎明過程での超流動的な状況において何を観て評価し論じたところで何の意味も持たないのです。
何をやっても上手くいかない人というのは一過性での流動的な経過状況を見ては最終結果を思い込みによって判断し、せっかく得たチャンスをいとも簡単に手放してしまうのです、自身の手で一度も成功させたことがない、真の成功者と組んだことがない、だから成功する事業や人を見極めることができないのです。
思い込むのであれば「自分は絶対成功する」と思い込めばよいのです、成功したことが一度もない人は自分自身を一番信じることができないのです、それを認めたくないから他者や状況のせいにしては逃避してしまうのです。
自律した大人というのは失望する対象は自分だけです、他者や状況に失望を感じるのは他者の褌で相撲をとる「他者依存型人間」、つまりは「他者から与えられるだけの人間」だという最大の証です。
ビジネスも人生も善し悪しを決めるのは全てがゴールした時点での結果だけです、そして自身の選択とゴールした時点の結果を信じることができれば一過性の善し悪しの状況など気にも留めずに日々淡々と流動的な事項を愉しむことができるのです、人生苦しみも楽しみも生きている間だけです、何故生きている間にもっと愉しまないのでしょう、
今年は隠居に向けた具体的な行動を開始しています、隠居後に後継者に憂いを残さないようにメイン事業法人と祖業法人の役員変更にはじまり、メイン事業法人の継続的に収益を齎す知財の権利や利益分配を共同事業法人との間で法的に明文化しています。
この隠居に向けた一連の流れに合わせて自分に課していたブログの毎日更新を本日をもって解除しようと思います、丁度本日でブログを書き始めて20周年を迎えました、キリのよい節目ということでもあり今後は趣くままにマイペースに書いていきたいと思います、その意味ではブログは一足先に隠居することにしました。
まだ編集途中の記事も多数残っていますので再編集しながら今秋ごろまでには終わらせ、その後はボケ防止のための徒然なる投稿に留めたいと思います、経営者向けの記事は自分自身でも違和感を感じ始めましたので新作記事は書かずに隠居後の活動記録を残す意味で新たにブログを立ててお気楽日記に留めたいと思います、その意味では道楽別にブログを分け始めました。
そんなことを考えていた2ヶ月前のこと、サーバーメンテナンスによる瞬断と記事アップのタイミングが偶発的に重なり一つのブログの画像アセットが消失するという事故が起きました、事故が起きたブログがたまたま私の道楽ブログだけだったので幸いでしたが修復にはかなり時間がかかりそうです。
まあ、こういう不可抗力による事故も流れの一つだと考えメッセージとして受け取るのが私の信条です、対象のブログの記事をゼロから見直して不要な記事を削除したり編集しなおしています、隠居を具体的に行動し始めたタイミングですからきっと何かの意味があるのです、天は意味のない思い付きでの戯れはしません、きっとその道楽ブログの対象カテゴリがこの先どんな意味を持つのかはいずれは明確になることでしょう。
突然ですが「無借金」とは「借入金がゼロ」という意味ではありません、借り入れなどの返済債務の総額に対して現預貯金と貸付債権の総額が上回っている状態を指していいます。
つまり債権債務を相殺することにより何時でも債務を清算することで「無借金」状況となるからです、また特に借り入れや保証人などの金銭の支払い債務が一切無い場合を「完全無借金」といいます、この「完全無借金」状況を成し得たいと思うのは事業を興している経営者でなくてもローンを抱えている人など誰しも考えることだと思います。
この「完全無借金」状況ですが私は経営者になってから起業当初の約2年間の他にバブル経済期に6年間という長期安定期間を経験しています、更にその後に上場企業傘下に入っていた2年間と経営者になってから都合3回の「完全無借金」状態を経験しています、常に大規模な事業投資や開発投資を繰り返し法人だけではなく個人でも融資の保証人などで大きな債務を抱えるのが事業を興す経営者人生として当たり前のようになっていました。
事業資金により大きな債務を抱えるということはそれだけ大きな事業を興しているということの裏返しでもあります、一人でできる範囲の小さな事しかやらずに無借金だと豪語しても事業家として誇るに足りません、ある意味では投資額(借入金による)の大きさはその人の信用力を測る指標でもありますが同時に投資回収や借入金を完済できるかどうかも重要な指標でもあります。
そんな私の過去にはこんな事実があります、上場企業の傘下に入り一旦は法人個人共に「完全無借金」となるも2年後に傘下から離れる際にバイアウトの為の譲受資金全てを調達できず、代わりに相応の債務を引き受けることを条件として傘下からの自立再興を果たしました。
つまり上場企業傘下から離脱した再興時には法人個人合わせて億を越える莫大な債務を抱えての再出発だったわけです、その後は幾度かの天国と地獄を繰り返して今のような平穏な状況があります、ちなみに離脱後の4年間ほどは利子だけがどんどん増えて元金は一向に減らない状況が続き一時期は将来に大きな不安を抱えることもありました。
それでも一昨年の暮れにメイン法人がまず完全無借金状態となったと同時に個人も債務がゼロとなり現在では老後計画の経済基盤となる預金に加えて債権を多数保有できるまでになりました、更につい先日メイン法人の他に私の関係するグループ法人を統括して完全無借金状態となりました。
経営者というもの会社にお金が足りなければ個人の借り入れは当たり前のように発生します、なのでそれなりの売り上げ規模の会社で経営者個人の債務がゼロというのは本当に稀なことです、再興後にも一旦債務がゼロになるという瞬間がありましたが達成間際にIT事業を復活させ事業投資で再び大きな債務を抱えてしまいました。
この完全無借金状況は14年前の再興時に10年以内には達成したいと頑張ってきました、若干予定が伸びましたが新型コロナ禍中にもかかわらず経営者人生で4度目の法人個人合わせての「完全無借金」を達成することができました。
2年間で43兆円という新型コロナによる政府の中小企業支援策が昨年打ち切られ、リーマンショック後のゾンビ企業数を超える中小企業のなんと24%というゾンビ企業続出のなかでの達成は本当に並大抵のことではありませんでした、でもこれで将来の憂いが完全に消滅しました。
今後は隠居を考え新事業を興すにしても無理の無い範囲で収め大きな事業投資を行うことはありません、後継者や身内に資産と私財を残しても負の財産を引き継がせることはありません、これで心置きなく隠居し悠々自適なセカンドライフという隠居生活を送ることができそうです。
※「ゾンビ企業」とは実質的には破綻状況であり、政府や金融機関の支援を一切受けられず個人借り入れなどによってなんとか存続しており、個人借り入れができなくなった時点で倒産が確定してしまう企業の俗称。
今年は秋が無かったと思えるほどの異常気象で11月に入っての真夏日は気象観測以来の記録更新だそうです、そんな異常な暑さも先週末から急に初冬らしい涼しい風が吹くようになりました、駅前広場や大通りには恒例のクリスマスイルミネーションも点燈しいよいよ年末を感じさせるようになりました。
ところで私の年末恒例行事といえば各種の断捨離ですが今年は隠居を意識してこれまで以上に物を捨てようと計画しています、特にスペースを取られていた業務用冷蔵庫やワインクーラーに加えてコレクションに値しないオーディオ関連製品や家具などを大量に処分します。
私の中での断捨離の重要性は不要なものを捨てるのが目的ではありません、新たに興味を抱いている物を保管するためのスペースの確保です、それでも足りないときには別にスペースを用意してしまうという陰陽極まった思考なのです、これまでにやりたくても各種の要因で出来なかった道楽事が山ほどあります、隠居を意識しつつ今年は大いに断捨離することにしましょう。
ちなみにビジネスでの各種断捨離は3月から始めており今月末で一旦は完了します、物の断捨離が物理的なスペースの確保が目的ならビジネスでの断捨離は脳のスペースの確保です、空いた脳のスペースで来年は誰とどんな愉しみ事をしようかとワクワクが止まりません。
「乙女心と秋の空」と言うように秋は天候の変化が激しく日々寒くなるので物憂げな気持ちになります、従心近い私も秋には多くの特許出願や新事業のアイデアなど脳がフル活動する季節ですが他方で心境の変化も湧き上がり心情的には極めて忙しくなる季節でもあります。
さて心情の変化ということに関してですが昨今突然のように湧き上がってきた違和感があります、そのきっかけとなったのが時々送られてくる区役所からのアンケートです、先日そのアンケートをゆっくり読んでみて何やら天からの黙示のように感じたのです、そのアンケートとは要介護保険を支払っている独り暮らしの高齢者を対象にしたもので要約すれば「生活するうえでお困り事はありませんか?」というものです。
そして心情の変化とは私はもう他者から支援される側の人間なのだという気付きです、これまで自身が行えることで他者への各種の支援を意識して公私共に生きてきたのですがこのポリシーに突然違和感を感じるようになったのです。
長い期間ずっと愛猫から観葉植物、アンティークオーディオから保存用アンティークウイスキーの世話をしてきて加えて他者の事業や経営の世話までしてきました、愛猫や植物などは道楽ごとですが他者の世話は世話される側が自ら行うことではないのではないのか、もうそろそろ人を対象にしたボランティアライクなことは止めようじゃないか、そんな強い黙示を天から受け取った気持ちになったのです。
そんな黙示を感じてしまったらボランティアライクな事が急に偽善に思えるようになり自分らしくないと考えるようになってきたのです、思えば未来への布石で幾つかのボランティアライクな事業の準備をしているところです、さてこの受け取ってしまった黙示をどう解釈し隠居を控えた身として軌道修正したらよいのだろうかと考えている昨今です。