夜考えるのは今日から即止めよう。
夜は闇の力で後ろ向きな結論しか出ないから。
闇の力は思考に負のエネルギーを与える。
負のエネルギーで思考した解に正解は無い。
重要な事を考えるなら朝に限る。
陽光の力で前向きな思考になるから。
DNAに仕組まれた自然の摂理。
夜はゆっくり脳を休め昼間にフル稼働させる。
自然の摂理に従い生きれば結果は常に上々である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
AIの世界には「大人のAI・子供のAI」という概念が存在しています、「大人のAI」というのは現在研究開発されている全てのAIの基本であり成人した人間の脳と同程度の知能レベルを目指して研究・開発されています。
「大人のAI」は情報蓄積・分析・会話・判断・アドバイスなどをどんどん学習して成長していきます、対して「子供のAI」という概念は生まれたばかりの人間の脳を人工的に再現するという基本コンセプトの基に研究されているAI分野で現在の技術をもってしても完成することは不可能だと言われています。
つまり「子供のAI」とは人工知能ではなくて脳そのものを人工的に作りだそうという「人口脳」というコンセプトだからです、では何故「大人のAI」はどんどん発展しているのに「子供のAI」は実現そのものが不可能と言われているのでしょう?
それは何も教えられていない状態から自律的に言葉や文字を覚えていくという基本的なアルゴリズムの構築は人工的には不可能だとする見解からです、現在医学的にも脳の研究がすすめられているのはこういう裏事情もあるのです。
いったい動物の脳はどのようにして細胞の塊から突然知能を持ち情報を得て学習していくのでしょうか、それはもうテクノロジーの領域を超えまさに神の領域に踏み出そうとしているのかもしれません、でも不可能と言われてもニーズがあれば私は作りだそうと試みます、少子化そして無縁死が増える昨今、ここに多くのニーズがあることは否めません。
神の領域、成功すればノーベル賞と言われている「子供のAI」、実現すれば本当に人間が滅びてしまうかもしれません、私はこの「子供のAI」をブロックチェーンを応用してできないかと考えています、つまりノードが脳細胞でシナプスがブロックチェーンで代用するというものでノードが極少でできれば可能性は高まります。
更にはブロックチェーンネットワーキングの素晴らしさは世界中のノードと繋がり世界の情報を自ら瞬時に取得して記憶・分析・判断・予想などが行える世界規模の巨大な脳ができ上がるのです、ただ学習アルゴリズムは現在のディープラーニングでは不可能であり新たなる分散型のAIアルゴリズムが必須となります。
重要なポイントとして子供の脳に求められるデータセンシング能力に「曖昧さを曖昧で扱える」機能が必須であり「0/1」で捉えるデジタルでは不可能とさえ思えてくるのです、例えばコーラの甘さとチョコレートの甘さ、クラシックとジャズの音の響き、こういったデーターはデジタルセンシングでは比較しかできません、重要なのは「どのように脳が感じるか」なのです。
「子供のAI」は考えれば考えるほど遠い世界に存在しています、だからこそ何年かかろうがチャレンジする価値が在ると思うのです、そんなことをふと考えていたら新社を創設してしまっていました、もう誰にも私の脳の暴走を止めることはできません。
だいたい人は、
時間を持て余すとろくなことを考えない。
暇なときには明るい未来を考えることだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
他者の事はあれこれと批判し、
自身の事は言い訳で擁護しては正当化する。
成功しない人の最大の特徴がこれだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
「いにしえの道を聞きても唱えても、我が行いせずば甲斐なし」
日新斎(じっしんさい)の号で知られる島津忠良の、「日新公いろは歌」より学びの姿勢を示したこの一言。
忠良は幼少のころ「朱子新註四書」を教えられ、また禅を修め神道の奥儀を究め、儒・神・仏の三教を融合して新たに学問を開きました、これを日学と称されます。
戦国の世に在りながら、学びに学び抜いた智将の根拠ある一言は実に深いものがあります。
多くの優れた教訓や学びを聞いても、また唱えたとしても、自分自身が経験してみなければ何も身に付きません。
孔子も「一つを学んだら機会を得て試してみる」と学びの姿勢を示しています。
知識を得ても体得したことにはなりません、知識は経験によって知恵と代わり自身のものと成り得るのです。
失敗も一つの学びです、どんな事も経験を積めば何れは徳となります。
失敗など恐るに足りません、人生で恐れるべきことは辛いことや嫌なことから逃げ出す自身の弱さに失望することです。