104代首相は過日自民党総裁に選出された高市氏に決まりました、日本憲政初の女性総理に各国もトップニュースで伝えました、私は維新の会を味方につけた時点で高市氏の勝利は確実視していましたので驚きはしませんでした、そしてこの一連の動きを「覚悟」という視点で傍観していました。
当初は維新の会ではなく政策的にも近く高市氏と早期に接触していた国民民主が与党連立の要となっていました、しかし党首の玉木氏が煮え切らないのか野党連立の可能性との狭間で風見鶏のような曖昧な姿勢の振る舞いに始終し、結局はその間に維新の会に座を奪われてしまいました。
風見鶏的な振る舞いは野党からも見放され首相選後の支持率は半減し玉木氏のスキャンダルが再燃し党員も離れかねない状況に陥っています、こんなにもリーダーの覚悟が問われる瞬間はそう多くは無いでしょう。
日々何を語ろうが自由ですが、リーダーたるものここ一番の瞬間に覚悟が問われます、そして覚悟が無いと判断された瞬間に群れから孤立します、これは自然の摂理そのものです、大草原のライオンの群れ然り、猿山の猿の群れ然りです、覚悟が無いならリーダーに成るべきではないのです、それは本人も含めて誰も幸せにはならず関係者全員が不幸になるのです。
世のトレンドは「自国愛」だろうか、自国の文化や伝統あるいは民族意識を強く前面に押し出してくる一国のリーダーが増えてきた感があります、そんな中で日本もそのトレンドに従うかのように最右派と言われてきた高市氏が自民党総裁に選出され首相の座を野党を巻き込んで虎視眈々と狙っています。
さて政治の話はさて置いて自身の周りのトレンドを常に意識しているでしょうか、例えば経済的な事項やストレスを感じる事項などは面白いように一度に連発して押し寄せてきます、またプライベートでも普段何もないのにイベントのお誘いがまとまって来るようなことが起きます、これは一種の普遍性の法則そのものでありバラバラだった事項のタイミングがある瞬間に揃ってしまうという科学で説明できる現象です。
その意味で言うと私の現在のトレンドは投資でしょうか、それも投資する方ではなく受ける方の話が各国の投資家から齎されています、極めて真摯で有益な投資家もいれば逆に自己利益だけを狙った悪意のある投資家もいます、まあ経営者人生45年で投資をするのも受けるのも何度何度も経験しているしそういった見極めは肌感覚で流せます。
だいたい相手が急ぐ話ほど良い結果にはなりません、そういったときには急ぐ相手を待たせることにしています、そして条件を厳しくして様子を見ます、本気で覚悟を決めている投資家なら相手のペースに合わせるし条件もある程度は飲みます、そうでなく自身の早期利益を考えている投資家は他へ行くでしょう、それが狙いです。
与える方も与えられる方も余裕が無いときはほぼ飲まれます、余裕の有ったほうが最後は笑えるのです、単純ですがどんなケースも例外なくこの法則は当てはまります、「最初からこの話は無かったことにして」マイペースに進める余裕、これが肝要かと思います。
私の第二の故郷ともいえる池袋ですが、考えてみたら人生の3分の2をここで生活しています、そんな池袋の秋と言えば「ふくろう祭り」です、丸2日間をかけて全国からよさこいチームが結集し大イベントが繰り広げられます。
審査が行われるメインの駅前ステージや駅前公園のステージに加えて4つのメイン通りを激しく踊りながら行進します、色華やかな衣装に加えて掛け声も若々しく元気を貰います、また各種の神社の祭りも毎週のように開かれ神輿行列で道路も封鎖され賑やかな夜となります。
ところで祭りは氏神や産土神(うぶすながみ)など家や土地にまつわる神様と深い関係があるのですが、その意味では日本人というのは仏教やキリスト教などの宗教とは切り離して神様信仰が並行しているのが世界的にみても極めて稀で面白いと思います。
その意味で多くの家では仏壇と神棚が同じ部屋に在ったりします、加えて初詣には神社へ行き盆はお寺に、そしてクリスマスのイベントも楽しみます、これはどの国でも見られない文化であり日本古来の信仰感覚だと思います。
私もその意味では住んでいる地の神様には初詣に行きますし、永住の地の敷地内にも神様を祀る祠を建てたいと思っているのです、一つの守られているという安心感が心穏やかに過ごせると思うのです。
神様を祀ることを他力本願だというトンチンカンな人もいますが私は大いに結構なことだと思います、むしろ心開ける心の拠り所は持つべきだと思います、人は一人では生きていけないのです、どんな人でも苦しいときもあれば辛いときもあるのです、それを世の中や他者のせいにするのではなく自分の行いを顧みることが肝要かと思います、それを後押ししてくれる存在が在るとするならばきっとそれを神様というのではないでしょうか。
最近の若い人は無駄な時間に関して強く意識しているようです、特に飲み会や社員旅行などを「タイパ(タイムパフォーマンス)が悪いと言っては参加を拒否する傾向があるのだそう、昔なら参加しなかったら先輩にこっぴどく叱責されたものですが昨今では強要はすべてハラスメントに当たるようで下手なことは言えなくなってきているようです。
私も実はほぼ強要された飲み会は大嫌いで社会人になりたての頃は嫌で仕方ありませんでした、意味のない会話に突き合わされて強引に飲まされ「イジメだ」と意識したこともあります、まあでも歳とともにタイパの悪いことも時に重要だと考えるようになります、話が重要なのではないのです要は付き合いの問題なのです、つまり進んで参加するかどうかの意識問題です。
世の中には無駄な時間や労働など幾らでも存在しています、でも本当にそれは無駄なことなのでしょうか、例えば意味が無いと思って付き合いで参加した飲み会で未来を決めるような出会いや自己業務のヒントが転がっていることが多々あります、私も45年のビジネス人生で幾多もありました。
その出会いやヒントは時間換算できません、1万時間かけても得られないかもしれないからです、要は常に世の中すべてがセンスの問題だと思うのです、つまり無駄事に関する感覚です、無駄を無駄に終わらせない姿勢と判断が肝要だと思うのです、そういう人は確実に時間と飲み代以上の利益を得られる人です。
この歳になると無駄事にこそ人となりが素直に表れるのだと思います、無駄事を無駄で終わらせない思考と無駄事に価値を見出すこと、これができれば少しは成功の文字が見えてくるのかもしれません、何歳になっても無駄事の向こう側を観るようにしたいものです。
毎年のように5月の連休とか夏休みは何処に行っても人が溢れ電車に乗れば子供の泣き声でイライラモードになってしまいます、永住の地に月に何度か車で行くのですが決まってこの季節は行き帰りに渋滞に嵌まります、サービスステーションで休もうと思ってもテーブルは人で埋め尽くされていてゆっくり食事もできません。
5月連休や夏休みは大手企業は一斉に休暇に入り1週間ほどビジネスが止まることになります、毎度のことなのでそんな時にはマイペースに進めるので問題なしです、ただ一斉に休みを取る5月連休と夏冬の連休はどうにかならないかと思うのです、何故みんなが一斉に取るのでしょう。
私は外資系企業に勤めていたルールをずっと起業後も適用し5月連休も夏冬の連休も自由に取れるようにしています、5月連休が終わってから1週間休んでもOKなのです。
私は「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な集団心理がすごく苦手です、みんなが休んでいるときに仕事をしてみんなが仕事しているときに休む、こんな自由な世界が好きなのです、さてそんな鬱陶しい夏休みもそろそろ終わりです、ゆっくり長期休暇でも取りましょうかね。