2023年9月16日 01:00
現金だけがお金ではない。
最も重要なことは対価価値という感覚である。
コメント:
労働や時間的拘束もそれに換算した対価というお金と同等の価値を持つ、つまり何らかのサービスを受けた場合は支払いが生じるのは当たり前のことである。
2023年9月16日 01:00
現金だけがお金ではない。
最も重要なことは対価価値という感覚である。
コメント:
労働や時間的拘束もそれに換算した対価というお金と同等の価値を持つ、つまり何らかのサービスを受けた場合は支払いが生じるのは当たり前のことである。
2023年9月15日 01:00
世の中にはどうして自ら世間を狭くしている人が多いのでしょうか、仕事帰りに立ち寄る何時もの小料理屋に常連に交じって一人見かけない初老の客がいました、黙って飲んでいるときは別段変ったところもありません、ところが突然隣の席の常連さんと女将さんの話に首を突っ込んだかと思うと常連さんに私見を言い始めたのです。
「あ~あ、やっちゃったな」と思っていた矢先に常連さんは気分を壊して帰ってしまいました、それはそうです仕事を忘れるためにここに寄っている人なのだから完全オフのプライベートな時間にオンの話しではストレスも絶頂になるでしょう、きっと根は悪い人ではなくて常連の仲間入りをしたくて話しかけたかもしれません、ただ方法と話し方と切り出すタイミングが最悪だったのです。
おそらく帰った常連さんはその人がいれば今後は寄らないでしょう、こんなシーンはもう昔から何度も見ていますし結果もほとんどが同じことになります、本当に些細な事ではありますが見ていて気分の良いものではありません。
自分が世界の中心にいると考えるのであれば全員が同じように世界の中心にいるのです、そしてその世界は全てが価値観の異なる異空間なのです、みんな楽しく会話して楽しく飲むために自らのお金と時間を使ってその場にいるのです、その他者のささやかな幸せを壊す権利は誰にもありません。
自分の欲求を満たそうと思うのであれば相手の欲求する物が何かを考え、それを満たしてあげて初めて自分の欲求が通るというものです、ここはどんな場でそこにいる人達は何を求めているのか、他者の心の中が見えない人は常に人間関係に苦労することになります、そして意に反して人間関係上のトラブルを引き起こします。
このような他者の気持を理解できない人は罪な人間だと思います、他者の気持をいきなり壊しては大きなストレスを与えるのですから、ストレスは寿命を縮めますから見えない傷害罪とも言えるのです。
孔子論語に云う、「他者が自分を理解しないことを悩むのではなくて、自分が他者を理解しないことを悩め」と、ここが解らなければ何時まで経っても自分勝手な独りよがりと思われ、真の理解者を得られることはないでしょう。
2023年9月14日 01:00
些細な事をきっかけとして物事が大きく変化することは珍しいことではありません、例えば会社ではたった一人の入社によって難航していた商談が次から次へと決まりだす、また逆にまとまっていた社内が一気に険悪なムードになるなど、それまでの流れが一変することがあります。
そのタイミングが何かと考えると、ある人との出会いや離別が発端となっていることが多いことも事実です、私事ですが最近急速にある種の有力な人脈が形成されつつあります、その人脈との接触は実は最近のことではないのです、ただ互いに共通するある種の事項に遠慮していて距離を取っていたように思います。
その共通した事項が必然のことのように自ら消滅したのです、それが何を示すのかはあえて言いません、しかし不思議な事にそれをきっかけとして今までその事項に関して遠慮していた人たちが急接近してきたことは事実です、そして本音の話を始めるや否やビジネスマインドや目標とする事項、更には価値観までもが一致していることが互いに確認できたということです。
経済界でいう「灰汁抜け(あくぬけ)」或いは「悪材料出尽くし」、それは物事が何らかの障壁があってスムーズに運ばない状況の時に、その原因が消滅した瞬間にそれまでの時間を埋めるように急速に好転することを意味します。
何れにしてもこの人脈は関係している人全てがそれぞれの足りないものを補完し合え、更には得意としている部分を相互に活用できるという、まさに理想の関係が形成されつつあります、因果とはまこと不思議なものです、何をきっかけに好転するのか暗転するのか、その瞬間には誰にも解らないのです。
2023年9月13日 01:00
「縁(えにし)」とは実に複雑で面白い結果をもたらしてくれるものです、私が「縁」について日ごろ言葉にするのが「縁が有れば会え無ければ会えない」というものです。
韓国で携帯電話が出始めた頃に流行した「007ミーティング(ゴンゴンチル・ミーティング)」という遊びがあります、これは恋人同士のデートの際に大まかな場所と時間だけを約束し当日は連絡を一切行わずに出会えるかどうかを楽しむものです。
名前の由来はスリルとサスペンスのスパイ映画の代表作「007シリーズ」であることはお解りでしょう、出会えれば「縁が強い」と確認し出会えなければ「縁が無かった」と割り切るようです、面白そうですが実にシビアな遊びです、しかしこれも「縁」を強く感じる瞬間だと思います。
10年以上会っていない人で二度と会わないと思っていた人と再度ビジネスを始める場合もあります、この人とは生涯に渡りパートナーと確信した人でもほんの些細なことがきっかけで決裂することもあります、また馴染みの夜の帳で口論した人が同業他社の役員で後にビジネスパートナーに至ったケースもあります。
常に今しか見てない普通の感覚の人はその時だけだと思ってその場だけの失態や醜態を感情に任せて行ってしまいます、しかしどこでどんな「縁」によって関係ができて互いの立場が決まるのかは未来でしか解らないのが世の常です、その時に少なくてもバツの悪い思いだけはしていただきたくありません。
人生とは本当にいろいろなことが起こるのです、どこでどんな人とどんな展開になるかは解りません、よく考えて将来の「縁」を意識した行動を常に取ることが成功者だと思います。
自ら縁を切った人が未来において社運を一変するような鍵を握る重要人物になるかもしれません、その時にはどんな後悔も反省も時すでに遅しということを理解しなくてはなりません、成功する者は決して自ら縁を切るようなことはしません、縁と因果応報の怖さを存分に知っているからに他なりません。
2023年9月12日 01:00
「仁義礼智信」の五文字を誰しもどこかで一度は見たことがあるでしょう、「仁義礼智信」の五文字は「漢書」に記されているもので「人として守らねばならない最低の心得」を説いたものです。
漢書にまとめられる以前に孔子によって「仁」・「礼」が説かれ孟子によって「仁」・「義」・「礼」・「智」の4つが説かれていました、漢書にまとめられる際に何者かによって「信」が加えられ中国文化伝承の五文字(五行思想に基づく)として組み立てられ記されたものです。
日本では津藩主である藤堂高虎が息子の二代目津藩主高次へこの五文字を使って「武将たるものの心得」として亡くなる5年前に遺書として残したと津家日記に記されています、このことから額などに入れられ大量に売られたこともあって見たことのある人も多いのではないでしょうか。
門下生にも何度となく折に触れ話をしている言葉でもあります、人として最低限の心得を理解してない者がどうして夢を実現し成功者となれるでしょうか、そこで「仁義礼智信」の各文字の意味を示します。
「仁」は、他者への思いやりや慈悲の心
「義」は、人としての正しい生き方
「礼」は、礼儀作法・秩序・倫理観
「智」は、知識をもって偽りを見極め正しきを判断する能力
「信」は、信用・信頼を重んずる心
「仁」と「義」はビジネスにおいては最低限の基本中の基本です、どんな理由にせよ他者を陥れるなどは論外で他者の利益を優先して失敗することはありません、成果を求める前に、大いなる志や夢を持つ前に、社会人として「人としての最低の心得」を体得していただきたいと思います。
このような人には結果や有益な人などが自然についてきます、結果的に成功者となれるのです、夢・目標・人・お金・名誉、何事も追えば逃げます、人としての正道に従い謙虚に待てば欲しいものは自然に寄ってくるのです。
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