2023年9月15日 01:00
世の中にはどうして自ら世間を狭くしている人が多いのでしょうか、仕事帰りに立ち寄る何時もの小料理屋に常連に交じって一人見かけない初老の客がいました、黙って飲んでいるときは別段変ったところもありません、ところが突然隣の席の常連さんと女将さんの話に首を突っ込んだかと思うと常連さんに私見を言い始めたのです。
「あ~あ、やっちゃったな」と思っていた矢先に常連さんは気分を壊して帰ってしまいました、それはそうです仕事を忘れるためにここに寄っている人なのだから完全オフのプライベートな時間にオンの話しではストレスも絶頂になるでしょう、きっと根は悪い人ではなくて常連の仲間入りをしたくて話しかけたかもしれません、ただ方法と話し方と切り出すタイミングが最悪だったのです。
おそらく帰った常連さんはその人がいれば今後は寄らないでしょう、こんなシーンはもう昔から何度も見ていますし結果もほとんどが同じことになります、本当に些細な事ではありますが見ていて気分の良いものではありません。
自分が世界の中心にいると考えるのであれば全員が同じように世界の中心にいるのです、そしてその世界は全てが価値観の異なる異空間なのです、みんな楽しく会話して楽しく飲むために自らのお金と時間を使ってその場にいるのです、その他者のささやかな幸せを壊す権利は誰にもありません。
自分の欲求を満たそうと思うのであれば相手の欲求する物が何かを考え、それを満たしてあげて初めて自分の欲求が通るというものです、ここはどんな場でそこにいる人達は何を求めているのか、他者の心の中が見えない人は常に人間関係に苦労することになります、そして意に反して人間関係上のトラブルを引き起こします。
このような他者の気持を理解できない人は罪な人間だと思います、他者の気持をいきなり壊しては大きなストレスを与えるのですから、ストレスは寿命を縮めますから見えない傷害罪とも言えるのです。
孔子論語に云う、「他者が自分を理解しないことを悩むのではなくて、自分が他者を理解しないことを悩め」と、ここが解らなければ何時まで経っても自分勝手な独りよがりと思われ、真の理解者を得られることはないでしょう。