「失敗から学ぶ」、これを言う人は絶対に成功しない。
失敗から学べることなど、
成功者から見れば取るに足らないものばかりである。
何度も「失敗から学ぶ」と言ってきた人が、
失敗を繰り返している事実は笑いようのない真実である。
成功する人は「どんな結果も成功の糧だ」と言う。
失敗を繰り返している人の共通点は、
失敗を自ら「失敗から学ぶ」という作り言葉で、
その事実を失敗と認めてしまっていることにある。
大きな失敗も未来で見事にリカバリーすれば、
その瞬間に失敗は失敗ではなく成功に変わるのだから。
そもそも成功者は失敗という言葉は一切使わない。
何故なら失敗したことが一度もないからに他ならない。
失敗とは常に一過性の状況に過ぎない。
その状況が継続すれば失敗という事実が固定する。
失敗を失敗で終わらせないのが勝者なのである。
自身の誤った行動結果に対する現状回復という清算。
これがきっちりできない人が多くなったと感じる昨今。
法人破産や自己破産は極めて潔い清算方法である。
自己責任のみならず社会的責任を負う意味でも立派だ。
もっともやってはいけない行為が、
迷惑だけ残して自己保身優先で済崩し的に逃げること。
過ちを認め過去の行動結果や人間関係含め、
奇麗に全て清算したうえで再生復興することが肝要。
清算とはお金のことだけではない、
もっとも重要な清算は結果における原状回復である。
清算せずして再生復興すれば必ず大きな憂いが浮上し、
針のムシロの上で生きていかなくてはならない。
不遜な表情、びくびくした仕草、笑顔で隠す不安、
憂いは確実に地獄の境地へと追い込んでいく。
人として陽光を浴び堂々と暮らしていたいのなら、
どんな過ちも奇麗に「清算」することが最優先である。
「災いは忘れたころにやってくる」を忘れるべからず。
昨今の起業ブームで起業した経営者の多くは、
生活改善の手段として起業したのではないだろうか。
もしくは同じ所得でも税金が少なくなるとの思惑か。
多くの起業家は無難にできる事を優先している。
これでは事業法人の意味をまったく成していない。
法人経営とは企業と事業の成長を最大の目的とし、
雇用と納税によって社会貢献するのが務めである。
生活を優先するなら目的ではなく手段に過ぎない。
もしも、そうであるなら法人を持つべきではない。
個人か個人事業主が最も有利で理想的な姿である。
「生活のためなら何でもやる」、
これが手段志向の典型的な人の思考と言葉である。
「成功するためにあえてやらない」、
この選択ができるのが目的志向の人の思考と言葉である。
成功する経営者の目的志向は手段志向と180度異なる。
「やった方が良い」という当たり前な思考ではなく、
「やらない方が良い」というストイックな思考が重要である。
「生活のためなら何でもやる」、
だから何年経っても収益は低位安定のままでステイする。
これが勝者が最も嫌う典型的な手段思考の人の現実である。
世に溢れている数々の名言や金言。
著作者を明記していない場合は、
全てがそれを流用した発信者の責任となる。
コメント:
勝手に他者の文章や写真などを使う人がいます、しかし勝手に使って事がおきた時はその使った人が責を問われることになる。
その内容の正否や法的責任は、全て勝手に使った人にかかることを肝に銘じることだ。
一度確立させてしまった事業や人間関係。
新しき事を構築するに最も厄介な存在にもなる。
コメント:
家を新規に建てるとき、新地なら建て易いが古家があれば先ず壊さなくてはならない。
事業も人間関係も全てが同じことで、古いものの上には新しきものは確立できない。