私の景気ウォッチングの一つにテレビ番組の編成があります、景気の良い時にはドラマやドキュメンタリーなどが多くなり景気が悪くなるとクイズやバラエティ物が多くなります、つまり予算により番組の方向性が決まってしまうということで確実に景気トレンドと一致しています。
これらの番組編成とは別にしてこの1年ほどテレビ番組をウォッチングしていて気付いたことがあります、それは今まで表舞台には出ることが無かったCMやアニメソングの歌手、カラオケのガイドボーカル、アニメなどの声優、世に溢れる自販機や駅構内のアナウンスサー、そういう裏側の人たちにスポットが当てられています。
テレビだけではなくゴーストライターの実名出版でのヒットや主婦ライターの突然のブレークなど今まで陰に隠れていた人達が突然のように表面に出てくるようになりました、これは大きな流れを感じざるを得ません、どのような業界であれ隠れていた人材が表面化するトレンドに入ったのかもしれません。
ここにもまた事業やビジネスチャンスを多く見出すことができます、大きな時代の流れを肌で感じることができる人が次代のビジネス勝者なのです、どんな人にも必ず有能な人材が隠れています、今まで友達感覚で付き合っていた人など視点をビジネスに切り替えて再度思考してみてはいかがでしょうか、意外な人が自分の周りに存在しているのかもしれません。
「紺屋の白袴(こんやのしろばかま)」という諺があります、これは紺屋(染め物屋)なのに自身は白い袴でいるということを表し「他者の事ばかりを行っていて自身の事は後回しになる」ことを意味します、同様に患者には立派な言葉を並べたて注意を促すのですが自身は忙しさでケアが全く行えずに病気になってしまうという「医者の不養生」も同様の例えです。
改めていろいろな会社を思い浮かべては考えてみると、確かにその道のプロとして活躍している人ほど自身の事は意外や後回しになってしまっている例が多いことに気が付きました。
WebデザイナーのHPが3年間もリニューアルしていなかったり、栄養士がメタボだったり、営業支援の会社が自身の仕事が無かったり、そんな何かおかしいと思わざる事が多々あることに気が付きます。
かくいう私も同様でした、他者の経営状況には的確に改善を促せるが自身の会社の事は判っていながら後回しになっていたという事実が多々あります、これに気付けばやはりその道のプロはその道は良く知った道です、更にはこれも良く知った自身の事です、他者事の数倍の速さと的確さで改善できます。
「その道のプロは、その道に躓く」、自身の事が後回しになっていないか、これを機に冷静に自身の身の周りにも目を向けてみてはいかがでしょうか。
クライアントの依頼を断る場合。
断るに理由は不要であるがプロであるなら代案を示すべきだ。
コメント:
不利益や感情的な問題で依頼を断わざるを得ないときがあります、でもプロとしての誇りがあるのであれば要求を可能にする代案を明示すべきです。
「主義主張」とか「譲れない拘り」とか、
どんな場合もこれを理由にしてお願い事を断るべきではない。
コメント:
「主義主張」や「譲れない誇り」などは、自己都合の何物でもない。
つまりこれを出したらこれ以上ない拒否と取られてしまう、今度は逆にこれを理由に如何なるお願いも断られることになる。
バブル絶頂期の頃にクラブのママさんに聞いた話しをときどき思い出します、「突然来なくなるお客さんがいるんだけど、後で一緒に来ていた人に聞くと会社が倒産して夜逃げしたって・・・、そういう人が数年後に再び戻って来ることがあって顔つきから仕草まで別人のように立派になって、同じ人とは思えないのよ・・・」。
話は変わって、私はよく「穴に落ちるならでっかい穴に思いっきり落ちろ決して縁にしがみつくんじゃない!」と言います、でっかい穴から這い上がった人は人が変わったかのようにプロ意識を持ち完璧な業務遂行ができるようになるからです、こんな例は何人も見ています。
「人生の挫折」、それは誰にでも起きうることなのです、自信を失い自分の将来に失望します、でもそれは最も尊い経験だと思います、自分に失望し自身を卑下できることはそう経験できることではありません、自分に失望して初めて自分の悪いところが明確に理解できるのです。
それに気づいて自分の思考を軌道修正できるのです、その後は自分をガンガン出してもミスもしなくなるのです、「一皮剥ける」、「自立した大人になる」、「パラダイムシフト」とはこういうことなのです、穴に落ちれば穴の中でしか見ることができない景色があってそこでしか得られない貴重な体験ができます、決して穴の外では得られない生涯に渡る貴重な体験です。
落ちるのが怖くて穴の縁に惨めにもしがみついているのを助けてくれる人ではなく、むしろ背中を押して穴にストンと落としてくれる人が本当の愛を知っている人だと思います、本当に思いやりがないとできないことです、そういう経験をさせてくれる人が身近にいることを心から感謝することです。