ちょっと前まで長期間にわたり健康に良いとされてきた物がその後の医学の発展や研究によって一転身体に悪いとされる物が実に多くあります、またその逆も然りです、科学の発展というのは時として非情であり知らなければ平和で暮らせるのに知ったがために生活環境を一変させる必要に迫られることもあります。
特に食品についてはこの数年で大きく過去の常識を覆す研究結果が顕著に報告されました、何が身体に良くて何が悪いのか、原点に返れば科学の研究結果を知らなくても解るものです、そもそも人間の身体は何でできているかを考えれば容易なことです、ちなみに植物性食品を全く食べないで生肉しか食べないエスキモー人を検査したところ、全ての健康管理データで理想的な結果が出たとの報告は有名な話しです。
昔から健康法は幾つもその時々で新しい説が出てくるのですが栄養や細胞学に加えて遺伝子の解明が進むにつれて過去の健康法が如何に間違っていたかなんてことも大いに有り得ます、例えば疲れると筋肉内に乳酸が溜まるというのは誤りでケイ素が溜まることが解りました、また糖分を減らしても体内脂肪が急激に減らないばかりか脳細胞が枯化することも解りました。
肉類でしか得られない必須アミノ酸(体内で生成できない細胞生成に必須とされるアミノ酸)が9つもある、牛乳を消化する酵素を持たない大人が多数いることなどが解ってきたのです、これらの生体メカニズムの解明から如何に過去に誤った健康法が広まっていたかということが解ります。
更には年齢により体内脂肪の平均値が世界的に共通して変化するのは、その年齢に相応しい標準体型というのがDNAに仕組まれているから、なんていうことまで近年の医学界で言われるようになりました、これは中年になってある程度太るのは男女ともに極めて健康であるということなのです。
また、バブル期ごろからの誤った健康法により肉を食べなくなった家庭が増え、特に若い男性のホルモンバランスが著しく崩れ男性本来の闘争本能が消えやる気を起こさなくなった、若い女性の肌の老化現象が著しくなっているなどの報告も肉類の摂取不足から起きる要因などと解明されてきています。
真の健康法とは何でしょうか、私は食べ物についてずっと思うことは食べたいものを食べたい時に美味しく食べるということです、つまり喉が乾けば水分を摂取するように身体が欲している物は身体に不足している成分であり、それを脳がキャッチして信号を送っているのです。
それを無視するのは逆に身体に悪いのではないかと思うのです、ただしこれはあくまでも私見であって推奨することではありません、また健康を意識して欲しくない不味いと感じる物を何故無理をしてまで食べなくてはいけないのかということに大きな疑問を感じます。
100歳以上の老人への食事内容のアンケートで共通した答えが「食べたいものを好きなだけ食べることだ」という一致した回答があります、これはいったい何を意味しているのでしょうか、性格と同じように生命体も個性というものがあります、その個性に適合した食事が本来は必要になり個性を無視して画一的な食事法を推奨するのは如何なものでしょうか。
ビジネスも然りで企業を経営する経営者にもそれぞれの個性に適合した手法を執る必要があります、その経営者の性格や思考を把握もせず画一的な戦略戦術を強要する経営コンサルタントは実に多いのです。
これは自分が経営を行ったことが無いもしくは充分に行っていないコンサルタントに多く見られます、過去に成功法則と言われた戦略戦術の数々、これもその企業の経営者の個性を無視したら最悪の結果を齎すでしょう、経営の常識や定石に捕らわれているうちは上手くいかないのは至極当然です、個性に応じて自分流にアレンジしてこそ企業や経営者に適合した必勝法が確立されるのです。
進化論といえばダーウィンの「種の起源」があまりにも有名です、ダーウィンの進化論によれば「種は環境に適合し突然変異によって進化する」ということになります、逆説的にみると競争社会を形成し「変化に適合できない種は淘汰の道を選び絶滅する」という怖い結果になります。
これをビジネス社会に置き換えて考えてみると殺伐とした競争原理の下に行われる企業間のサバイバルゲームそのものになってしまいます、そして勝ち残れない企業や業種は淘汰されるということになります。
ダーウィンの進化論に対して真っ向から異を唱えたのが京都大学の今西錦司名誉教授です、彼の説は「生物は自分の生態に適合した環境を選んで生き残る」という「棲み分け理論」を発表しました、この理論をビジネス社会に置き換えると「それぞれの企業(個人)はそれぞれの特徴を生かせる分野で棲み分けることにより共存していく」ということになります。
つまり「棲み分け理論」には競合や淘汰という殺伐とした現実はなく、そこにあるのはそれぞれの個性を生かした共存共栄の理想的な社会です。
企業が進化し成長を考えるとき「企業間の競合によって淘汰させるのではなく、それぞれの特徴に合わせた分野(事業)において共存共栄を図りながら業界そのものを成長させる」という考え方こそが我々日本人のワビサビの文化に受け入れられるのではないでしょうか?
欧米型企業においてはダーウィンの進化論を自社に応用し敵対企業を潰すか買収や合併を繰り返すサバイバルゲームによって成長させてきた企業は少なくありません、日本の場合は「進化論」でなく「棲み分け理論」によって企業成長を考えるようにしていきたいと願うばかりです、確実に競合と淘汰の時代から共存共栄の時代へと変化していることも頭に入れて経営資源を生かしていかなくてはいけません。
この「棲み分け理論による共存共栄社会」こそが私の理想郷であり近未来の経済循環構造の確立に他なりません、それぞれの個性を生かしてレッドオーシャンの海で競合するのではなくブルーオーシャンで優雅に泳げる環境を確実に手に入れられます。
私の住む街に有名なホームレスの男性がいました、何時からここに住み着いたのか、何処から来たのか、何をしていたのか、名前も年齢も不詳です。
私が何度か目撃した彼はまさにカリスマ的存在でした、あるときは公園で若い女の子数人にシャンプーをしてもらっていました、またあるときは髪の毛やヒゲをカットしてもらっていました、だからいつもサッパリとした小綺麗な印象でした、彼の身なりもとてもホームレスとは思えないほど綺麗でした。
おそらく彼にお世話になったファンが服を持ってきてくれるのでしょう、最後に見たときにはブルーのボア付きのコートに冬物のチノパンでした、靴もオシャレなワークブーツです。
数人の若いサラリーマンと常宿にしていた大きな街路樹の下で酒を飲み交わしているのを目撃したこともあります、彼は毎日のように新聞や雑誌を読んでいるのか政治も経済も社会的情報を良く知っています、何度かその光景をしばらく見ていたことがあるのですが、話し方も紳士でまるでカウンセラーのようでした。
彼の荷物はスーツケース1個分、クサリで街路樹にスーツケースを結んで外出していました、夜明け前から街中の空き缶やペットボトルを集めながら公園や歩道のゴミ拾いをしていました、だから繁華街なのに、いつも通勤時間には駅周辺はゴミ一つ無く綺麗になっています、空き缶は毎日潰してもリヤカーに溢れるほどになり、それを2時間以上離れたところにあるリサイクル工場に売っては腹を満たしていました。
彼は決して駅周辺やビルの脇などでは寝ません、きっと人の迷惑になることは彼の主義に合わないのでしょう、雨の日も一本の大きな街路樹に寄りかかって眠っていました、そんな彼が数年前に春だというのに雪混じりの雨の日の朝にあの世へ旅立ったのです、謙虚な生き方を二十年以上も貫き通して。
その街路樹には今も献花が置かれています、そしてダンボールに元気だった彼と撮った写真が何枚も貼られマジックで「お疲れ様でした」と書かれています、脇には沢山のビールやタバコも置かれています、こんなに人に惜しまれて世を去るホームレスはいるだろうか、多くの人の心に残る栄誉ある死、形は無いけど立派な勲章です。
孔子論語に「死後称えられないのを恥とする」という一節があります、彼はまさに生前も死後も尊敬され、そして人々の心の中に今も尚生き続けています、「明日は我が身」で自分がどんな状況になろうがどんなに困窮しようがそれは自分の行いの因果応報なのです、それを真摯に受け入れて常に謙虚に生きていたいものです。
「兵法」について研究しているころ多くの戦国武将や三国志の歴史背景を調べました、中でも「戦」に関しての歴史的資料は大変興味深く大いに参考になったものです、最初のうちは勝者の戦法や武将周辺の家臣の行動や進言などに焦点を当てていたのですが逆に敗者に興味を持つようになりました。
「なぜ、負けたのか」、そこには必ず共通する事項があるはずなのです、そして私はその事項を見つけ出しました、敗者の多くはほとんど「軍師」の提言する作戦を鵜呑みにして実行した結果だったのです、現代社会においても会議でいろいろ提案するアイデアマンがいます、しかしそのアイデアをそのまま受け入れて実行するのは大きなリスクがあります。
なぜかというとトップと彼らとは立場と利害が180度違うからなのです、別の意味では経験の差、視野角の差、思考の差です、つまりトップはミクロでなくマクロを見て戦略を立てなければなりません、経営とは「その瞬間の問題ではなくて継続するもの」であるからです。
しかし社員や役員はそうではありません、その瞬間の問題に焦点を当てています、したがって各論的には合っているかもしれませんが総論的には多くの欠陥があります。
経営経験が少ないトップは話が上手くていろいろな情報を持っているアイデアマンに耳を貸す傾向があります、自分にない発想をするので重宝がるのでしょう、そして信頼感まで持つようになります、しかしそこに大きな罠があるのです。
そのアイデアマンが実経験で鍛え上げてきた経験豊富な人であれば問題ありませんが、書籍や人から聞いた情報を自分なりの頭で理解し(ているつもり)経験してないことを平気で提言するような人であったら極めて危険です。
このような人を「敗軍の軍師」と呼びます、「敗軍の軍師」には自分が間違っているという自覚は全くありません、むしろ自分のアイデアを実行してくれたら絶対に成功するくらいの自信があります。
トップもその意気込みや愛想の良さからつい提言を鵜呑みにしてしまうのでしょう、そこが経験不足のトップの最大の弱点でもあるのです、トップはあくまでもいろいろなアドバイスや提言はひとつの「茶呑み話し」くらいに考えなくてはなりません、例え役員であっても高い報酬を払っている顧問であってもです、主役はあくまでも最終責任を問われる経営者なのですから。
自分でいろいろな状況を考えて最終結論を出した戦略でなければ、途中で計算外のことが起きたときに速やかなる軌道修正や撤退の決定が遅れます、更には経営責任なんて取れるはずもありません。
それについて何も語らない。
それについて何も行わない。
これも一つの強いメッセージである。
コメント:
人は、本当に怒りが爆発した時や強いストレスを感じると言葉にできない。
何も言わないからといって流しているわけでも理解しているわけでもない、これを見誤るととんでもない事態に発展する可能性がある。