塩麹(しおこうじ)が空前のブームを巻き起こしたのはほんの数年前の話です、それが既にデパートには「発酵食品」コーナーが出現しています。
発酵食品といえば漬けものです、50年前の日本では普段家で食べる副食の多くは発酵食品であり熱を通さずに発酵をそのままに食していました、代表格は「糠漬け」や「味噌漬け」ですがキュウリ・大根・カブなどほとんどの野菜は漬けものにしていました。
考えたら昔の人は毎日発酵食品をそのまま食べていたのです、食べ物だけではなく甘酒や麹で醗酵させた米ジュースなども普段から飲んでいました、味噌や醤油なども買うのではなく作ってはそれを使っていました。
そういえば世界中で古代から伝わる家庭療法の多くは科学的にも医学的にも実に理にかなっているという研究結果が近年になって報告されています、長い期間をかけて定着した療法、そこには実際に身をもって工夫されながら試されてきたという大きな事実という実績が在るのです、
理屈までは解らないが「効いた」という根拠があるのです、一つの「理論や理屈よりも経験が全て」という大きな根拠であり確証でもあります。
ビジネスも実はこれに近いものがあります、その企業や人の商品やサービスを真剣に説明するよりも実績や根拠を示せせば説明の必要はありません。
これが本当の意味でのブランディング以外の何物でもありません、逆に言えば実績や根拠の示せない商品やサービスを説明するだけの人には近づくなということです。
「だから言ったでしょ!」
プロなら何があってもこれだけは言われないようにしなくてはならない。
コメント:
咎めは素直に聞くものだ、裏に必ず何か理由が有るはずだから。
理解せずして実行し、結果伴わなければ言われて当然である。
一人で頑張っている人を観て思う。
輝いている人と無理しているなと思う人の差とは何だろう?
信頼関係で結ばれた仲間の存在意義は極めて大きい。
正しく人間関係を構築してきたという確固たる証だから。
コメント:
普段は意識しないがいざというときに意識するのが信頼できる仲間の存在である、この安心感が何をしても余裕と見え他者からは輝いて見えるのだ。
例えば誰かにお願いをしたとしましょう、その人がお願いをしっかり行ってくれれば良いのですが、長期間待っても一向に行ってくれなかったとしたらどうでしょう?
イライラしたり感情的になってしまうかもしれません、ただ伝え方が悪くて正確に用件が伝わっていなかったかもしれません、あるいは用件を行っている最中に不測の事態が発生して行うことができなかったのかもしれません。
実はこれらの予め想定できるトラブルはどれも事前に回避可能なのです、つまりお願いをした相手に起こるであろう想定内のトラブルを予測し未然に防ぐ必要があるのです、これは経営においては極めて重要な事項です。
経営者とは社員やパートナーが起こすであろうトラブルを予め想定できる能力を培う必要があります、そして想定を基にトラブルを回避すべく事前策を打っておくことが肝要です
事前策を打たずにトラブルが起こってしまった場合には例え社員やパートナーが起したとはいえ最高責任者である経営者の責任となります、だからこそ上に立つものは何度も何度も見直しと注意喚起を行う必要があるのです。
執拗に確認を何度も行うのは未然にトラブルを防ぎ最終的な利益を上げるためです、年配者に多い「何度も同じことを言う」のはボケているからではなく、確実に物事を進めるための事前策を実行しているのかもしれません。
「経済的に苦労することなく安定した生活がしたい」という言葉を耳にします、ではその人たちの言う「安定」とはいったい何でしょうか?
現在の社会情勢の移り変わりの速さはバブル全盛期の比ではなく日進月歩ならず秒進分歩に変化しています、これだけ著しく変化する世の中にあってそもそも「安定」という状況ががはたして成り立つのでしょうか?
確かに公務員になれば国や地方自治体が破綻するのは例外を除き有り得ないのですから安定した生活を送れるかもしれません、しかし実際はどうでしょうか、EUを襲った金融危機のように自治体が破綻したら公務員といえども無職になりかねません。
それではトヨタやユニクロのようなグローバル大企業に勤めれば安定を得られるのでしょうか、会社が大きかろうが倒産のリスクが無いとは言えません、むしろ大きいからこそ変化に対応しきれず淘汰されていく企業は多々あります。
確かに「安定」という単語は耳触りが良いかもしれません、でもその本質は「今のままでいたい」、「自分だけは守られたい」という保身的な考えの表れなのではないでしょうか?
時代の波に乗れる成功者とは予想不能の変化に常に対応していかなければならず逆に「安定」という言葉を嫌います、そして「安定」を使っているうちは成功者への道のりは程遠いものとなることは確かです。
結局のところ今の時代で「安定」状態というのは幻想でしかなく、それよりも変化を積極的に楽しむ姿勢が好ましいと思います、将来の不安に取りつかれて「安定」に憧れるのではなく積極的に変わりゆく今の世を楽しむことです。