2025年11月21日 10:00
ジョニーウォーカーの成り立ちをあらためて調べてみました。
出発点は1805年生まれのスコットランド人である雑貨商ジョン・ウォーカーです。 父の死をきっかけに農場を手放し、その資金で1820年にキルマーノックの町に食料品とワイン&スピリッツの店を開きます。 当時のシングルモルトは樽ごとに味がバラバラで「この前買ったのと味が違う」という不満がつきものだったそうです。 そこでジョンは複数の原酒を混ぜて味を安定させるブレンドに取り組み「ウォーカーズ・キルマーノック・ウイスキー」として売り出していきます。 英語版ウィキペディアなどを読むとジョン本人は禁酒家であったと書かれています、自分ではほとんどお酒を飲まないのに「お客さんにいつも同じ品質で出したい」という実務感覚からブレンドを磨いていったようです。 店は洪水で在庫をほぼ失うという大事故も経験しますが、数年で立て直し地元で評判のウイスキーを扱う店として成長していきました。
転機になるのが1856年ごろに息子のアレクサンダーが正式に店に入り父と一緒に事業を行うようになったタイミングです。 このとき資料によって表現は少し異なりますが「John Walker & Sons Co.(ジョン・ウォーカー&サンズ)」というかたちでパートナーシップが正式化されたとされています。 ここでの"&サンズ"はまずは「ジョン+息子アレクサンダー」の共同事業、そのうえで将来事業を担うアレクサンダーの息子たち(ジョージとアレクサンダー2世)まで含めた「ウォーカー家の家業」という意味合いを込めた社名だと解釈できます。 アレクサンダーは若い頃にグラスゴーの茶商で働きブレンドの技術と商売のやり方を学んでいたそうです。 その経験をウイスキーに応用し、ちょうど酒税法が緩和されてブレンデッドウイスキーが合法化された流れも追い風に専業のウイスキーブレンダーとして事業を拡大していきます。 輸送効率と割れにくさを考えた四角いボトル(1860年ごろ)、そして代表的なブレンド「オールド・ハイランド・ウイスキー」(1865年)を打ち出し、父ジョンの時代には売上の一部に過ぎなかったウイスキーの売上が事業の大半を占めるようになっていきました。
その次の世代を担うのが三代目となるジョージとアレクサンダー2世です。 1880年代末に父アレクサンダーから事業を引き継いだ二人は役割を分担し、ジョージがロンドンで販売・輸出・マーケティングを、アレクサンダー2世がブレンドと生産を主導したそうです。 1906〜1909年にかけて「オールド・ハイランド」シリーズをホワイト/レッド/ブラックの3種に拡張しラベルの色で年数とグレードの違いを示すスタイルを整えます。 この三代目の時代にイラストレーターのトム・ブラウンが描いた歩き続ける紳士「ストライディングマン」とともに「Johnnie Walker(ジョニーウォーカー)」というブランド名が前面に出され、1909年のリブランディングで「レッドラベル」「ブラックラベル」という呼び名とともに現在につながるブランドイメージが固まっていきました。
こうして調べてみると、今や世界一の販売実績を誇るジョニーウォーカーはウォーカー家が始めたこの物語の延長線上にあるブランドなのだと実感させられます。