芸能界やナイト市場では昼夜問わず挨拶は「おはようございます!」です、しかし何故夜にも関わらず「おはようございます!」という挨拶になったのでしょうか?
物事には必ず理由があります、そしてこれも日本という文化に関する大きな理由がありました。
それは「こんにちは!」、「こんばんは!」という挨拶が、日本の「相手と自分の立場を考えて言葉を変える」という文化に適合せずに変化させることができないからなのです。
「おはようございます!」は元々「おはよう!」です、これが目上の人であれば「おはようございます!」と丁寧語な言い方に変化し、同僚などには「おはよう!」とか、「おはようさん!」とか、「おはよっす」などと相手に合わせて変化をつけることができるのです。
つまり、常に丁寧な挨拶を心がけるということから始まった習慣ということです。
そういうことで特定の業界では昼夜問わず「おはようございます!」という挨拶が一般的になったのです、ただ経営者であれば考えてほしいことがあるのです。
文化承継も理屈も確かに良いのですが、やっぱり昼は「こんにちは!」で夜は「こんばんは!」がしっくりきます。
正しい日本語を残すのも文化だと思います、潮流に流されずに正しいと判断したものだけを行ってほしいものです。
心理作用である「プラシーボ効果」は、あらゆるところで引用されるためご存知の方も多いと思います。
特に発想転換や思考方法の例としてよく用いられていますが、私には一つの大きな疑問があります。
「プラシーボ効果」とは暗示効果を示したもので、砂糖やデンプンを風邪薬と言って飲ませたところ本当に治ってしまったという有名な報告です。
しかし、私が危惧するのは多くの「成功書籍」の中で暗示効果の例として用いられているこの報告のデータそのものの本質です、つまり著者は真実を知ったうえで正しく用いているのかどうかです。
この有名な効果に関しては、その後日本でも医学的に真相を確かめるために多くの実験が行われました。
結果は風邪では約30%に効果が見られました、ただし本来の自然治癒力などで治ってしまった可能性も否定できなく、実際は風邪では立証できないという結論も出ています。
更に怖い例としては北里大学における臨床結果があります、肝臓を強くする薬と称して正常なる108人に対して臨床試験を試みたものです。
その結果、なんと18人が正常であった肝臓に肝機能障害を起こしてしまったのです。
これは最初の「プラシーボ効果の報告」でも触れられていた、「副作用の危険性」の一つであり先の風邪の実験でもわずかに見られました。
「副作用の危険性」とは、「自分はもしかしてひどい病気なのではないか?」という逆の暗示にかかってしまったことを意味します。
私は「プラシーボ効果」を「前向きになる思考法」などという例として用いることに否定するつもりはまったくありません、しかし実際のデータを知っていたら果たしてその著者は例として用いたのでしょうか?
例を用いて話をすることは決して悪いことではありません、しかし用いるのであれば悪いことも含めて自身で検証した上で用いるべきだと思うのです。
何故なら詳しい業界の人が見たらどう思うかを意識してほしいのです、それが大きな波紋を呼ぶことさえ実際に起こりうるからです、つまり著者はその内容に責任を持っていただきたいのです。
例はあくまでも他人の言葉や分析結果ではなく自分の経験や体験上の話をすべきです、よく知らない分野の他者の言葉を借りてきても響かない人には全く響かないどころか知らずに専門家の逆鱗に触れたりします。
人の心に訴えかけるのであれば、あくまでも例は自分の体験や経験に基づく事実にとどめておくのが正解かもしれません。
思い起こしては気持ちが新たになる記憶、それは私が26歳の時のモスクワでの約100日間に渡る厳しい体験です。
当時私は世界最大の外資系エアライン専用のネットワーク会社にフリーのSE(システムエンジニア)として在籍していました、入社当時から海外出張は多かったのですがモスクワだけは脳裏に焼きついて忘れることができないほどの辛い思い出があります。
当時の海外出張は長くても2週間ほどのシステムの最終動作確認と打ち合わせでしたが、2回目のモスクワ出張で解放されたのがなんと4ヶ月目だったのです。
国営の業務であり、当時のロシア(旧ソビエト連邦)は完全なる共産主義で今のような情報開示や自由は全くありません、国際電話は空港まで行かないとできません、したがって日本に連絡すら簡単にはできなかったのです。
20代の若僧一人でどうやって業務をこなし生活していけるのか、半月で生きる気力を失ってしまいました。
店で買える物といえば揚げパンや骨だらけのフライドチキン(ただ揚げてあるだけ)、甘いだけのお菓子、レストランに行きメニューを見ても何もかも判らないし英語もほとんど通じません。
街をうろつけば警察に捕まり訳のわからない取調べの連続です、飲まず食わずで仕事場に箱詰め状態でした。
業務の先が見えてきたところでようやく食事に連れて行ってもらったり、現場で仲良くなった担当者にサンドイッチを貰ったりで何とか腹だけは満たされるようになりました。
地獄のような日々を100日間、髪の毛はこの100日であっという間に真っ白に変わりました。
しかしロシアで学んだことは人生においてとても大きいものとなりました、最も大きな収穫は「人は追い込まれるとものすごい生命力を発揮する」ということです、更に「最悪の状況になると人間は生きる知恵が出る」、「何事も諦めない強い精神力が物事を好転させる」ということを学びました。
そして、その後もロシアには計6回行きましたが3回目からは普通に生活できるまでになりました。
ロシアは1年を通して殆どがどんよりとした曇り空で春でも冷たい霧雨の日々です、小寒い日は当時のロシアを思い出します、私を「ぶれない鉄のハート」に変えてくれたロシアでの辛い日々を。
厳しい状況下でも決して諦めない、何故ならそうしているうちに打開する知恵が湧き何時かは苦境を克服できることを身を持って学んだから。
理由もなく突然力が出ず何に対しても無気力になってしまうという周期があります、そんな時は「天が与えた休暇」と考えしばらく仕事のことを考えずに心身を休ませるようにしています。
この突然無気力になる症候群が最初に起きたのは起業1年後のときです、起業前の3年間は毎日が徹夜状態でも疲れ知らずで体力も精神力も漲っていました。
ところが起業後1年ほど経ったころ突然起きられなくなったのです、気が付くとお昼を回っていたなど珍しくはありませんでした。
ここで正確に言っておきますと寝ているのではないのです、身体が気力的に起き上がれなくなるのです。
本当に自分がどうなってしまったのかと思うほどに酷い状態でした、それが半年ほど続いたと思います、その後は突然のように元に戻りバリバリ仕事をこなせるようになりました。
こんな症状が過去3回ほど定期的にあります、最も長い時では1年以上というのも記憶しています。
こんな時期に社員が頑張ってくれて経営的には特に大きなトラブルにもならずに済んだのは幸いでした、この時ほど社員のありがたみを感じたことはありません。
ところで、この突然の「ぷっつん症候群」とはいったい何なのでしょう?
会社員時代には一切なかった事なのに会社を離れた瞬間に経験するようになります、経営上やお付き合いでの過去経験した事のないほどの緊張感、避けて通れない各種の重圧、そんなストレスが知らないうちに溜まっているのかもしれません。
脳は無意識の領域で心身に危険を感じると危機回避の目的で表面思考を止めてしまうことがあります、つまりこれは脳が正常に機能している証拠でもあるのです。
これを無理して頑張ると本当に危険な状態になるのかもしれません、経営者だって人の子です自然の摂理と本能に従う事も大事なことだと思います。
最近では新型うつとか現代うつとか呼ばれている症状によく似ています、まさにこれなのかもしれません。
そんなときは無理せずパートナーや社員に甘えて、きたるべき天の時までじっくり心身を休ませるに限ります。
こういうときなのです、パートナーや社員のありがたみを知るときは、だから経営者は孤軍奮闘してはいけないのです。
正常なる経営の為に、幸せな人生を送るために、自身が動けないときに頼りになる社員や仲間を動けるうちにたくさん作っておくことが肝要です。
最近妙な事を言う人が多くなっています、それもほとんどが同じことを言うのです。
例えば家賃などの経費算入比率の問題や請求権の時効の問題などにおいてです、これらは税法や民法上で正確に定められているもので、人によってマチマチの数値が出てくるのはおかしな話なのです。
これらの情報はいったいどこから齎されるのかと確認すると、「友人がネットで調べてくれた」というもので、これもみんな同じことを言います。
ネット上に実名も出さずに投稿されている情報ほど危険なものはありません、税理士でもなければ弁護士でもない人が、自分勝手に解釈して出しているのか実にいい加減としか言いようがありません。
勝手な情報をばら撒くのは問題ですが、その結果何が起きてもその責任を取る人が誰もいないということのほうが極めて重要な問題です。
説明して納得してもらえる人はまだ良いほうで、その曖昧な情報を信じ切ってしまって自分勝手な経営活動を行っている人もいます、決算間近になり慌てて連絡してくる人も少なくありません。
この数年、人々は自分で疑問を持って調べ自分でしっかり理解してから各種の行動を起こすことをしなくなってきているように思います。
曖昧な情報に踊らされては失敗を続けています、時には知らずのうちに法律違反まで犯している場合もあります。
その要因の多くはネット上の根拠のない情報に他なりません、思い付いたらネット検索、考える前にネットが答えを教えてくれる、そしてそれを信じて行動してしまうのです。
スマートフォンのOSである「アンドロイド」、その本来の意味は「人間の形をした人工知能を搭載したロボット」という英語です。
スマートフォンが人間の形をしているわけではありません、したがって裏の意味は「アンドロイド」搭載のスマホが頭脳で扱う人が機械という、未来の人工知能に奴隷化された人間の姿を皮肉ったものです。
政治に経済に、スマートフォンにより考えなくなった人間は影の何者かの都合で知らないうちに操られている、そう考えるのは決して不自然でも何でもありません。