経営者人生を歩みはじめてからというもの普通ではできないような様々な経験をしてきました、楽しい思い出もありますが明確に記憶しているのが辛い時の心理状態です。
その中でも、理由も解らず一瞬にして崩れ落ちるような強い感覚は忘れようもなく何年経っても夢に出てくることもあります、その度に気を引き締めて過ちがあれば軌道修正できるようになります。
人生も経営も転げ落ちるときは一瞬にして落ちます、数年かけて築き上げてきたものが一夜にして綺麗に蒸発するのです。
多くのこうした転げ落ちる瞬間を経験すると些細な事実から予感のようなものが走ることがあります、こういうときは決して言葉には出さずに行動しないことに徹するようになりました。
転げ落ちる原因はほんの些細な事なのです、自ら流れを変えてしまう様な軽率な一言であったり敵対してはいけない相手に感情論での敵対行動をとったり、今となって考えれば何とも大人げないと反省しきりです。
私の若いころと同じように、その後に起こる事を考えずに妙な拘りやプライドを優先し感情的な言動や振舞いを行う経営者は少なくありません。
その後の状況は手に取るように明確に解ります、でもあえて言うことはしません、自身の身をもって経験するのが一番の反省であり活きた経験になるからです。
何度も言いますが転げ落ちるときは一瞬です、あまりに見事過ぎて笑いさえも出るときもあるほどです。
その後の地獄のような状況は悲惨です、数年かけて築き上げたものが一夜でゼロになり復活させるのには10年かかります。
百戦錬磨の経験者は無闇に流れを変えるような軽率な行動は絶対に行わないものです、もしも行うときにはその相手との関係の全てを終わらせるときだけです、それも巨大な破壊力で一瞬で終わらせます。
「落ちるは一瞬、復活は極めて長し」、どうか頭の隅にでも置いておいていただければ幸いです。
心理学では意識が素直に現れやすいのが身体反応だとしています、心理学上は別として私の経験から得た人の身体反応とその時の意識を考えてみました。
・目線がこちらを向かず下もしくは横を向いて話す。
話の中に嘘もしくは曖昧な情報が含まれている、もしくは自分にとって好ましくない内容の話である。
・目線がキョロキョロ動く。
こちらの話を本気で聞こうとせず適当に話を流している、また話す内容も本心でない場合が多い。
・腕組みして話を聞いている。
真剣に聞いているようで聞いていない、おそらく興味が無い話なのでしょう。
・身体を乗り出すようにして会話している。
相当興味がある話である、商談ならもう一押しで上手くいく場合が多い。
ただしまだ興味の範囲だということを忘れずに。
・手で口元を隠すように会話する。
その内容には触れたくないか話したくないというサイン、別の話題に切り替えましょう。
・髪や顔のパーツを手で触りながら会話する。
自分の話題を話したくてイライラしているか別のことを考えているか、おそらく今の会話には集中していません。
・意味の無い行動をする。
紙を丸めたり適当な絵を描いたりボールペンで遊んだり、これらはその場に飽きている証拠です。
・手を膝の上などに下ろしている。
凄く緊張しています。
・手をテーブルの上に乗せ開いている。
安心している、もしくは逆に余裕が無い状況にある。
・手をこすったり指を触ったり。
イライラしている、もしくは理解を求めている。
無意識の行動こそ生きた情報です、見逃さずに活用したいものです。
テレビや新聞などで時々話題になりますが、「最近の若者は生まれたときからテレビゲームがあり、上手くいかなければリセットしてやり直す発想が芽生える」というもの。
それで、「自分の人生を省みて思い通りに行かないと今までの人生をリセットして、やり直しを図ろうとしてしまうのではないか?」というのです。
これ私は凄く疑問に感じているのです、本当にゲーム世代の子供だから簡単にそういうことを考えるものだろうか?
ゲームで育った若者世代と言いますが、それ以前に生まれてきた人も大昔の人も同じように「人生をリセットしたかった」という欲望は必ずあります、私にだって過去100回以上考えたことがあります。
最近の若者はこんな単純な思考ではないと思うのです、私が言うのも説得性が無いのですが、私の思うところでは単純に「子供の育て方を誤った親が増えた」のではないかと思えてなりません。
子供って最も近くに居る人、つまり親を見て確実に思考や性格が形成されます。
医学的な研究では3歳までに多くの思考や性格が形成され、それがベースとなって枝葉の部分が8歳までに形成されるといいます、つまり3歳までの環境や接し方が重要だということです。
若い世代に多いリセット症候群は決してテレビゲームの影響ではありません、そして教育でも何でもありません、世の中や他者のせいにしている親である自分たちが作りだしているに過ぎないのです。
最近の若い人との会話の際に気になるのが話しの前の前置です、「間違っているかもしれませんが」とか「自分の場合に限ってですが」などです。
何故、自分の考えをストレートにはっきり言わないのでしょうか?
会話において正しいか間違っているのかなんて正直どうでもいいのです、その人の考えやものの見方を聞きたいわけです、そこから聞いた人が判断して意義のある会話が始まるのです。
はっきり言って前置きしているうちは成長しません、何故なら多くの学べる機会を自ら損失させているからです。
これがビジネスでの商談ともなれば更に深刻です、こういった前置きする人は一つの予防線を張っている人だと見られるからです。
腹を割って契約事項などを話し合わなくてはいけない局面で、保身に走る人とどうやって信頼関係を結べるでしょうか?
何か大きな勘違いをしていると思います、会話とは正解を求める行為ではありません、互いの考え方を確認し合う行為なのです。
予防線を張るような人は人脈に恵まれません、経験豊富な人が最も嫌う行為だからです、それだけははっきり言っておきましょう。
健康維持というカテゴリにおいては栄養学的・医学的に過去いろいろ論じられてきました、しかし何が正しいのかは今もなお論じられているのも事実です。
ただ私なりに信じていることがあります、それは代謝機能に関する遺伝子の存在です。
各種の身体機能遺伝子の発見、そしてその研究は近年飛躍的に成果を上げています。
これは、「人によってエネルギー代謝のメカニズムそのものが異なる」、というもので健康維持やダイエットにも繋がる大きな成果です。
エネルギー代謝のメカニズムは大きく分けて脂肪代謝と糖代謝があり、これが人によって代謝バランスが異なるのです。
例えば脂肪代謝の人は脂肪を主なエネルギー源としているため、これらの基となる肉などを許容量摂取しても太りません。
対して糖代謝の人は糖をネルギー源としているため、これらの基となるでんぷんや糖分を許容量摂取しても太りません。
この2つの代謝のバランスによって、人それぞれに摂取する許容量にも違ってくるのです。
同じものを食べても人によっては健康を維持し、人によっては健康を害してくるということが生じてしまいます、科学や医学の進歩は正解と言われている事項が日々変化してくるものです。
ときどき人は「健康に良いから食べなさい」と言います、でも食べたくない物はきっとその人にとっては不要なものである可能性が高いのです。
身体維持に必要である物は美味しく感じる、これは精神的に正常であれば意外と正しい理論なのかもしれません。
何が正しくて何が間違っているのか、情報過多時代に情報に踊らされるよりも情報を遮断してみて自身の身体や心と会話してみる、そんなことも時には必要なのではないかと思います。