「自分らしく在りのままに生きる」とはどういうことだろうとふと考えてみました、例えば同じ金属でも色々な種類があります。
金・銀・銅・鉄・アルミニウムと、それぞれの金属はそれぞれに良さも悪さも含めた特徴を持っており、それぞれの特徴に合った活用分野や活用方法があります。
金は希少価値だけではなく酸に最も強く更に電気伝導に最も優れています、銀は希少価値に加え加工しやすく、銅は熱伝導に極めて優れ、鉄はすぐ錆びるが硬く、アルミニウムは軽く細工もしやすく多くの合金のベースにもなります。
それぞれの特徴を持つ金属ですが、人間も金属と同じようにそれぞれの特徴を持って生まれてきています、それが個性というものです。
それであるなら良さや悪さを把握し生まれ持っての特徴を生かすべきであり、決して誤魔化しでの金メッキなどをしてはいけないのです。
鉄で生まれたならば鉄のまま生きていれば錆びないように手入れをされ、鉄としての特徴を最大限に生かした活用の道が開かれます。
もし鉄であるにも関わらず金メッキしたらどうなるでしょうか、一時は金として扱われますが最初だけです、そのうち酸(毒)の強い人によってメッキを剥がされサビてボロボロにされてしまうでしょう、一度メッキとバレてしまえば捨てられるのがオチで再利用もされないかもしれません。
自分の特徴を自分自身でしっかり見極めて、それに合った生き方を実践することが最大の幸福(成功)というものではないでしょうか、それが「生まれ持った使命を知る」ということだと思います。
還暦過ぎてからというもの「なんであの人は」とか「こうすればいいのに」とか、そういう他者の行動をあれこれ考えることをやめるようにしています。
要はいくら考えても結局のところは他者のことなのです、その人の立場ではなく自分の意識であれこれと考えても仕方ないのではないかと思うのです。
その人の事を本当に考えているなら、そしてその人を本当に信頼しているなら、「どうして」ではなく「そうなんだ」と考えることにしています。
育ってきた環境や経験、そしていろいろな人との出会いで今の自分があるようにすべての人もそうなのです。
それぞれにその人しか分からない理由も事情も有るものです、他者のことをそう思えるようになったことで急に心が楽になれた気がします。
人の心はものではないから、生きているのだから常に変化も進化もしているのです。
人間とは他者のことを結局自分のモノサシや思考であれこれと考えてしまいがちです、例え褒めようもない生き方であろうが他者の生き方を認めることで結果自分も他者事を気にすることもなく楽に生きられると思います。
この数年間は恐ろしいスピードで時間が経過している感覚が起きています、実に不思議なのですが一つの事項を考えるとはるか昔に起きた事のように感じられるのです。
例えば10年以上も付き合っているような感覚の人が知り合ってまだ1年だったり、10年以上前の出来ごとかと感じられるのに数ヶ月前の出来事だったりするのです。
かのアインシュタインは「時間とは絶対的なものであり、相対的に存在する」というけだし名言を残しています。
今の私の時間感覚は、瞬間の流れは早く感じるが一つの事象に限れば遅く感じるという不思議な現象が起きています。
これは脳が短時間に多くの事を思考しているときに起こる現象のようで、実時間と脳の時間との差異が妙な時間感覚にしているようです。
過去とはそれぞれの人の脳内記憶でしかありません、資格や免許にメダルや表彰状などは確かな過去の実績エビデンスとしては根拠になります。
しかしそれらも過去の産物であり、今その能力が有るかどうかを保障するものでは無いのです。
だから過去の栄誉を示されても、今そして未来においては何のエビデンスにも成りえないということです。
過去は過去であり今は今で未来は未来なのです、だからそれぞれにおいてその価値判断が重要になります。
そしてビジネスにもプライベートにも重要なのは未来です、何故なら時間は未来にしか進めないからに他なりません。
過去は過去、終わった事を何時までも考えるよりも未来思考で考える人が幸福な人生を歩むことができると思います。
最近の私はボケてきたのか昔のことがよく思い出せません、これはきっと幸せなことだと思うのです。
「底が見えない」状況は多くの場合に恐怖に変わります、たとえば自然界では川や湖の深さ、経済界では株や債権の暴落時があります。
人に対しても同様で、付き合いが深まるにつれ話の内容も徐々に突っ込んだ内容になっていきます。
「あの人ならこの程度だろう」と思って話していると新たな情報が出てくる、そしてその情報が限界かと思うと更にその先の情報が出てきて、次から次へと業界人でさえも知らない情報が飛び出してきます。
このような場合も「底が深い」または「底なし」などという言葉を使います、専門的で非常にニッチな話題や情報もそうですが、カテゴリーに関係なくそうだとしたら「底の深さ」に加えて「幅が広く引き出しが多い」となり更に大きな人に思えてきます。
どんな話題にでもついてこれて、更には専門的かつ高度な情報を持っている人と話しをしているとどんどん引き込まれていきます。
これが実体験から来ているものであればもう返しのしようがありません、その人の前では下手な理論も理屈も当然見栄も何もかもが通用しません。
通用するのは真の体験とオリジナルな情報だけです、一切の営業トークもごまかしも通用しません、会うたびに底知れない恐怖の対象になります。
これは自分自身がまだ未熟な証拠なのです、こういう人を避けるのでなく積極的に自分に取り込むことこそが肝要なのです。
最初は馬鹿にされるのかもと背伸びしているとそれさえも見抜かれてしまいます、あくまでも正直にそして利害関係ではなく人間性で付き合うようにすれば強力な味方になってくれるでしょう。
何故ならこういう一見理論的で計算できる人ほど多くの実体験を通して情報やノウハウが蓄積されています、こうした情報の多くは人間くさい付き合いから得てきている場合が多いのです。